告白
ともすれば【不死】の隠形にも匹敵するような、看破不能の空蝉の術。
詠唱は不要、必要魔力は極小にて起動を気取ることは不能。プレイヤーの認識を騙くらかす幻惑魔法《夢幻ノ天権》を以って、リィナが仕掛けた特大の悪戯。
仕掛けた本人も、仕掛けられた内容も至極可愛らしいものであると認めよう。しかし────問題は、仕掛ける相手が『可愛い悪戯』では済まないということ。
で、まあ……。
「……あのな、こういうの、非常によろしくないんだ、俺。わかるよな?」
問答無用で容赦なく、放り出しはしなかった。ならば今この瞬間、俺にも一定の『罪』が付与されたのは言うまでもないことだろう。
完璧に紳士と真摯を貫くのであれば、一秒たりとて許してはいけないはずの戯れ。けれども俺が初手に行動ではなく言葉を選んだ理由は、
「…………ん」
これまでになく距離を詰めてきた小さな背中が、これまでにない雰囲気を以って、これまでにないほど頼りなく小さく小さく見えてしまったから。
甘い、わかってる。
なんと理由を述べようが、なんと思考の流れを取り繕おうが、意中の相手ならざる異性と触れ合ってしまっている今の俺は正真正銘の不埒者だろう。
けれども、だけれども。せめて言い訳をさせてもらえるのならば────
「……………………はぁ。どしたよ、本当」
「………………うん」
「『うん』じゃ、なんもわからんて」
────本当は〝お兄ちゃん〟と、呼びたいのかも?
いつだか此処で、お師匠様に揶揄われた時の言葉を思い出してしまったから。
なんだか頼りないリィナの様子が、どうにも『一つ年下の異性』ではなく『兄貴分に甘える妹分』としか見えなくて、跳ね退ける気が失せてしまったから。
いや、妹分どころか大先輩なんだけどさ。
「まぁ、なんだ……なんかあるなら話したまえよ。特別に聞いてやるから」
致し方なし、この世には罪を被ってでも受け入れねばならぬ時と場合というものが在るのだろう。……状況を正確に伝えれば、跳ね退けようが跳ね除けまいが俺は両パターンそれぞれ別方向の理由で怒られることは想像に容易いしな。
俺の意中の人たちは、全員とびきりの善性の塊であるからして────
「……やだ」
ほら、見たことか。
「『やだ』じゃないんだよ。そんなん通らない状況を作ったのは自分だろ」
「…………うん」
返ってきたのは、ある種の熱に浮かされた女性の声ではなく、ままならない〝なにか〟に拗ねて膝を抱える少女の声音。
それで現状の罪が軽くなるわけではないのは重々承知だが、一つ安心はしていいのだろうと思えた。リィナの様子を見る限り、これはそう……。
俺自身に向けられた、恋愛方向の話ではないのだと。
◇◆◇◆◇
────血は繋がらずとも偽りのない家族にして、姉であり妹であり親友。そんな相手の隣に、自分以外の〝かけがえのない誰か〟が納まった。
願うほどではないが、応援していたことである。
真剣になるほどではないが、気を割いていたことである。
そして叶った今、それ自体に向ける感情は素直な祝福ただ一つしかない。
誓って、リィナは嫉妬しているわけではないのだ。
姉であり妹であり親友を幸せにしてくれるのであろう〝誰かさん〟に、生まれた時から繋ぎ続けていた手を託したことに、寂しさを覚えているわけではない。
自分より優れた半身の傍に在り続けて十七年余り。なればこそ、強く柔軟に生きるために己の心を正しく読み解いてやる術は会得している。
なればこそ、断じて、自分がネガティブな感情で心乱しているわけではないとリィナは己が心を言語化できる。だから、これはそう────
恥を忍んで白状するのであれば、単純な話。
「私は、実は、重度のブラコン」
「なんて???????」
誰よりも近くで見せつけられて、羨ましくなってしまったというだけのこと。
「『ブラザーコンプレックス』────男兄弟に対して強い愛着や執着を持つ性質。……注釈すると、恋愛に発展するタイプは個人的に解釈違い」
「言葉の意味を問うたんじゃねぇ!」
お兄さんが混乱の声を上げるのも、無理なきこと。
けれども許してほしい。こんなこと、洒落にならない悪戯で自ら逃げ道を塞いだ上で、唐突に前触れなく勢い任せで吐き出さなければ伝えるなんて無理だから。
「幼稚園や小学校に通っていた頃。七夕みたいに願い事を書かされるシーンで、私は『お兄ちゃんが欲しい』以外の願望を書いた記憶がない」
「マジで待ってくれ、これなんの話???」
「家族しか知らないトップシークレットだから、お墓まで持って行ってね」
「謎すぎる重大機密を唐突に他人の脳へ植え付けないでいただける!?」
