おはよう難事
「────……」
目蓋を持ち上げた瞬間、ハイスペックPCが如き速度で精細な思考が立ち上がる。
あまりにも清々しくサッパリとした現実味のない目覚め。耳元で……否、頭の中で朗々と響くアラームの音がなくとも、此処がどこであるのか即座に思い至る。
相も変わらぬ、仮想世界で寝起きする特有の感覚だ。
────ってことで、まあアレやコレやとイベント初日を終えての翌日。
一応は有り得ることが確認済みの不定期の突発襲撃に備え、就寝時間を調整して見張りを買って出るのが初期より俺の常となっている。
ので、VM11:00の襲撃終了から即寝する運びの戦闘員各位が、星空イベント固有の『眠気デバフ』を規定の四時間で消化した後の入れ替わりでAM3:00就寝。
からのAM7:00起床が【星空の棲まう楽園】における俺のルーティーンだ。
初回も初回は総員がVM9:00にて一斉にデバフを発症したため、暫く超過累積の強烈な眠気に耐えたりなど苦労があったものの……ま、そこはアルカディア。
生活リズムの調整なんかも当然のことシステム的に可能となっているわけで、今ではデバフ発症の時間を俺含め各員バッチリ調節済みである。
さて、つまるところ。
基本グループ内で最後に起きるのが俺なわけで、起床すれば部屋の外が既に賑々しくなっているのは当然ながらいつものことだ。
なので、それは別にいい。現実準拠なら寝起きで喧騒の只中とか間違いなくメンタル的によろしくないが、仮想世界でのスッキリ極まる寝起き感なら問題ナシ。
ゆえに、今。
目覚めと同時に何やら違和感を感じて首を持ち上げ、視線をやった先────当たり前のような顔で人様の枕元にペタリと頬を乗っけている不法侵入者こそが、俺の顔を盛大に引き攣らせた大問題の元凶である。
「…………………………………………なにやってんの?」
寝起きの第一声、純に疑問を投げ付ければ返ってきたのは薄っすら笑顔。
「『兄』を起こすのは『妹』の役目、かなって」
「知ってるか。ただ寝顔を観賞する行為を『起こす』とは言わないんだよ」
斯くして妹を名乗る住居不法侵入者が愉快なことを宣うが、状況は全くもって愉快じゃない。そりゃ確かに緊急時に叩き起こしてもらうため鍵もなにも掛けちゃいないが、だからって非緊急時に堂々と踏み入り寝顔をガン見するのは犯罪行為だ。
「……ぇ、いつからいんの」
「ん……三十分くらい、前?」
「起こせや! いやデバフ消化中に起こされても困るけどよッ……!」
犯罪行為である。ギルティ妹。
「……お兄さんは」
「ぉ、なんだ何を言おうとしてる。なんか不穏な気配がするから黙ろうか」
「寝顔もそうだけど、完全に気が抜けると凄く幼い顔になる、ね。可愛い」
「お前のブレーキはどこにあんだよマジで……!」
もうなんというか、兄妹宣言から欠片も落ち着くことなく完全無敵の様相である。なにを言おうと暖簾に腕押し、口でコイツを押し留めるのは不可能だろう。
ゆえ、性懲りもなく必殺さわさわを繰り出そうとしたのだろう小さな手は要迎撃。容赦なく手首を捕まえれば不満気な顔を隠さないが、好き放題は許すまじ。
「おはよう」
「むぅ……おはよう」
身体を起こしつつ憮然とした顔で挨拶を投げると、我儘放題な妹分から返ってきたのは────やはり、不満を隠さぬ生意気な声音ばかりであった。
◇◆◇◆◇
「あ、おっはようございまーっす!!!」
「ハイおはようさん」
ここは夢の仮想世界、なればこそ寝起きの支度など要はナシ。
言うに事欠いて『お目覚めの仲良し兄弟スキンシップ────』などと正しく寝惚けたことを宣う馬鹿者をヒョイと担ぎ上げ、表に出て広場に向かった俺を迎えるのは元気一番も甚だしい明るさ満点おはようの声。
