取り巻く平和
「────最近お顔を見せませんね、春日さん」
慣れた手つきでペティナイフを操る少女が、じゃがいもの皮剥きをスルスルとこなしていた折。隣に並んで同じく人参の皮を剝いているメイドがぽつりと呟いた。
「はい……? ぁ、え、そう、ですね……」
然して少女こと、そらの返答は戸惑い混じり。それは別に、メイドこと斎が口にした言葉自体に首を傾げる部分があったからではなく……。
「いろいろと、その……忙しい、ですから」
どことなく、ほんのりと、声音に不満気な色を感じたから。
いや、それ自体も別に不思議を感じることではない。週末の土曜と日曜の夕食時、やや強引な手引きで『春日さん』が四谷邸を訪れるよう図らったのは彼女であるからして、ここ最近『お顔を見せない』ことに不満を抱くのは自然だろう。
────けれどもそれは、そらのためという前提があってこそ。
つまるところ、少女が首を傾げた理由は一つ。
「そらが納得しているのでしたら、私は別に構いませんけれど」
「……え、と」
他ならぬメイド自身が、己の感情を以って、ハルこと『春日さん』が顔を見せないことに対して不満そうな表情を見せたこと。
……彼女のことだから不意に零れてしまったものではなく、そらに読み取らせてもヨシと判断した上で口でも顔でも露わにしたのだろう。
おかしな心配や邪推の必要性は、おそらく皆無。ならば返すべき反応は、
「斎さん、って……思ったよりも、ハルのこと、気に入ってます?」
妹として姉に向ける揶揄いの表情。そして揃って親愛を向ける者を話題に挙げて、お料理の供となる楽しい会話を召喚するための言葉だけ。
然らば、更に打ち返された言の葉は、
「ふふ、そうですね。つれない〝弟〟が顔を見せないことに、ついつい怒ってしまう〝姉〟程度には……気に入っているのかもしれません」
正解とでも言うように、コロコロと楽しげなものであった。
「まあ実際、将来的には義理の弟ですし」
「っ………………もう!」
姉妹の日常は、今日も平和で満ちている。
◇◆◇◆◇
「ズルい」
シェフ特製の素麺……というより、大皿に盛られた麺こそオマケとばかり多種多様な薬味やら付け合わせやらで賑いに満ちた、食卓を囲んでの夕飯時。
そういや伝え忘れていたなと思い出した案件を一つ話題に挙げた瞬間、向かいの席で盛大に頬を膨らませた『お姫様』が開口一番で不満を露わにした。
なお当社比。相も変わらず、慣れた人間でなければ気付けぬ無表情である。
さておき、なんの話かといえば────
「ナツメとばかり仲良くしてる。確実に私より長く仮想世界で一緒に過ごしてる」
────とまあ、そういうことで。
「いや、ちょ、待て。あれだよ。今回の件については『俺と一緒に』じゃなくて『ニアと一緒に』が、こう、ニュアンス的には正しくてだな」
来週末開催される第三回【星空の棲まう楽園】の舞台へ、なっちゃん先輩を俺が誘ったことに焼きもちを焼いているらしく……いや、違うか。
なっちゃん先輩にでも俺にでもなく、言葉はどうあれアーシェの不満は『自分が一緒にいられない』という現実に対して向けられていると見ていいはず。
これがソラ相手だったら嫉妬も露わにしたのだろうが、ニアとアーシェ曰く俺は『自分たちに夢中だから余所見の心配皆無』らしいので他所に嫉妬が向くことはないだろう。信頼が厚くて熱くて圧くて、いろんな意味で泣けてくる。
『まーまー。ってか、姫は今回も来れないの?』
「………………」
そして、ここで差し込まれる限定的嫉妬対象の言葉。
見ていて気持ちがいいほど豪快に素麺を啜る所作まで美しいのは見事だが、ガーネットに輝く姫君の瞳は手本のようにジトッと細められていた。
ズルズルズル、からの────
「……ズルい」
今度のこれは紛れもなく、純度百パーセントの焼きもちだろう。
『え、ごめんて。そんな睨まれましても……』
ちなみに瞬で気圧され小動物と成り果てたニアちゃん、どうしようもねぇくらい麺を啜るのが下手らしく開き直ったパスタスタイルで素麺を堪能中。
そういやラーメンとか蕎麦とかうどんとか、ズルズルいく系の麺類を食べてるとこ見たことなかったな……と、新たな一面を観察していたらジロっと睨まれた。乙女の食事風景をガン見するのは許されざる行為らしい。
と、隣の藍色娘は置いといて。
前回の時もそうだったが、アーシェがイベントで俺たちに合流できない理由はただ一つ。ういさんの迷子スキルに巻き込まれる形で初回時に足を踏み入れた〝大迷宮〟に囚われるまま、いまだ攻略も脱出も成し得ていないためだ。
ワールドイベント【星空の棲まう楽園】は第二回より『入場地点』を選択可能となっている。どういうことかといえば、単純に新規地点へのランダム入場か前回終了時座標への復帰を選べるように選択肢が増えた形。
この仕様を利用して新たなプレイヤーを招く……即ち『付き添い招待』することで攻略グループの増員が可能となり、またペアを組む一人のみならず望んだメンバーでのイベント参加合流が可能となった。
となれば、当然アーシェを連れてくることも可能なのだが……。
「まあそんな怒んなって。今回もウチのお師匠様をよろしく頼むよ」
「私は、ういの、保護者じゃ、ない」
とかなんとか言いつつ、ういさんとペアで謎の大迷宮を攻略するまで絶対に脇道へ逸れるつもりはない────と、固い誓いを掲げ続けているアーシェである。
だからこそ、余計に。
自分の意思により自分の思い通りにならない事態に、臍を曲げているのだろう。
わかりやすく臍を曲げることは早々ないが、一度そうなると地味に対処が難しいのがアリシア・ホワイトという人間。いつにも増して爆速モグモグが止まらねぇ。
ダメだなこりゃ。致し方あるまい────
「「…………」」
チラり、アイコンタクト。
然らば〝許可〟は、苦笑いと共に一瞬で返って来た。一つ屋根の下という環境を以って『姫』に爆懐きしているニアちゃんゆえに、さもありなん。
「あー……アーシェさん?」
「なに」
さて、それでは魔法を掛けようか。
お姫様が機嫌を直すまで、さーん、にーい、いーち。
「明日、もし時間あるなら二人でどこか出掛け────」
「ある。行く」
ということで明日、日曜日の予定が決まった瞬間である。
そんでもって、もう一つ。
「……、…………」
コツンコツンと、机の下。
催促するかの如く控えめに俺の足を蹴る誰かさんへの埋め合わせとして、どこかの未来の予定も『予約』の文字で占められたのは言うまでもない。
その後もう一人分、埋め合わせ予約が追加で増えたのも言うまでもない。