一名様ご招待
とまあ、いつになっても覆せる気がしない勝敗の常は置いといて。
あてどない散歩は俺も嫌いではなく、ご機嫌な連れが隣にいるとあらば何時間とて楽しめるだろう。実際そうしてアーシェと一日を過ごしたことは何度もある。
けれども今日については、俺が彼女を招待したい場所があったため……。
「……………………これはまた、本当に、とんでもないVIPを連れてきたな」
昼過ぎより二時間ほど、街をのんびりふらふら歩いた後。
お姫様がそれなりに満足した気配を滲ませ始めるのを見計らい、場所を移す提案をしてやって来たのは仮想世界────【セーフエリア】の隅の隅。
訪れたのは、小ぢんまりとした〝店〟が一つ。そして雰囲気ある暖簾を掲げた入り口を潜り、転移の感覚を経て相対したのは見知った顔。
「やっほー鉄さん。繁盛してる?」
「こんにちは」
営業日と営業時間はバッチリ把握済み。なれば今朝の内から予約は済ませてあり、個室へ通された俺たちを店主が出迎えたのは『お得意様』特典だ。
とはいえ、人を連れていくとは予告しておいたものの誰を連れていくとは言っていなかったので驚きの顔も当然のこと。俺の隣で世界有数の無表情を披露している姫君を見てから、鉄さんこと一鉄氏は呆れたような視線を俺へ向けた。
ごめんて。
なんとなく悪戯心が働いて名前は告げずにいたものの、それでも『VIPをお連れする』とは言ってある。高確率で序列持ち仲間が登場することは予測できたはずであるからして、どうか戯れはご容赦願いたいものだ。
ま、ともあれ。
「……まあいい。注文は?」
「とりあえず『おまかせ』で」
「わかった。待ってろ」
鉄さんは鉄さんで大物だ。いや小さな店で気ままに細々と活動している一種の無名プレイヤーではあるのだが、精神性というか構え方というかがね。
動揺と混乱を瞬時に呑み込んだのか、十秒足らずでスンと真顔を取り戻し……とんでもないVIPことアーシェに一つ会釈をして、店主は個室を去って行った。
「……彼が?」
「あぁ。我らが〝干支森〟グループの台所長だ」
然らば、和を感じさせるどころではなく。そのもの和ごころに満ちた高級料亭風味の座敷席へ、揃って脚装備を除装しつつ上がり込む。
向かい合って対面席。お行儀よく正座────二人ともファンタジー衣装を着こんでいるがゆえ、風景との相性は笑えるまでにミスマッチだ。
「いいお店ね。小さいけれど、趣がある」
「味も期待してくれていいぞ。俺は来るたび感動してるからな」
此処、小料理屋【鉄心】は仮想世界風の創作日本料理を提供する隠れた名店として有名らしい。いや隠れてんのか有名なのかどっちだよと思うが、黎明より仮想世界食を嗜んでいた美食家たちの間では名が知られているという話。
飲食関係の特別仕様により第一回【星空の棲まう楽園】以降『腹に堪らない食事』を許容するプレイヤーは爆発的に増加したが、しかし初心者が時流に乗って雪崩れ込むのは堂々たる店構えや大々的な宣伝で客を呼び込む店ばかり。
街の端っこ、かつ宣伝どころか客に『いらっしゃい』も言わない小店に目立つ余地などないのは……まあ、言うまでもないだろう。
なお、挨拶ナシというのは別に失礼無礼千万を働いているわけではなく。
「────……ふふ。現実では不可能な自動化」
「それな」
この【鉄心】は店側へ一切の気を遣わせず、ただただ提供する料理の味だけを自由に気ままに優雅に堪能してもらいたいというコンセプトであるためだ。
店員が運び込むでもなく、フッと転移によって卓上に現れた『お通し』がその証左。先に鉄さんが顔を見せたのは重ねて一応の特別待遇であり、本来この店は客が来店して注文して食事を済ませ退店するまで一切ヒトに会うことがない。
アーシェの言う通り、現実では成し得ない究極の無気配接待である。
コンセプト時点で確かに存在する気遣いを汲み取れるか否かで人によって賛否あるのだろうが、俺は素敵ファンタジー面白いという一点で肯定派。
あとはまあ、当然のこと────
「…………これ、なにかしら?」
「知らん。だが美味い」
とにもかくにも出てくる料理の全てが抜群に美味いのだから文句ナシだ。
現実で人に向かって投げたら即時傷害罪が成立しそうな、サザエLv.100とでも言うべき死ぬほど刺々しい凶悪お洒落な貝殻の皿上。
半透明のパールブルーに輝く刺身らしき〝なにかしら〟を箸で摘まんで口へ放り込めば、四ヶ月程度の付き合いを経て積み上げた信頼に違わぬ美味が広がった。
いっそゼリーのような見た目に反して、噛み締めた歯に伝わるのは貝類特有の小気味よい食感。そして一瞬後、ほどけた身から爆発的に溢れ出すは出汁の香味。
「…………美味しい。原材料の正体は、気になるけれど」
「鉄さんに聞けば大体は教えてくれるぞ。……たまに聞かなかった方が良かったと思うパターンもないではないから、その辺は自己責任でな?」
相も変わらず、理解の及ばぬ調理法が齎す奇跡の品なのだろう。そうなることを疑ってはいなかったが、無事に姫君のお眼鏡にも適ったらしい。
大袈裟に安堵するほどではないが、招待した者として一応は安心したってなわけで密かに息をつきつつ……スイっと、虚空に向けて右手を挙げる。
ジェスチャーに対して返ってきた反応は、クイックチェンジよろしく手の中に現れた料理目録が一冊。このシステムも極めて非現実的で好きですハイ。
「よく来るの?」
「月に三、四回程度かな……時間が空いた時とかに、ふらっと」
「ふらっと、ニアと?」
「お、見ろよアーシェ今日の日替わりドラゴンだってよドラゴン! おすすめコースで出て来なかったら追加で頼もうぜッ! ドラゴンッ!!!」
旗色の悪い方向へ話が進みそうだったので咄嗟に逸らしたが、別にニアとばかり足を運んでいるというわけでもなく一人で立ち寄ることがほとんどだ。
嘘じゃないよ、本当だよ。
「………………」
────で、俺の誤魔化しと内心をどう読みったものか。
アーシェは数秒ばかり、ジトっと半眼で俺を見た後。
「……ん、ありがとう。連れて来てくれて嬉しい」
「あぁ……まあ、その、うん」
合流できないのであれば、せめて雰囲気だけでも。
そう思い、ならば『食』を楽しんでもらおうと図らった俺の思惑はバレバレなのだろう。隠すつもりもなかったゆえ構わないが、嬉し気な笑顔がくすぐったい。
お赦しと見た。然らば、もうアレコレ気を回す必要はあるまいて。
「ぉ。さてお次は……────なにこれ? 石ころ?」
「これは知ってる。確か果物」
「前菜は華やかなものって常道に蹴り入れるビジュだな……」
あとは自由に、気ままに、優雅に、料理と時間を楽しむとしよう。
料理の詳しい解説とかやりだすと食事が終わるまでに数万文字の長編になる。