ただひとつ、藍に捧ぐ
斯くして、十数分の後。
「────……では、そういうことで、いいですね。ハル」
「ハイ」
いろんな意味でやり切った……もとい、やらかし切った俺は、清々しいまで己が退路を断ち切った身の上にて堂々と胸を張り正座していた。
勿論のこと、床。
正面に立つは、いまだ頬に赤みを残しつつ迫真の仁王立ちたる我が相棒。怒っているように見せているが、いまだ内心は戸惑いの渦のみであろうソラさん。
そして────
「………………」
ジロリ……とまではいかないまでも。様々な内心を『今はまだ』と誤魔化してくれている気遣い天使が、ゆっくりと横へずらした視線の先。
即ち、俺の隣。至近距離。
「────……」
ニッコニコの、無表情。
出会ってから今に至り間違いなく最高の機嫌でもって鼻歌でも歌い出しそうな様子のまま、馬鹿者と同じく正座させられている【剣ノ女王】様が一名。
そんで、やらかし二号ことアーシェを見るソラ。これもまあ初めて見る顔。
正確には、俺以外に向けられているのを初めて見る気がする顔。つまるところ、その極まった呆れ交じりの困り顔が意味するところは……。
「………………………………はぁ……行きますよ、アイリスさん」
「ん」
単純明快至極単純、もうコイツ目を離したらダメだという諦観。
────然らば、そういうことでと。とりあえずの話し合いを終えて『ひとまずは』の方針が決まったゆえに、仕方なくソラさんが動く。
そう、仕方なく。
十数分前のアレで一時的に信用を溶かしているアーシェを好きにさせるわけもいかず、更に諸々の流れで叫んでそのままメンタルダウンしたニアを気張らせるわけにもいかず、一応は落ち着きを手繰り寄せることに成功したソラさんが。
一生懸命、場を取り成してくれたのである。
「ソラ」
「っ……は、はい。なんでしょう」
すぐ隣。言葉通り『行きますよ』とアーシェの手を引っ張り上げて立たせ、さあアトリエを出ていこうと踵を返した背中を呼び止める。
更に踵を返して、都合一回転。
爆走した年上に、暴走した年上、そして撃沈した年上に囲まれて、心の底から申し訳ないが必死に頑張ってくれている相棒に……俺が今できるのは、一つだけ。
「……ありがとな。いつも、いつも」
せめても、本気で想いを込めて。
些細でも足りると通じている言葉を添えた、俺が贈れる限りの誠意を贈るだけ。
果たして、伝わってくれるだろうか。
「っ……! ────ま、またっ」
口だけではなく、どんだけ俺が君に感謝して
「 後 ほ ど 、 で す …… ッ ! ! ! ハ ル の 馬 鹿 っ ! ! ! ! ! 」
「っ、ぁー……────」
────ヒュッ! ────ドパン‼︎ ────バターン!!!
「………………」
……るのか、と。
まあ、はい。
「また後で、な…………はは」
自業自得。そりゃそうなるわってな具合で自嘲する他にないだろう。
救われるのは、アーシェを振り回して諸共に連れ去り疾風怒濤の勢いで部屋を退出する直前。俺を睨んだ琥珀色に本気の怒りは浮かんでいなかったこと。
また後ほどと、言ってくれたこと。
……無茶苦茶なプロポーズの件と、間抜け顔でアーシェにファーストキスを掻っ攫われた件。混乱や動揺に一つずつ赦しを乞うのは、そりゃ骨が折れるだろうが。
「……また、後で」
つまり────俺の答えに対する答えは、一旦保留。
もう本当に様々な意味で枠外を地で行く『お姫様』の英傑即決はともかくとして。今の俺が求む最良と言って差し支えない赦しを、まず一つ。
『また後で』をくれた相棒に、今の俺は心から感謝するだけだ。
────と、いうことで。
「……さて」
「っ……!」
危険人物を確保し、一番手を譲り……いや、二番手になるのか? を、譲り。ゆうて流石に半ば以上ヤケっぱちめいて突風の如くソラが去った後。
二人が減って、部屋に残されたのは自然、俺ともう一人だけ。
正座を解き、立ち上がりつつ振り向けば、そこにいる────身を隠すようにソファへ埋もれて、暫く前から気配を消していた部屋の主。
「ニア」
「っ……‼︎」
藍色娘は、身を守るように抱いたクッションへ顔を押し付けるまま。名前を呼ぶ俺の声に、怯えたように肩を跳ねさせていた。
────『ように』ってか、そのものか。
俺にというより、流れる状況そのものに、今の彼女は怯えている。
「ニア」
さっきは極致の動揺が弾けた勢いで叫んでいたが、アレで完全に頭の許容量をオーバーしてしまったのだろう。力なくソファへ座り込んで以降、そのままだ。
「……ニア?」
三度目は、呼んでみても無反応。
……仕方ない。不在の場で失礼なことを思うようだが、これに関してはアーシェのみならず、いざという時に十五歳ならざる気丈さを見せるソラも特別なんだ。
知ってる。知ってるさ。
仮想世界に名高き【藍玉の妖精】────仕事とあらば非凡の顔を見せ、ギャップ極まる姿で散々に俺の目を灼いてきた彼女が、どういう人なのかを。
特別な生まれにそぐわず。
妖精のような外見にそぐわず。
「………………」
普通を手放したくないと足搔いた俺の傍に、自然と寄り添ってくれたように。
俺よりも、誰よりも、普通で在る、女の子なんだって。
「ニア」
「…………」
どうしたもんかな────なんて、本当は最初っから決めている。
そうすべきと思い三人共へ一緒に『選択』を告げて、その後。一人ずつ、それぞれに、まずはどうやって〝想い〟を告げようかなど。当然だ。
「……スゥ──────リリアニア・ヴルーベぼッ」