今日もパッと見なにも考えていなさそうなノノさんに挨拶を返せば、お決まりの周囲面子からも順次『おはよう』が渡される……最中、俺が睨むは一点のみ。
「ぇ、な、なに。なんで睨むのっ……」
「なんでかは重々ご承知のことと存じますけど?」
他ならぬリィナの口から『ニアさんに許可は取った』とか可笑しな事実は受け取り済み。ニアに許諾を得ようとするのも可笑しな話ならニアが許諾を出すのも可笑しな話、俺の周りには大なり小なり可笑しな奴しかいらっしゃらない。
「い、いいじゃん別に起こすくらい……意識、し合っては本当にないみたいだし」
だから安心と信頼を以って送り出したってか。ははウケる。
「起こすもなにも、コイツただ延々と寝顔を観賞してただけなんですが」
「……リィナちゃん?」
「『兄』の寝顔は『妹』のモノかなって」
「そ、そういうのは、共有財産にした方がいいんじゃないかなって……!!!」
俺の周りには、大なり小なり可笑しな奴しかいらっしゃらない。
「朝からモテモテですねぇ! このこの────ぁっごめんなさいホントごめんなさいヤメてグルグル巻きにしないで朝から刺激が強い絵面ができちゃうっ……!」
とまあ、恐れを知らず弄りを突っ込んできたオレンジ色を影糸簀巻きの刑に処したところで戯れは一端の締め。盛大な溜息一つで場を強引に流しつつ……。
「確認するけど……やっぱ全員行くってことで、変わりないんだな?」
俺が口にするのは昨日、広域調査より『成果』を抱えて帰還した後に持ち上がった話について。然らば一応は一般人枠となる鉄さんを例外的に加えて数える〝いつもの面子〟の内、声を手を上げるのは俺ともう一人を除いたほぼ全員。
「はいはーい! ノノミちゃんは絶対いきまーっす!」
「ま、暇だし」
声で以って肯定したのは、元気印と子猫が一匹ずつ。
でもって、なんとも言い難い顔で視線を逸らしつつ小さく手を上げるのが藍色娘。手を上げるってか『離れる気ゼロ』の意を示すように俺へ引っ付いているというか齧り付いているのが無敵のちみっこ妹分。
つまるところ、女性陣全員。
……気持ちはわかる。わかるし、…………うん、わかるんだけども。やっぱこう例の〝話〟が話だけに俺としては気が重いどころのアレではないというかで。
マジで、男も同行しなきゃいかんのかと。
いや同行するもなにも距離的に連れていけるのが俺オンリーなわけだから、そりゃもう根本的な前提として俺が行かなきゃ話にならないんだけどもさ。
だけどもさ…………と、日を跨いでもなお気が乗らない男一匹を他所に。
「っはぁー楽しみだなぁバカンスしちゃうぞぅ!」
「一応は非安全地帯なんだから、気を抜き過ぎないようにね」
「楽しみ」
「…………ぅ、うん。まあ、うん。楽しみは、まあ……」
単独姦しいを除いて大盛り上がりというほどではないが、一人だけ照れが先走っているのだろうニアを含め紅四点はトータル揃いも揃って楽しげな様子だ。
なればこそ、俺の味方は一人だけ。
そう思い隣に立つ野郎仲間へ命乞い、もとい慈悲を求む視線を送ってみる。
「……鉄さん、マジで来ない?」
「遠慮しておこう。楽しんでこい」
「こういうのを純に楽しめる類の陽キャじゃないんだよ俺……」
結果、判明したのは無慈悲なる孤立無援の事実が一つ。今度はどれだけ盛大な溜息をつこうとも、状況が流れてくれないであろうことは確実だった。
「……大丈夫?」
「ダメです」
妹よ、兄を助けてくれ────ぁダメだコイツも俺を追い詰める側だったわ。
誰か、俺を、助けてくれ。
次回、地獄のバカンス。主人公は死ぬ。