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人獣見聞録-猿の転生 Ⅳ・半獣神たちの午後  作者: 蓑谷 春泥
第2章 乱れ髪
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第8話 嬰児(みどりご)心の君

「……リリ」

 俺は言葉少なに彼女を見つめる。それからふっと表情を和らげて言った。「『やっと来た』って言っても、一週間ぶりだけどな」

「もーっ、意地悪言わないでください。ここでの一週間は気の遠くなるほど長いんですからー」

 リリが怒ったように頬を膨らませる。「体感時間が全然違うんですよー。それに話し相手もいなくて、退屈で仕方ないんですから」

「悪かったよ」俺は笑って歩み寄り、彼女を優しく抱きしめた。「だから、会いに来たよ」


「それにしても、毎週律儀に来てくれますね」

 どこからともなく差し込んでくる冷たい明るみの中に並んで座ると、リリが指折り数えて言った。

「もう半年くらいになりますか。たまには休んでもいいんすよ?」

「いや……、定期面会の権限……、折角元老院になってまで手に入れたんだ。逢える限りは顔を出したいよ」

「まめな人ですねー」

 リリは淡白に答えたが、表情は満足気だった。空中楼閣……、次元の狭間に造られたこの監獄は、看守すらも居ない完全無人の孤独な空間だ。狂花帯も止まり、体感時間も不規則で、独りの夜が延々と続いている気分だろう。元々、リリは孤独の中に生きてきた人間だ。俺と同じで、心の底に淋しさを抱えている。そんな彼女を、独りぼっちのままにしておくことはできない。

「外の世界は相変わらずですか」

「ああ、いや、今週は久々にごたごたしててな。夷の反乱から1年も経ってないってのに……、平穏も長くは続かないな」

「刺激的で羨ましいですねー」

 鎖をがちゃつかせながら、リリが足を伸ばす。「ましら君が動くレベルの問題となると、皇族がらみですかね。時勢的に反帝派が動き出した頃でしょうか。でなければ逆に身近な人のトラブルですかねー。ましら君の話を聞く限り、霊長教會は平和そうなので、貴族のアテネさんあたりですか」

「さすがの慧眼だな、両方正解だ」

「あらら、同時に来ちゃいましたか」

 リリが気の毒そうな顔で頭をもたせてくる。

「南の監獄から先帝が釈放されてなぁ、朝廷が二つもあってややこしい状況なんだ。刺客も放たれるし……。そんでもってアテネはカプリチオの跡継ぎ問題で身内がごたごたしてるらしい」

「12民族の当家争いは熾烈ですからねぇ」

 他人事のように言ってリリは遠い目をする。「アテネさんも既に成人ですか……。あんな麗しくうら若き乙女が傍にいて……、ましら君を()られないか、心配になってしまいますね」

「いやぁ、まだまだ子供だよ」

「子供の成長はあっという間ですよ。女子三日会わざれば刮目して見よ、です」

 おどけたように言って、肩で俺を小突いた。それから急に真面目な顔になって、目を伏せた。「……良いんですよ、私を待たなくても。私はここで老いて朽ちていく身です。ましら君はましら君の幸せを……」

「いやにしおらしいじゃないか。君はもっと、我儘なやつだと思ってたけど」

「むっ、私をなんだと思ってるんですか」

 リリがしかめ面をしてこちらを見上げた。しどけなく解けた白銀の髪が、水のように膝を流れる。

「人恋しさに警察隊と野風を巻き込んで廃都に籠城しようとした誘拐犯……かな」

「ああそうですか! どうせ私は大悪党の緑衣の(グリーン・ゴブリン)ですよー」

 拗ねた態度で体を揺らし、こちらに肩をぶつけてくる。大丈夫、心配しなくても必ずここから出してみせるよ。俺は微笑して言った。

「ところでその緑衣の(グリーン・ゴブリン)に訊きたいことがあるんだが」

「何ですか。私が知ってることなんて大陸医学と古代兵器の使い方くらいですよ」

 およそ一般人らしくない知識を鑑みながらリリが答える。

「じゃあ訊くけど……、上半身は獅子、下半身は山羊、鸚鵡の翼に獏の鼻を持った愉快な生き物、なーんだ?」

「ふふ、なぞなぞですか? 私の遊び心を知らないようですね。獅子と山羊の体を持った生き物、なん、て……」

 歯切れ悪くリリが固まる。

 それからその額をたらーっと一筋の汗が流れていく。俺は頭を抱えて溜息をついた。

「……やっぱり君が犯人か」

「い、いやぁー、私また何かしちゃいました?」

 鼻持ちならない主人公のようなことを言ってリリが苦笑いする。俺はじとっとした瞳で彼女を見返した。

「院の刺客がその獣を使役してたんだよ。あんな怪獣作れるの、君くらいしかいないだろ」

「あはは……。まあ動物を継ぎはぎして造っただけの生物なんですけどねー。ただ部位を切り貼りして成立させただけの合成獣(キメラ)なので、相応の技術があれば私じゃなくても作れますよ」

「そういう問題じゃないよ、まったく……。倫理観が欠けてた頃の産物だな」

「ええ、10年以上昔……、人間と野風の混種(ハイブリッド)の研究過程で生まれた生物です。私の目指していた混種(ハイブリッド)……、異種間生物の完全な調和とは程遠かったので、南の地にリリースしたんですよ。まああの図体と食欲なので、西国ではちょっとした騒動になりましたねー。獏鸚(ばくおう)とかキマイラとか呼ばれて……」

