煌めく湖
三十分、経った。
「────ヤバくないです?」
「ヤバいわね」
「ヤバい」
斯くして、ひっそりと。
完全なる二人の世界を披露している岸の二人を横目で眺めつつ、いい加減に無邪気を装っての水遊びに励み続けるのも限界を迎えつつある他三人。
ノノミは微笑ましさ半分の呆れ半分、ナツメは呆れ八割の慄き二割、リィナに関しては平常運転の無気力顔だが、おおよそ重ねた言葉の通り胸の内は共通だろう。
それ即ち────なんだアレは、ピュアの極致かよと。
「あれもう完全に私たちのこと見えてないですよ。時間感覚も吹っ飛んでますよ」
「なんなのアレ。指、ちょこっと絡めたまま微動だにせずって……」
「小中学生みたい」
一応は声を潜めてチラリチラリ程度に留めてはいるが、最早そんな気遣いが本当に必要かさえも怪しいところ。明らかに互いを意識しすぎて固まっている未交際バカップルの感知領域は、共にそれぞれしか映していないことだろう。
湖へ遊びに……もとい、水遊びついでの調査に来たというのに、水に触れることなく脇で座っている青春ペアの方が余程この場において主役顔と相成っていた。
────まあ、それならそれで。
「小中学生でも、今時はアレよか進んでる気がするけど……リィナ先輩、ああいうのは嫉妬対象じゃないわけ? や、女子目線じゃなくて妹目線で」
「別に。さっさと付き合えばいいくらいしか思わない」
「むむ……このトーンはマジボイス。そっかーリィちゃんは『お兄ちゃん取られちゃうのヤダー』みたいなのはナシ系タイプの妹かぁ」
「〝家族〟の恋愛は応援の対象だから、ね」
「……サッパリしたこと言っているように見せかけて、諸々おかしいんだけども」
「でも嫉妬はする、よ。極一部の相手に限って」
「ふーん。例えば誰?」
「あ、はいはいノノミちゃんわかりましたーっと!」
「ミィナが私に見せ付けるようにふざけてじゃれついたら、多分キレる」
「ぇ、こわ……」
「そうでしょうこわいでしょう。ちなリィちゃんのマジギレは私いつだか一回だけ見たことありますけども、アレを自分に向けられたらノノミちゃんは泣きます」
「こわ……」
「ナツメちゃんも気を付けて、ね」
「ん……? …………へ? は、ぇっ嘘でしょウチも『極一部の相手』……!?」
「『好き』で近付くなら別にいいけど、おふざけでちょっかい掛けたら怒る、よ」
「いや、そういうちょっかい掛ける気なんて微塵もないけど……ぇ、ないからね? ウチは単に後輩として可愛が────ん゛んッ……接してるだけだしっ」
「うん、今の感じなら別に。お兄さんも楽しそうだし、仲良くしてあげてね」
「えぇ……」
「すーっごいですねこのリィちゃん。もう完膚なきまで妹面ですよ超かわいい」
「…………………………ガチの女難まみれね、アイツ」
「なお近しい男性陣からも割かし重めの感情をチラホラ向けられている模様……ふふふのふーですねぇ本当にもう見てて飽きない御方ですよぅっ!」
と、好き放題に語るのみ。
案の定、推定小中学生未満の二人は意識をこちらへ向けることもなく。放っておけば数時間でもそのままでいそうな雰囲気────といったところで。
「……で、もう流石に十分じゃない?」
「遊んでるフリ、疲れてきた」
「んですねぇ。そろっと戻ってきていただきましょうかー」
空気読みは以上を以って了。
そろそろ『ついで』こと本題へ乗り出すのにも適当な頃合いだろうと、ノリとテンションを装い水と戯れていた気遣い三人組は揃って岸へ足を向けた。
◇◆◇◆◇
「──…………………………成程。……きょ、興味深い、ね」
「そう、だな。うん。どうせまたアレやコレや裏ストーリーがあるんだろうな」
なんか気付いたら、三十分以上も経っていたらしい。
斯くして然して、ニアと二人で延々とフリーズしているところへ声を掛けられたのが五分前。そこで特大の羞恥と共に現実へと引き戻された後、俺たちは『湖』を訪れた主題に馬鹿真面目な顔して挑み始めたのだが……。
「今更そんな取り繕っても遅いわよアンタら」
「まだ顔赤いですよぉ~? 二人とも大丈夫ですかぁ~???」
と、このように時すでに遅し。どれだけ取り繕おうとしたところで、ひっそりこっそり────否、最終的には堂々と観察されてなお気付くことのできなかった馬鹿二人に揶揄いを跳ね退けられる権利も力もあるはずがなく。
「「…………………………」」
「黙っちゃった」
俺はニアと二人、潔く罰を受けるが如く恥の炎に焼かれていた。
なお最後。ほんのり可笑しそうにポツリと呟きを零した妹殿は特に変わらず機嫌良好。ヒトのことを『駄妹』などと言えなくなった駄兄の無様諸々は気にした風もなく、立場が墜ちた俺の弱みに付け込んで背中に引っ付いていた。
体温とか感触とか知らん。アバターの触覚は気合で全部オフにした。
────ともかく、強引にも是非さて置かせていただいて、だ。
「……結局は、飛び込んでみなきゃわかんねぇか」
「そですねぇ。〝コレ〟だけ鑑ても大した考察はできないかと」
水を滴らせ直球で目に悪い水遊び組が舞い戻り、岸で輪を成し元通り五人。
その内ニア、ノノさん、そして俺。最後の初心者はオマケになるが、魔工師三人それぞれに鑑定眼を光らせていたのは、各自が手にした『石ころ』だ。
