いたずら
「────それじゃあ、ね」
「あぁ、んじゃな」
サッパリもサッパリ、いつもの挨拶。
基本的に別れ際でグダるというかズルズル行きがちなソラやニアと異なり、アーシェとのソレは長引いた試しが一度もない。
別にどちらが良い悪いという話であるわけもないが……こう、らしいというか。
満足げな顔で、後ろ髪を引かれるような素振りもなく、いっそ漢らしいまでにキッパリ堂々と去っていく様は流石の【剣ノ女王】様。『序列持ち』が備える〝鍵〟を手に、微笑と転移光の残滓を振り撒いて消えた姿に俺も俺とて笑ってしまう。
相も変わらず、白馬の王子様にも成り得る『お姫様』である────
「……さて」
人の気配がない街の隅。料理の数々を堪能すると共に「んじゃ来週のイベントで」と店主に挨拶を残し、小料理屋を退店して三十秒。
見上げた空は、晴々の青……つまるところ、いまだ現実世界も仮想世界も日中。そして気兼ねなくフルタイムを注ぎ込める土曜とは違い、週明けの準備諸々をする必要があるソラさんに合わせて日曜の活動は平日と同じく午後からが常。
即ち、暫しの暇である。ならば生じる択はログインを続行しての暇潰し or ログアウトからの努力義務か……──と、普段であれば一考するところなのだが。
今日については、択は先程なくなった。
というのもアーシェとの食事中、不意に……こう、なんと申したものか、声が掛かったというか、呼び出されたというか、構ってメッセージを受信したというか。
ので、インベントリから取り出したるは〝鍵〟が一つ。
それはアーシェが用いたのと同じ各陣営拠点特別集会場への直通転移キーアイテム……ではなく、それとは異なる特別空間への道を開く家の鍵。
虚空へ向かって正しく鍵を用いるジェスチャーを行うか、あるいはグッと強く握り込むか、あるいは思考操作で起動を念じるかすれば────
慣れ親しんだ、転移の感覚。一瞬後にはクランのホームだ。
気配ナシなのは当然のこと、現在クランメンバーは誰一人としてログインしていないのを確認済み。然らば玄関から無人の共有スペースをズンズカ進み、迷うことなく足を向かわせるのは自室ではなく『憩いの場Ⅱ』と化している師の部屋。
いや部屋ってか居城。扉を開ければ奥に広がるのは、主が不在でも存在を失することがない【語手武装】によって築かれた固有世界である。
で、俺を迎え入れた笹葉のざわめきの中を歩いていくと……。
「よ。こんな時間に珍しいな」
縁側に在ったのは、穏やかに腰掛けるお師匠様の姿ではなく。
「……予定が当日キャンセルになって、暇になった」
長いライトベージュの髪をバサーっと板張りへ散らし、華奢な身体をグデーっと横たえたダウナーちみっこい先輩様の姿であった。
見慣れぬ様……とは、最近は言えないリィナちゃんである。
「相棒はどした?」
「予定が当日キャンセルになって、暇になった」
問うてみれば、返ってきたのは先と一言一句違わぬ言葉。ならば差異は、ほんのりダウナー味を増した声音と語り口から読み取るべし。
「成程。────ちなみに、相棒の相方は?」
「……予定が当日キャンセルになって、暇になったから」
「ははーん……」
先程までは俺も俺であったので、他所様へ対してニヤついた顔を向ける資格はないだろう。理解は静かに納得で呑み込みつつ、縁側へ腰を下ろした。
「「………………」」
まあなんというか、自然の無言。最近でも珍しいことではあるが、俺とリィナが不意に二人きりになると大体このままで時間が過ぎていく。
しかし他のクランメンバーが全員不在でも『合鍵』を使ってホームを訪れ、唯一ログインしているところへ声を掛けてくるということは……その、なんだ。
懐かれては、いるんだろうな。
「「…………………………………………………………」」
ただ、ぶっちゃけた話ほんのり気まずい。
彼女の胸中は知る由もないが、三人娘に義理立てしている俺にしてみりゃ他の異性と不必要に親しく接することが憚られるため対応に困る。
どこぞの子猫は隙あらば縊ろうとしてくる愉快な先輩様なので例外だ。対してリィナは普通に良い子で、実は歳が近い、世界公認の可愛い女の子。
本気で困る。
気まぐれで唐突にじゃれつかれでもしようものなら、そして回避を失敗しようものなら、即座に俺は自他共から有罪判決を拝領して無事お縄は不可避。そういった場面はこれまでもあったが、二人きりでとなると洒落にならない。
それゆえの、慎重を期した絶妙な距離感1メートル強だ。
「「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」」
けれどもまあ、重ねて、リィナは俺も認める仮想世界有数の良い子なのでね。
過去に何度か垣間見た天然男殺しな部分は警戒の必要があるものの、俺周辺のアレコレを把握して以降は例のさわさわも無くなっ………………頻度を減らしているのは間違いなく、こうして他に誰もいない場で距離を詰めてくる気配はない。
しっかり俺のことは慮ってくれているし、自身の立場も弁えているのだろう。
「「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」」
なので、責任と義務を以って最低限の線引きを心掛けてはおり継続も欠かさないが、幸いなことに必要はないと思われる。ただ隣に居ることしかできないため気まずさは如何ともしがたいが、別に居心地が悪い訳でもないゆえに────
神に誓う。
俺は気を抜いてもいなかったし、油断もしていなかった。
だから、そう。
「────……っは? え???」
隣で寝転がっているリィナの気配から目も意識も逸らしていなかったし、それは今も変わらない。バッチリ完璧に警戒遂行中だ。
だからこそ、マジで。
「……………………え?????」
まばたき一回、幻影が消える。
そして膝の上にある重みは消えず、ちっこい姿が目前に広がったのは……俺の、罪では、ないと、無罪を、主張したい、所存であるのだが────
「ちょっとリィナさん???」
「…………うん」
「いや『うん』じゃなくてですね……!?」
俺の、罪に、なるのかなぁ……?
大丈夫、きっとほのぼの案件さ。
知らんけど。