合間の湧沸
────亀、竜、あるいはカバ。
今なお最も相応しい呼称は何であるか不毛な議論が交わされているらしい【緑繋のジェハテグリエ】の巨躯に代わり、窪地を埋める『鍵樹』の根。
その上に築かれ、着々と面積を広げつつある第二のヴェストール街区……『鍵樹』が齎す加護であるのか、または何かしらNPCの技術によるものか。理由は明らかになっていないが、当該地区は正真正銘の〝安全地帯〟と化している。
神創庭園における始まりのプレイヤー街【セーフエリア】と同じだ。街では何時でも何処でも好きなタイミングでログアウトが可能であり、またクランホームへのアクセスといった安全地帯でのみ許されている挙動も当然のように可能。
更には先日に訪れた【民間ギルド会館】のようなヘルプ施設も立ち並ぶにあたり、鍵樹街はアルカディアに存在する六つ目の『街』として世界へ溶け込んだ。
そう、六つ目。
東西南北の各陣営街区、そして【第一拠点】に続く、六つ目の街────悲しいかな、我らが【第二拠点】は完全にお披露目を喰われた形である。
一応あっちも既に一般へ解放されており、それなりに賑わってはいるらしいが……超絶特大コンテンツこと『鍵樹』を擁する、こっちに敵うはずもなく。
平和な街開きになったなと、ゴッサンが半月前に気の抜けた顔で笑っていた。
……とまあ、それはともかくだ。
つい先日のこと。前回の四柱戦争を経てストックが補充された『無制限距離転移門』も無事に設置が可決され、人によっては結構な長旅感を要するであろう距離五百キロの道程も、瞬き一瞬まで短縮するに至った今日この頃。
新たな『街』こと鍵樹街には人が溢れ、商いが溢れている。
「────……ある意味で、序列持ち最強はテトラだよな。いやマジ冗談抜きで、お前がナンバーワンだ出会ってくれてありがとう足向けて寝らんねぇよ」
「完全に便利アイテム扱いじゃん。引っ叩くよ」
「もうこれ顔面グーいかれても笑って許せちゃうんだよな……」
斯くして然して、雑踏の最中。
現実時間で夕方の頃合い。ソラさんが夕飯作りの務めをメイドと奪い合うためにログアウトしたゆえ、鍵樹攻略は一旦の休憩中。
今晩は千歳シェフ特製の素麺と決まっている俺は夕餉のアレコレに時間を取られることもなく、同じく暇そうにしていたテトラを連れて街へ繰り出し今に至る。
朝に和さんから聞いたときは適当に流したが、シェフ特製の素麺ってなに?
さておき────
「いや改めて、すげーなマジで。がっしがし他人と衝突しても解けない隠密ってなんだよ。それもう隠密とか隠形とかの域じゃなくない?」
「ま、僕のは『魂依器』と『語手武装』と『魔法』のミックスだからね。ファンタジーの奇跡が三つも重なってれば、そんなもんでしょ」
「〝そんなもん〟で済ませていい話ですかね……」
後輩を連れて……というよりも、後輩に連れられて人波どんぶらこ。
大通りはどこもかしこも、もう避ける避けないのレベルではない混雑具合なので人との接触を避けるとかミッションインポッシブル。しかしながら誰も彼も、透明人間に激突しては不思議そうな顔をするまま去っていくばかり。
見えていない、なんて次元ではない。
気配すら認識することができない、といった具合だ。
……まあ、この後輩(後輩じゃない)が割と様々な方面で甚だバランスブレイクしているのは前々から分かりきっていたこと。今更か。
ヨイショしても流されるし、ひっそり胸中で崇め奉っておくとしよう。
◇◆◇◆◇
で、だ。
そんな一家に一人テトラ君の加護を受け、どこを目指していたのかといえば。
「────……いや、ひっっっっっっっっっっっっっっっっっっろ」
「拡張型即時生成空間だからね。やりたい放題だよ」
