夢現
「────────ハル君?」
「っんぇ」
声を掛けられ目が覚めた。
聞き慣れた、穏やか極まる優しい声音。角なんて一抹さえも存在しない柔らかな音色に耳を擽られたかのようで、物理的にも精神的にも至極くすぐったい。
だから、反射的に跳ね起きようとして……失敗。
アクションはバチッと目蓋を開くまでに留まり、見上げる先に。
「ふふ……おはようございます」
縦横斜め三百六十度。いつ如何なる時に如何なる角度から見ようとも変わらず、甚だ可憐で清楚で、お美しい灰色の師が微笑んでいた。
「…………おは、よう……ございま、す……?」
────なんだろう。
────なんかおかしい。
目覚めたはずなのに、目覚めてない感じ。意識はハッキリしているつもりなのに、どうしようもなく頭が回らない……というか、自分が自分ではないみたい。
身体も頭も勝手に動く自分自身を、自分の中から傍観しているような。
「………………」
「っ…………」
師の細い指先が前髪を掻き分け、額を撫でられた。再度くすぐられたような感覚に襲われ身を捩れば、後頭部が柔らかな感触に沈んで即座に固まる。
「…………………………………………………………」
すみません、ごめんなさい、が咄嗟に口から出て来なくて。
「……ふふっ…………そんなに緊張しないでください」
一体全体、どんな顔をしていたのやら。お師匠様は俺を覗き込みながら、ほわんほわんと楽し気に微笑を転がして────
「…………私まで……心乱れてしまいますから、ね?」
彼女らしからぬ……──どこがとは言えないが、どこかが、確実に。
彼女らしからぬ仕草で以って、その白い頬に朱色を浮かべた。
次の瞬間。
「っんえ?」
目前。閃き迫る〝刃〟を裏拳で弾き飛ばしながら、俺は再び間抜けな声を零す。
場所は────わからない、どこか。時間も────わからない、いつか。状況も────サッパリだ、不明。然して相手は────
「ッ……やっぱり、まだ────!」
ある意味では真なる後輩一号にして、事実的には先達たる自称後輩二号の姿。
透き通る水色二刃。多少ながら俺も意見を出したりで、我が専属魔工師様が打ち上げた人造芸術成功作の先駆けを繰るカナタが、
「…………────っは。ほら、どんどん来いよ!」
「っはい!」
またも、勝手に。
口軽く煽る俺に子犬のような笑顔を返して、勢いよく地を蹴った。
また、次の瞬間。
「────先輩はさぁ」
「んえ……」
頭の上から声が響いて、間抜け声Part.3。
どことも知れぬ何処かにてソファの上。背凭れに深く埋もれるまま視線を上に上げれば……それでも姿は捉えられないが、重くはないが軽くもない負荷で察せる。
「いつもいつも、なにを生き急いでんだか知らないけど」
俺の頭頂に腕を乗せ顎を乗せ、マウントしているのであろう大先達。自称後輩一号こと黒尽くめの少年が、お手本のような「はーやれやれ」の溜息を披露。
「自分を、もう少し顧みた方がいいんじゃないの」
「………………最近は、頑張ってる」
不思議と、俺が傍観する『俺』は落ち着いている。わけもわからず連鎖する状況を当然と捉えるまま、後輩の説教めいた言葉に苦笑を返して、
「頑張ってる、からさ」
「から?」
「頑張ったら頑張った分だけ、なんでもかんでも成果を出しちゃう自分を」
「いや、流石に、なんでもかんでもは────」
刹那、頭の上から重みが消えて、目の前にいたのは、
誰か。
「ま、大丈夫だろ」
「なんとかなるって」
「なんとかするって」
よくよく見知った、けれども誰よりも知らない、
俺と。
「「……────もう、進むしかないからな。この大馬鹿野郎が」」
殴り合うように、呆れかえるような、笑みを交わした。
◇◆◇◆◇
「────ハル」
「っんぇ」
そして、声を掛けられ目が覚めた。
バチッと目を開ければ、見慣れているどころの話ではない天井。そこは半年の留守を経て薄れはすれども、無くなりはしない己が気配に満たされた部屋。
横たわるまま、見上げるまま、視線を移した先には、
「……おはよう?」
縦横斜め三百六十度。いつ如何なる時に如何なる角度から見ようとも変わらず、甚だ空恐ろしいまでに美しい、真っ白なお姫様が無表情で……。
いや、
俺には判別できる優しい微笑を湛えて、他の俺でもない俺だけを見ていた。
「………………やべ、わり、いま、なんじ……寝過ごした……?」
「大丈夫。さっきから二十分くらいしか経ってない」
今の今まで見ていたであろう〝夢〟は曖昧かつ即座に溶けていった。
が、記憶自体はハッキリしている。懐かしき実家の自室に踏み込んで、無限に湧き出した安心感というかなんというかに誘われるまま無意識にベッドへ転がって、ほんのり旅の疲れを癒す程度と目を閉じて────まあ、ゲームセット。
普通に寝落ちして、今に至る、と。
んで、
「おはよう」
「はいあい、おはよう……」
こうしてアーシェが、起こしに来てくれたと。自由に出歩いて探しに来いと言ったのは俺であるからして、部屋へ入ってきたのも『勝手』ではない。
贅沢が過ぎる目覚ましに返すのは口にて挨拶、心からは感謝のみだ。
さて。
「ふぁ……────皆、どうしてる?」
俺を起こしに……というか、呼びに来た。ということは、何かしらの動きが既に起きているか今から起こるってなところだろう。その可能性が八割。
残りの二割は、単にアーシェが俺を構いに来たという可能性。けれども、
「二人は一階。あなたのご両親と交流中」
「早速すか」
同じ家の中に誰かがいれば、なんとなく気配は感じるもの。直接的に声や物音までは伝わって来ずとも、階下の賑いってやつは床越しに察せられるものだ。
ので、だろうなという納得が半分。
そして、思いの外……ではないにしろ、アグレッシブだなと思う感情が半分。
「………………」
そんな風に、寝惚けた声を引き摺りながら曖昧に笑う俺をアーシェが見ていた。
「……落ち着いてる」
「うん?」
見て、視て、首を傾げた異国の姫は、甚だ場違いの極まっている俺の実家の俺の部屋で……──甚だ、状況に則さぬ俺の様子を口にした。
「誘う時は、あんなに緊張していたのに」
「あぁ、うん。それは、まあ……」
自覚はしてる。単純な話だ。
「なんとかなるって、なんとかするって、わかってるから」
「…………」
「はは……」
やはり曖昧な言葉。まだ寝惚け半分、適当を返すように笑んだ俺は、
「……ハル」
「なんでしょう」
「寝起きの無防備なコンディションで、そんな可愛い顔を見せられると、困る」
「なにがでしょう」
「…………言わせたい?」
「……滅相もございまへん。やめへ」
目を細め明確に無表情を崩したアーシェから、責めるように頬をつつかれた。
全部に意味が在るけど読み解く必要性はゼロ。