ほらな。期待通りクッションが飛んできた。……いつもいつとて俺の心をメチャクチャにしてくれた『お姉さん』は、俺のガキみたいな振る舞いに弱いんだ。
「「────……」」
仮想の重力に従い、顔から自然落下したクッションの向こう側。ソファに沈むままグチャグチャの感情に顔を赤くして、揺れる藍色に俺が映っている。
────瞳越し、意外と悪くない表情してる。そう笑うことができた。
ならば今、ポケットから取り出そう。
もう一つ。保留にさせてもらっていた、大切なことを。
「右手、出してくれ」
「………………」
掌に載せて見せるは、預かったモノ。帰省前から今の今まで、手を付けるか否かを保留にしたまま大事に仕舞っていたモノ。
かつて俺が、大事な友人に送った腕輪。それを改めて、
────大切な女性へ捧ぐ気持ちとして、贈らせてはくれまいかと。
状況的にもタイミング的にも、今じゃねぇだろと各方面から怒られそう。ぶっちゃけ俺も冷静な部分で馬鹿じゃねぇかと思ってる。
でも、知らねぇ。
「…………プロポーズは、置いといてさ。いや置いとかねぇけど、それはそれとして。……あぁ、いや、それも踏まえてだけども、一旦、それはそれとしてさ」
「………………ん、……ぅん」
ほんと悪いけど、もう今の俺にとっては知ったこっちゃねぇ。
「『紡ぎ手』な。今の俺には願ったり叶ったり、もう断る理由は無くなった」
「…………」
どういうことか? 答えはシンプル。
「名前なんて何でもいい。────君の特別は全部、俺が欲しい」
特大の自分勝手さ。
「…………………………………………………………────っ、はぁ…………」
斯くして、長い沈黙の後に。
「…………ん、の……あの、ごめん。ね? わかってる、ちゃんと状況、追えてるんだよ。怒ってもないし……や、怒れないくらい混乱してるだけ、かも、だけど」
ゆっくりと、時間を掛けて。たどたどしくも必死な様子で、暫くぶりにハッキリと口を開けたニアが言葉をくれる。
「わーって、なっちゃってるのが、全然、引いてかなくて……」
「大丈夫。俺のせいだ」
そんでもって、俺の番だろと。
約半年。待たせた分だけ、今度は俺が、いくらでも待つさと。
「……、…………ぅぁー……っ!」
そうしてニアは一度、クッションの代わりに両手で顔を覆い隠して、
「…………………………………………、……ねぇ────あたし、だって」
声を紡ぐ。
紡がれる声を聞いて、俺は自分勝手に頷いた。
「………………私、だってさぁっ……!」
きっと、続く言葉は────俺が求めたものだと、わかってしまったから。
それは、
「────っ、キミの、特別。全部、欲しいよ……っ!」
俺の選択で、誰にも叶わなくなった〝事実〟が一つ。
「「………………」」
涙は流さず、藍色が俺を見ている。
怒りはなく、切なさだけ湛えて、藍色が俺を見ている。
胸の内を想像するなど傲慢極まれり。そんなことはできない。俺に赦されるのは、ただ涙に等しい事実の言葉を心ひとつで受け止めるだけ。
世界に一人しかいない俺自身で、受け止めるだけ。
「………………待って、違う」
「違わない」
「違うよっ……言うつもりなかった。違う────そんなこと思ってない……!」
「違わないよ。でも、わかってる」
そう、わかってる。俺が示した『選択』は、決して俺だけが考えていたものじゃないと────彼女たちだって、きっと一度は考えていた未来であると。
わかるさ。ずっと一緒にいたんだ、わからないはずない。気付かないはずない。
ニアも、ソラも、アーシェも、本当に……本当に本当に、優し過ぎるくらいに優し過ぎて、人を想い過ぎるくらいに想い過ぎて。
〝特別〟を独り占めにしたいと思いながらも、思っていなかったんだ。
人の心は、簡単に矛盾する。
世界で一番が三つもある俺が、それを誰より知っている。
「………………ニア。こっち見てくれ」
俯いてしまった大切な人の名前を呼ぶ。
それだけではなく、自分の膝を握り締めて震えている手を取った。
「こっち、見てくれ。ずっと伝えたかったことを言うから」
「………………今、やだ。少しだけ待っ」
「待たない。悪いけど、もう抱えとくの限界なんだ」
震えているけど、拒絶は無くて。だから放さず握り締めた。
「全部は、ニアの言う通り、あげられない。どんだけ死ぬ気で頑張ろうが、ひとつしかない特別は、どう足掻いても俺には増やせない」
きっと、アーシェのキスは単なるキッカケ。それは確かに、わかりやすく、特別過ぎるくらい特別な一つだったが……アレに限った話じゃないんだ。
皆で一緒にって、そういうことだから。
────だから、あんにゃろう悪者になりやがった。
とんでもない一発を撃ち上げて、避け得ない大前提を示してみせた。
そしてそれを、きっと。
「………………うん……わか、ってる」
ソラもニアも、気付いてるから、怒ってないんだ。
でも俺は、怒ってほしい。
「ニア」
さっき溢れ出してしまったような本音を、俺にぶつけてほしい。
「俺にとって人生最大級の〝特別〟を、今から渡す」
その紛れもない〝特別〟に、釣り合うくらいの〝特別〟を。
「聞き逃すなよ、そう何回も言えないぞ」
「………………なに……?」
人生を掛けて捧げていこうと、死に物狂いになれるから。
「────ニア」
「……────はい」
ならば、まず一つ目を。
「俺の初恋。ニアなんだよ」
世界で、たった一人の初恋の人へ。
今、贈ろう。
全部、大丈夫だから。見守ってあげて。