一つずつ掌に乗せているモノのみならず、敷物の上に色とりどり大小様々てんこ盛り。なにかといえば、これら全て湖の底に沈んでいたモノ。
────より正しくは、湖の底を形成している水晶の玉石。
超巨大な一枚岩の上。程よく涼しげな緑のベール。高所より一望できる周囲の絶景……と、事欠かない良ロケーション材料の筆頭として、到着より今まで一時も欠かさず俺たちの目を楽しませてくれていたモノ。
ガブ飲みしても平気レベルまで澄んだ水。空恐ろしいまでに透き通った湖の水面は、しかしながら受け入れた日の光と底にあるモノとの共演にて無色に非ず。
毒々しいとまでは感じない絶妙なライン。淡い彩で描かれた色彩画の如く、揺れ動く様々な色の輝きによって仄かな光を放ち続ける煌めきの湖────
まあ、ほぼ間違いなく『なにかあるだろう』ってね。
ないならないでバカンスもとい存分に羽を伸ばせばいいってことで昨日、報告した瞬間にテンションをぶち上げたノノさんの強い希望で足を運んだわけだ。
で、予想はアタリ。
「なっちゃん先輩?」
「ん、三十メートルってとこね。綺麗な縦穴で、その下は一気に広くなってるわ」
〝糸〟を以って先行調査をしてくれた子猫様の言う通り。どうも湖の中心点、ぽっかり口を開けた『入口』から先が存在しているらしかった。
ちなみに、ニアの透視眼では見通し不可。
湖面の底どころか周囲一帯の地盤に悉く埋まっているらしい水晶石が僅かだが魔力を宿しているらしく、彼女の魂依器は視線を遮られてしまっている。
それゆえ一体全体どのような感覚を得ているのか、糸を遣わして読み取った【糸巻】殿からの情報でしか想像の材料は得られず。水晶石に関しても三人共に『ちょっと珍しい石』くらいの所見しか出なかったので……まあ、つまり、その。
〝道〟は、一つしかないわけで。
「そ、……っか……………………………………ねぇ、なっちゃん先輩様」
「なによ。次その変な呼び方したら蹴っ飛ばすけど」
俺がデカい水溜まり恐怖症であるという情報は湖を訪れる際に白状済み。なので水遊びに参加しなかったのも揶揄い少々程度でスルーされたが、それはそれ。
おそらくだが『ガチの状況になれば気合入れるだろう』くらいに思われてるはずで、その認識は決して間違っちゃいない。が、しかし……。
「この湖、闇魔法でジュッとイケない?」
「ぇ、蹴っ飛ばされたい?」
俺の水怖いガチ度と精神的綱引きが思考展開された結果、今の『ちょっと調べてみようぜ』程度の攻略優先度では全くもって甚だ足りていない。
デカい魚(?)が跳ねた程度でビビる男のトラウマ度を舐めないでほしい。
触れなきゃいい。水際へ近寄るくらいであれば許容もできる────でも飛び込めるか踏み入れるかと問われたら答えはNO。
先日の【水俄の大精霊 ラファン】云々に関しては、特大の報酬が約束されているという一点で川に飛び込むのも水に吞まれるのも激ホラー鯨との死闘を演じるのも気合百発で許容できた。逆に言えば、そんくらいじゃないと心がキツい。
わかりやすく示せば、こうだ。
「見て」
「は?」
「見て、足」
「は……? なに……、…………」
さぁどうよ────震えてるのが、おわかりか?
「あちゃー……ちょっと甘く見てましたね、ガチ目な弱点でしたか」
と、ノノさんの言葉が実際この場にいる俺以外の総意だろう。水怖いとは伝えたものの、子供の頃に遭遇した事件云々のリアル情報は伏せていたゆえに。
冗談ではなく可能であれば全力で水の世界とは無縁で生きていたいと、そんな俺のスタンスは今を以って正しく伝わったことだろう。
「だ、大丈夫……?」
「無理はしないでいい」
実情を正しく理解したと思しきニアの心配そうな声、そしてリィナの優しげな声が心に染みる。蹴っ飛ばすなどと言っていた子猫様も毒気を抜かれたような顔だ。
情けないこと極まりないが心傷ばっかりは仕方なし。女子の只中で男が弱みを白状するなど余程のことだ、真面目度は間違いなく伝わったはず。
「……まあ、そうね。元々なにかあっても様子見くらいの予定だったし、別に今すぐ行こうが行くまいが大して変わんないでしょ。次回の誰かに任せましょうか」
「面目ねぇ……」
「アンタ最初から水怖いって申告してたじゃない、謝んなくていいって。ウチも水中ってなるとアレコレしんどいし、無茶する必要なんかゼロよゼロ」
「なにか在るって判明しただけ成果ですからねぇ。ぶっちゃけハルさんは移動係で既に百人分ないし百万人分は働いてるわけですし偉いえらーい!」
「なんにも役に立っていない上、たとえ攻略に乗り出したとして貢献力皆無な妹もここにいる。お兄さんは胸を張っていて大丈夫。よしよし」
そうこうして、なんか唐突にメッチャ甘やかしが始まった。
男として避け得ず嬉しくもあり、男として避け得ず情けなくもある状況。果たして、散々のフォローを得て顔を上げた俺の目に映ったのは、
「…………」
「ぇ、なに。ごめんなさい……」
お優しい女子に囲まれている男を眺める、藍色娘のぷくっと膨れた頬だった。
普段はしないけども、イチャついた直後でお熱な心だと流石にね。
ちなみに主人公がラファン攻略を頑張れたのはパートナー様&お師匠様が同行していた無敵の心強さも特大の要因。初のクラン遠征で浮かれてたのもアリアリ。