重ねて、混乱するのも無理なきこと。────そして、そんな素直が過ぎる様子を晒しつつ純真に付き合ってくれる姿もまた、リィナの『理想』そのままで。
「ミィナも、お兄さんのこと『お兄さん』って呼んでるでしょ」
「ぁ……? そ、そうっすね。…………え? もしかして奴も」
「アレは単に、相乗りで私のことを揶揄ってるだけ」
「どういうプレイ??? いやプレイとか言っちゃったよ待て待て待て待ってくれ本当マジで思考も感情も追い付いてねぇから三十秒だけ待ってくれ……‼︎」
リィナこと【天羽 理奈】は、ミィナこと【才門 未奈】と姉妹である。
ゆえに育った環境が環境なら、際限なく注ぎ込まれた愛情の量も量。然して姉であり妹であり親友でもあるアレほどではないが……────
「ミィナが仮想世界で『理想の居場所作り』をしていたように、私は仮想世界で『理想の兄探し』をしてた。……これも、お墓まで持って行ってね」
「まだ十秒しか経ってない……!!!」
リィナもまた、人並みを遥かに超えて人を好きたいし好かれたい性質。
その辺については、騒がしくもない性格で『アイドル』などをやっていることから世間に知らしめていないでもない。が、個人的な趣味と併せると別の話。
「えぇ……??? ブラコ……あの、でも、実際のとこ兄弟はいない…………」
「『兄』や『弟』がいなくたって、ブラコンを患う『姉』や『妹』は存在する」
「哲学的な話ですね?(???)」
宣言した通り、リィナの『ブラザーコンプレックス』は割と重症だ。
ここぞという場面では頼りになり過ぎる姉であり、平時は手の掛かり過ぎる妹のような存在が傍にいたからこそ、似て非なる異性の兄弟への憧れが加速した。
とりわけ『兄』────優しくて、格好良くて、頼りになって……でも可愛げもあって、妹が甘えたり揶揄ったりすれば狼狽えながらも受け入れてくれる。
そんな〝お兄ちゃん〟が、ずっとずっと欲しいと思いながら生きてきたのだ。
目を付けた第一号。囲炉裏は、なんかこう、ちょっと違った。
優しいし、格好良いし、頼りにはなる────でも可愛くない。初々しさが足りない。男として見れば相方が惚れるのも無理はないヒトと納得できるが、リィナが求める『兄』としての基準に照らし合わせれば残念ながら落第だ。
あと顔も〝お兄ちゃん〟っぽくない。いくら自分が国内有数の美少女と言えど、流石に金髪碧眼ハーフでは容姿のカテゴライズからズレているのでダメである。
で、満を持して現れた第二号が真逆の意味でダメだった。正直な話、もうこの際、ここに至っては、全ての恥をかなぐり捨てて……ぶっちゃけてしまうと、
「一目惚れだった」
「おい、またかよファンタジー……‼︎」
「その場でミィナにもバレた」
「お前らもつくづくファンタジーだな‼︎」
なんというかこう、リィナの求める〝お兄ちゃん〟オーラが凄かったのだ。
精神面の格好良さ……は、当時まだ定かではなかったが、些細な表情や振る舞いから察せられる優しく紳士的な雰囲気。そしてなによりも、ぼけっとした顔で状況に流され放題に流されている途方もないくらいの『可愛げ』が致命的だった。
リィナに対する、ドンピシャの致命撃。
顔もまたヨシ。とんでもない美形よりか、丁度良く整った現実味のある容姿の方が『兄』的には花丸満点。笑うと子供っぽい風味があるのも『弟』的要素まで兼ね備えていて実にヨシ。いい加減にしてほしかった。
……だから、総評、つまるところ。
「…………ミィナが好き放題に甘えてるのを見せ付けられて、我慢の限界になった。もう無理。恋愛には興味ないけど、私は今すぐ〝お兄ちゃん〟が欲しい」
「えぇえぇええぇぇえぇ…………────ぇ、あ、ちょ待ッ……!?」
悪いとは思ってる。とてもとても悪い女だ。
はしたないとは思ってる。とてもとても、はしたない女だ。
でも、どうしようもない。自分はミィナの半身である。
表層の性格は真逆でも、深層の根底に在る性格は────
「ごめんなさい。お兄さんの恋人、全員の説得は責任を持って私がするから」
「なに言ってんだ! 心の底からなに言ってんだ‼︎ えぇいヤメッ、ヤメロお前コラッぁっちょ抱き着いてくんな禁止そういうの禁止ストップストップ!!!」
「……本当に、いい加減にして。そういうの好き」
誰がなんと言おうと己を貫き通し、大惨事もとい大事を成す我儘娘なのだ。
リィナちゃんファンは今すぐ彼女の登場シーンを総おさらいしてください。理想の〝お兄ちゃん〟にベタ甘えするのを必死に我慢してる妹にしか見えなくなるから。
かわいい。