静謐の帳に
「──────────……」
深夜。静かな寝息を二人分、数えてから目蓋を持ち上げる。
視界に映るのは暗闇の奥にある、まだ少し見慣れない天井。然して枕の上で首を傾け、横へと視線を転じれば……────
「……ふふ」
抱き枕に、する者とされる者。
なにかを抱いていないと眠れないらしいニアと、恐ろしく寝つきがよいことに加えて一度熟睡すればハグ程度で安眠を妨害されないソラ。
相性良好と言っていいのか否か、ともあれ絵面の微笑ましさは無限大。極まって仲睦まじく寝息のセッションを奏でる二人を見て、残る一人は静かに微笑一つ。
アイリスは暫くの間、その光景を眺めた末に。
「…………子供は、寝てる時間」
数時間前。誰かさんが披露していた下手な隠密とは段違いな身のこなし。
真に一切の音も気配も立てることなく布団を抜け出し部屋の中を歩むと、やはり無音。微風さえ生まずに扉を開けて、友人たちの眠る客間を抜け出した。
そうして、運ばれた足は想い人の部屋の前────
「…………」
を、中で部屋の主が眠りについている気配を感じ取りつつ、通り過ぎて。迷うことなく階段を捉え、下っていき……一階。気配が一つの居間の前。
さてノックをしたものかと一瞬なり迷い、それも可笑しな話と一笑に付して断りも入れずに扉を開けた。────さすれば、気配の色は輪郭を違わず。
「「──……」」
ソファの向こう側。背凭れに頭を預けてチラと視線を寄越した黒の瞳と、寝床を抜け出してきたガーネットの輝きが互いを映し合った。
「…………っふ」
然して、彼女。
彼の母、春日凛は、ほんのり眠たげな顔に不敵な笑みを乗せて。
「────来るのは貴女だと、思ってたわ」
失礼ながら、正しく、賢しらな声で。
堂々と嘯いて見せた彼女に対して、アイリスもまた正面から笑みを返し、
「それは、嘘です」
堂々と、戯れの大言を打ち返した。
◇◆◇◆◇
────では、どういうことなのかといえば。
「いやー、ほらー、ね? もしもを踏まえた状況設置よ状況設置。誰かしら個人的な話をしたいって思う子がいれば、こんなシチュエーション理想的じゃない?」
とまあ、そういうことらしく。
初日のアレ……途中でハルが一階へ下りていった気配は、親子の語らいとして。
二日目の今日も一人で夜更かしを続けているのを察し足を運んでみれば、彼女なりに用意してくれた自分たちへのサービス精神だったようで。
それは嘘と指摘したのは、別にアイリス個人を待っていたわけではないから。
お母様は単に誰かが自分と『秘密の個人的な話』をしたいと思い立てば応えられるよう、念のために場を用意してくれていたというだけの話。
この親あって、あの子あり。お人好しの血は色濃いらしい────
「それで?」
と、胸中で素直に好感度を上げているアイリスへ、声一つ。
「お姫様は、私に何か『お話』が、あるのかしら?」
二つ、三つ、四つ。
臆さず続けて、彼女は冷めた珈琲の揺らぐカップを片手に笑って見せる。
「…………いえ」
人が秘めている緊張程度、読み取れないのではアリシア・ホワイトに非ず。であればこそ、アイリスの方も敬意と感謝を示す微笑みを浮かべて。
「ソラもニアも、ぐっすり眠っていますから。お母様も、これ以上は夜更かしをせずに休んでくださいと、伝えに来ました」
なんて、お節介で生意気なことを宣ってみれば────
「っふ、あっはは……! 逆に気遣われてちゃ世話ないわねぇっ」
彼女は愉快そうに笑い、残る珈琲を豪快に飲み干した。
……カフェイン、眠れなくならないのだろうか。そんな更なる心配お節介は流石に連ねることなく呑み込んで……これにて用件の半分は恙無く。
然らば、もう半分も一息に。
「お母様」
「ん。なにかしら────っちょ、ちょっと……?」
ソファを立ち、振り返った正面────
深々と頭を下げた『お姫様』を見て、母が戸惑い狼狽の声を上げる。
「初めに、謝罪をいただいてしまったので」
「え? あ、ぇっと?」
「私の方こそ、遅ればせながら、謝罪を」
自分が、他人の目に、どのように映る存在か。どのように識られている存在か。どのように思われている存在か。アイリスは全て正しく理解している。
で、あればこそ。だから、こそ────
アリシア・ホワイトが、想い人の帰省に同行した理由。
彼の両親に会わなくてはと己を断じた、その核心。
「私が立場を弁えていれば。貴女の子は、今ほど心を削っていなかったはず」
「はい? なにを────」
「もっと穏やかに、追われるようにではなく、優しい〝恋〟が、できていたはず」
「……なにを」
「きっと、もっと、………………本当の意味で」
「…………」
ほとんど深呼吸。大きく息を、吸って、吐いて。
「……────希に相応しい、心の安らぐ〝恋〟があったはず」
知ったことかと、言い返した、あの日から。
ずっと、ずっと、片時も心を離れない『罪』を言葉に溶かして打ち明ける。
「ハルと、世界に。『身分違いの恋』を知らしめて、突き付けて」
けれども、これは決して懺悔ではなく。
「全部を始めたのは、私です。だから────」
謝罪ではあっても、決して後悔の告白などではなく。
「────安心、して。ください」
「…………安心?」
「はい。お父様と一緒に、安心して、見守っていてあげてください」
これは、そう。
「未来がどうなろうと、この私が。責任は、必ず攫って行きますから」
「────…………」
世界征服を果たした身の上で、ただ一人の女として無責任な〝恋〟を誰かさんへ叩き付けてしまった『お姫様』の、永劫を以って変わることのない誓いの表明。
そう、彼が、どんな答えを選ぼうとも。
「希も、彼の大切な人も。アリシア・ホワイトが必ず守ります」
「………………、…………あなたは……」
安心だけを、渡しに来た。
どんな顔をされようとも、強引に押し付ける手土産を。
……斯くして、子を想う母。そして男を想う女が、見つめ合い数秒。
「あなたは、ほんとに……────お姫様じゃあ、役不足ねぇ……」
「…………ふふ。親しい人には、よく言われます」
それぞれの色を宿した笑みの対面を以って、密やかな夜会は終わりを告げた。
そりゃもう主人公ですからね。




