杜の光
アルカディアに存在するエネミー……──というか、ヒトならざる存在は大別して二種。自ら襲ってくる奴あるいは基本は穏やかな奴だ。
まあ戦闘をコンテンツとする多くのゲームで当然に存在する『敵の個性』のようなものだが、こと仮想世界において後者は相当に珍しいモノとされている。
怪物たちを指して、大体の場合どのプレイヤーも〝モンスター〟ではなく〝エネミー〟という言葉を使うのが証左とも言えよう。俺も無知無知であった初めの頃はともかくとして、今では完全にエネミー呼びが染み付いている。
具体的にどのくらい稀少かといえば、まあザックリ「千分の一か万分の一か」とか適当に語られる程度。千も万もモンスターもといエネミーの種類が存在する頭のおかしさは今更なので呑み込むとして、それほど比率が偏っているということだ。
俺も今に至るまで数種しか出会ったことがない。
例えば東陣営初心者エリアPart.1こと【地平の平原】で草を食む馬鹿猪とか、例えば【隔世の神創庭園】のとある湖に生息する月光亀とか。
……そんなもんか? とにかく、この世界のヒトならざるモノたちは好戦的である。────いや、好戦的で済まされるレベルではないか。
プレイヤーを見れば即ぶち転がしとばかり速攻で牙を剥き出す勢いは、それこそ何かしらの〝設定〟が在りそうな無さそうなといった具合である。
────結局のところ、なにが言いたいのかといえば。
「…………………………えーと、……────襲う? どうする?」
「ん……」
「…………そ、その……」
ある種「さあ成長の糧ですよ」とでも言わんばかり、だだっ広い草原にドバっとわざとらしいまで大量に撒かれた馬鹿猪を狩るみたいなシチュならともかく。
一定以上のダメージを与えるとトカゲの尻尾切りが如く甲羅を爆散させて逃げ出してくれる亀さんに……申し訳なさを飲み込み、あくまで命ではなく甲羅の欠片を求めて挑み掛かるようなシチュならともかく。
「……キミも、そゆとこ躊躇い、あるんだ?」
「いや、そりゃ……」
現実ではないといえど。作り物であるといえど。
仮想世界において生きているとしか思えない『基本は無害で穏やかな存在』へ、得物を向ける。それに忌避感を覚えるプレイヤーは少なくない。
別に、なにかしらシステムによる処罰があるわけでもない。なんらかの形で、非戦を推奨する掟が掲げられているわけでもない。ない、が……。
まあ、俺たちはエゴに塗れたヒトなので。
「「「………………」」」
「や、うん。あたしは全然アレ、戦い自体も戦うかの判断も任せるけど……」
例えば、こんな風に。
『──────────────……』
目前へ迫っても動く気配を見せず、こちらへ静かに顔を向けてジッとしている。
そんな存在と相対した時、娯楽の中とはいえ無邪気に武器を取るか否か迷ってしまう。どうしたものかと困った顔をしているのは、俺に限らずだ。
おおよそ五メートル。至近と言って差し支えない距離までスルスルと障害も何もなく寄れてしまった今、俺もソラもアーシェも正しく首を傾げていた。
────この光の塊、本当にエネミーか? と。
しかしまあ、とりあえずのこと言っときたいことが一つだけ。
「「………………コレ、どこが」」
なんて口を開いたら、見事にアーシェと声が被った。なるほど彼女も俺と思考を同じにしているのだろう、然らば今度も声を合わせて……──
「────〝兎〟なんだ?」
「────〝兎〟なの?」
「………………ん? はぇっ? え、と……?」
「…………」
便乗はしなかったまでも似たようなことは考えているのだろう、俺たちの問いに疑問の反応を示したのはソラさんを除いてニアちゃん一人だけ。
いやニアもニアで「うさぎ……???」と極まった疑問形ではあったが、流石にコレは見間違うにしても兎にゃならないだろうと。
だって、コレは、どう見ても────
「〝犬〟だろ」
「〝竜〟に見える」
どうみても超デカい〝犬〟──────────……ん? 待て、なんて?
明らかに食い違った意見にアーシェと顔を見合わせたのは同時。不思議そうにパチパチと瞬くガーネットの瞳には、俺が同じように映っていることだろう。
重ねて、Why? いや、だから、どう見ても……。
「……え? え、いや〝犬〟だろ。デカい犬。確かに輪郭ぼやけてるけども、この人類の友たる安心感満載のフォルムを流石に〝竜〟とは言わなくない?」
「…………なにを言ってるのか、わからない。どうみても小さな〝竜〟でしょう? 〝犬〟には、こんな長い首も太い尻尾も立派な翼も生えてない」
「………………」
「………………」
「「……???」」
言いたいことを一つ言って、わかったことは一つだけ。
「ぇ、あの……やっぱデッッッカい〝兎〟じゃない? 〝犬〟とか〝竜〟とか、あたしにはどっちにも全然まったく見えないというか……え???」
なんか、おかしなことが起きている。
「……そ、ソラさん」
「ソラ」
「ソラちゃん?」
「────……っぇ、あ、えと、はいっ?」
自然、最後の一人へも意見確認を飛ばしてみれば。
「ぁ、と…………私は、その……」
少女はジッと、やはり全く動く気配を見せない光の塊を見つめた末に。
「………………────ひ、…………〝人〟の形、に……見えて、ます」
大方の予想通り、俺たちのどれとも違う答えを口にした。
「殊更なのが来たな……」
「え、そういう感じ? やっぱ?」
それは、つまるところ。
「……確定ね」
名称不明エネミーかすらも不明なコイツは、
「全員、違う姿に見えてる」
その在り方に至るまで、意味不明の塊だということ────
『──────』
その時だった。長い不動と沈黙を破り、光の塊が動きを見せたのは。
「にゅっ……!?」
悲鳴を上げたのはニア。
しかしどちらかといえば驚きは〝光〟に向けられたものではなく、その動きに反応して周囲で一斉に構えを取った俺たちに対してのものだろう。
全くもって構わない。
反応が追い付かずとも俺たちが護衛を全うする。
────油断はなく、瞬き一つの内に彼女を抱き上げ安全圏まで退避させられる自負もあった。俺だけでなく、ソラもアーシェも対応の自信はあっただろう。
だから、こそ。
「────あ?」
「────え?」
「────っ」
俺たち三人ともの守りも意識も擦り抜けて、前から後ろ。
忽然と姿を消したかと思えば、刹那の内にニアの背後に在った〝光〟へ、驚愕の感情と対処不能の事実が俺たち全員の思考を染め上げた。
然らば、文字通り、どうしようもないくらい────俺をも上回る光の速度で。
「「「ッ────」」」
「────────……へっ?」
ソレが彼女に触れるのを、止められる者は誰もいなかった。
私には大きなカラスに見えます。