重ねて、先日に利用した【民間ギルド会館】と同様NPC運営の便利施設。その名も【マーケット】の門扉である。ド直球のネーミングが清々しくて良い。
会館と同じく、街に設置されているのは『扉』のオブジェクト。それに意思を以って触れたなら即時転移、この場へ利用者様ご案内ってな寸法だ。
この場────現実世界のスポーツスタジアムやドームどころの話ではない、一体全体どれだけの面積が広がっているんだか見当もつかない爆発的な空間へ。
見渡せば、比喩ではなく数千人を視認できているのであろう人の海原。だというのに、各々がパーソナルスペースを無理なく確保できている馬鹿げた世界。
見上げれば、真っ青。
これぞ青空マーケットだ。アホみたいな数の人間が目に映っているというのに、肌に感じるのは極めて涼やかで不快感のない完璧な空気────
「え、逆に気持ち悪い……」
「わかる。僕も少し苦手かな」
決して、わんさか居るプレイヤーの皆様をディスっているわけではない。視覚と肌感とで受け取る情報の乖離が甚だしく、脳がエラーを起こしているだけだ。
……だけれども、これ俺、慣れたりすんのかな?
なんかちょっと、こう、根本的に陰の者では馴染み切れなさそうな空気感を覚えるというか、あまり長居はしたくないというか。
いや、常に押し寄せる爆音 by 人の声に関しては許容できるんだけども……。
「どうする? もう出る?」
「うーん……」
目指して此処へは来たものの、特に目的を持って来たわけではない。暇に乗じて、散歩がてら未知の見物にやって来ただけである。
しかし、せっかく足を運んだのだから。
「……や、無理ってほどじゃない。と、思う。ちょっと見て回っていいか?」
「ん、了解」
なんの自慢にもなりはしないが、俺はバイト戦士時代どんだけヤベー気配を撒き散らす職場とて絶対に初手で回れ右だけはしなかった男。
とりあえず死ぬ気で頑張ってみて、ガチでヤバなら笑顔満点に退職届を叩き付ける。なにごとも経験ってのが俺の座右の銘であるからして。
なお退職〝願〟ではなく、退職〝届〟にて頑とした意思を示すのがポイント。とまあ、そんなことは至極どうでもよく────
「お手本みたいな混沌の具現だな……」
「好きな人は好きなんだろうね。……東陣営でいえば、意外と雛世さんとか」
「マジで??? ……いや。うん、意外と……意外に、好きそう、か……?」
四方八方で湧き立っている声、声、声を一つ一つ聞き取るのは早々に放棄して、聴覚はシステムアシストが届けてくれる連れの言葉を拾うために一極集中。
代わりに情報を拾うのは、こっちもそれなりに容量超過気味の視覚────なんかこう、アレだ。デカい祭りの只中感というかなんというか。
店がある。なんか色々と品物を置いている。そのくらいのことは拾えるのだが、とにもかくにも喧騒を含む情報量が多過ぎて思考の処理が追い付いていかない。
一言で表せば、ふわっふわである。
「……先輩、大丈夫?」
「ダメかもわからん」
素直に返せば、テトラは息をつきつつ薄く笑い、
「今、興味あるのは鍵樹関連のアイテムでしょ。先導しようか」
「……や、うん。…………うん、そうだな、頼むわ」
割かし思考停止気味な俺の袖を引いて、奇天烈な空間の中を迷わず歩き出した。
なにこの自称年下の後輩。いつでもどこでも頼もしいかよ。
湧沸。
さておきテトラ君との突発デート、もう一話つづく。
多分、きっと、おそらく、もう一話。
適当かつザックリ描写してますが、情報の総量的にそうする他ないからそうしているので各自頑張って想像して。コミケの十倍くらいの規模が百倍くらいの面積にワッと広がってる感じを思い描いていただければいいんじゃないですかね。
物足りなく思えるなら百倍&千倍にしてくれてもヨシとする。