「反省は?」

「してます……」

 リリがぺこりと頭を下げる。

「……しかしまだ生き延びていたとは驚きですね。あの時討伐されたとばかり思っていましたが……。誰かが密かに飼い慣らしていたんでしょうか」

「所有していたのも院の部下だったからな。院は西国に配流されていたし……、彼の昔の部下から渡ったのかもしれん」

「そうですか。……えーと、獏鸚は元気にしてました?」

「やめてくれ、とってつけたような気遣いが逆に猟奇犯っぽい……」

 俺はげんなりして返した。

「ついでに訊くが、リリは人間に細胞を移植した野風を覚えてるか?」

「ええ、被検体のことですから」

 リリが肯く。

「どういう基準で選んでいたんだ?」

「基本的にこだわりはありませんでしたけど、強いて言えば人間側は性格的に向いてそうな人ですねー。陰があって他人との繋がりを求めているタイプ。野風は完全に無作為です。特別じゃない、普通の(ひと)が良かった。もっとも初期の頃は、移植で死滅しないような生命力の高い個体の細胞を集めていたこともありましたが……」

「! なら、白い野風のことは……」

「……? 『銀将門』のことですか。もちろん覚えていますよ。彼は相当手強かった」リリは過去を遡るように答えた。

「彼の細胞は実験の最初期に採集したものです。長く保存し、幾度も移植を試みましたが、細胞の生命力が強すぎて上手くなじむ人間側の被験者が折らず……、結局彼の細胞を用いた実験は全て失敗に終わりました」

「それはたしかか? 全て失敗に終わったんだな」

「? ええ……。そもそもあの手術自体、ましら君が最初の成功個体です。銀将門さんの細胞は、ましら君の猿化の少し前に使い切ってしまいましたから」

「……そうか。だが、俺の野風時の毛が白かったのはどういうわけだ?」

「ああ、そのことなら」

 リリはつんつんと頭を指した。

「単純な話ですよ。人猿の体色は双方の頭髪の遺伝子に由来します。移植元の野風側の毛色が引き継がれることもあれば……、移植先の人間の髪色が反映されることもある。ましら君は頭に白い毛が混じってるのでそれに影響されたんですね。ほら、ボアソナードさんも白に近い体色になったでしょう。元々綺麗な白髪でしたからねー」

 なんだ、そういうことか。とんだ襲われ損だ。俺は気を抜いて壁にもたれかかった。今度あの(しろ)(ぬえ)とか言う野風に出くわしたら、ちゃんと釈明しておこう。

「なんですか、自分があまりにも強すぎて、ルーツを知りたくなりました?」

「いや、そこまで自惚れちゃいないよ……」

「安心してください。ましら君の力は努力の賜物ですよ。隅々まであなたの身体を知り尽くした私が言うんだから、間違いありません」

 指先で、つつーと俺の肩を撫でながらリリが言う。ごほんと俺は咳払いする。

「刺激的な台詞だが、手術の時に調べただけだろ」

「えへへ。あの時は驚きましたよ。大陸にもない未知の技術で強化された肉体……。一学徒として実にそそられます」

 俺の衣服の下に手を滑り込ませ、肩の肌に触れながらリリが懐かしむ。

「あのー、リリさん? 研究熱心なのは良いですが、意中の異性からのスキンシップは、さすがに俺も……」

 無自覚な所が性質(たち)悪いなあ、と苦笑いして言いつつ、俺は諫めようとリリの方を見た。至近距離で、リリの宝石のような瞳と視線がぶつかる。

 あれ、と俺は思った。平静だと思っていたリリの瞳は湿やかに潤んでいた。綿雪のように透き通った銀髪の間から覗く耳も、桜色にほんのり色づいている。

「……無自覚?」

 リリが唇を動かす。

「無自覚じゃ、ありませんよ?」

 右の耳に、熱い吐息が囁く。「今は恋人として、興味深々、です」

 俺はおもわず唾を呑みこむ。リリが俺を抱きすくめるような形で、背後に回った。襟口を広げるように手を回す。

 触れる指先がほんのりと温かい。いつもひんやりした白い指に、血が通っている。そして、この肩に感じる感触……は、

(いった)ぁ!?」

 俺は不意に訪れた鋭い痛みに跳び上がった。涙目でひりひりする左肩を見ると歯形がくっきりと浮いている。俺は真新しい噛み傷をさすりながら振り返った。リリが子供のような無邪気な表情を浮かべて、悪戯っぽく笑った。

「やっぱり頑丈ですねー。相当強く噛む必要がありましたよ」

「あー、痛みで他人の命を実感する習性、変わらずか」

 能力を抑制されて本来の背丈に戻った彼女の姿とあどけない笑みは、いつもの大人っぽい振舞いを忘れて失われた童心をさらけ出しているようだった。

 きっと彼女にとって幼心は「弱さ」なのだ。それが分かるのは俺も同じだからだ。幼少期から独りで生きることを余儀なくされ、冷たさや野心の裏に押し殺して強くならなければならなかった俺たちが、ひた隠しにしてきた弱さ。多分彼女は俺のことを、そんな所まで見せられるほどに、心許してくれているのだ。

「……仕様のない子だな、君は」

 俺は困った顔で微笑んだ。

「あー。今子供っぽいって思ったでしょう」リリが口を尖らせる。「それだけじゃありませんからねー。ましら君を他の人から守るための、マーキングです」

 俺の眼に溜まった雫を拭いとって、大人びた表情で付け加えた。「今はまだお預けです。こんな牢獄で続きはできませんからね」それから片目を閉じてウィンク。「ここから出してくれるって言葉、信じていいんでしょう?」


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