息吹
あの日、俺が不覚の寝落ちを喫した後。仮想世界は少なからずの変遷を遂げた。
まず大前提として『緑繋』……【緑繋のジェハテグリエ】は、おそらくだが今なお在る。確定情報として世に流布するには至っていないが根拠は幾つか。
一つ、討滅&葬送のアナウンスがされなかったこと。
二つ、レイド参戦者が経験値以外の『報酬』を与えられていないこと。
三つ、俺の魂依器が第三階梯のまま大人しくしていること。
三つ目の超個人的かつフワッとした理由はともかくとして、上二つに関しては一応そこそこの推測要素として良いだろう。加えて超々特大の置き土産があるとなれば、冠する〝繋〟の名前が如く存在が続いていたとして一切の不思議ではない。
さて、それでは、結局、その後。
俺の意識が不在の間に、世界が一体どんな変遷を遂げたのかといえば────
「……………………………………中央街区から、見えてはいたけどさぁ……」
やや遠巻き。小高い丘に生えていた背の高い尖木の天辺。
流石に流石の死闘激闘を経て進化したモノも含め、復活したスキルの慣らし運転を兼ねてのランニングがてら赴いた真西おおよそ五百キロ地点手前。
「マジでアホだなアルカディア……」
高所に陣取って尚も天を見上げる俺の目に映るのは、足元の大樹でさえ爪楊枝どころか極小のささくれに思えてしまうほどの────
ただひたすら、畏怖を抱くしかないまでに巨大な、理外に在る〝樹〟の威容。
正確な全高計測は不能。悠々と雲を突き破って余りある背丈のソレは一定高度から身を透かしており、頂にて生い茂る緑葉の天幕と併せて霊体の様。
そして、物理的な存在として大地に腰を据えている幹の下部と……かつて〝怪獣〟がその身で埋めていた窪地を代わって埋める、その根本。
生物的な姿や面影は残すまま。動的活動は完全に停止したと思しき巨躯が、大樹という言葉では不足が過ぎる巨樹の根と一体化して眠りについている。
巨樹はともかく、そちらからは既に一切の気配もプレッシャーも感じ取れない。直感的に、その姿が『終わっている』ものであると察せられた。
────この半月。夏の長期休暇が明けて大学生活が再開したこともあり、俺は長らく仮想世界から離れて過ごしていた。
どうせ本気で遊べないなら機と見て学業へ力を入れるべし、と勤勉を演じたのが半分……そして遺憾ながら本気で遊べない俺を置き去りに、そりゃもう祭り大爆発と化した世間から目を逸らし心の安寧を図ろうとしたのが半分といったところ。
ゆえに、あの日を境にアルカディアへログインしたのは数える程度。それも互いを労う挨拶やら避け得ぬ休養の通達やらを知人友人に届けたくらいで、実に十五日もの間に亘り俺こと【曲芸師】は活動らしい活動をしていなかった。
ので、すっかり様変わりした此処を訪れたのも真実あの日以来ってなわけであるからして…………………………………………いや、もう、本当にさ。
実際、この目で大変遷の実像を見た今。
「ったく、えらいこっちゃ……だ、なっ!」
ゲームの枠を越えていると、おかしな笑いが沸き上がるばかりだ。
踏み切り一歩、比して小さな小さな木の頭を失敬して夜空へ身を躍らせる。そうして涼しい風を切り空を翔けながら、見下ろす俺の眼下には────
向かう先。遥かな巨樹の根元にて、明かりを放つ〝街〟が鎮座していた。
◇◆◇◆◇
サービス開始初期より蓄積されてきたアルカディアの『常識』に、NPCは【試しの隔界球域】に含まれる各陣営街にのみ存在するというモノがあった。
彼らはプレイヤーのように転移門を利用することができず、ゆえに空間を隔てて存るゲームのメインエリアこと【隔世の神創庭園】を訪れることができない。
また、これまで神創庭園にて先住NPCの存在が確認されたことはない。つまるところ、果てなく広がる主攻略フィールドは真実プレイヤーだけのモノだった。
……けれども、
「あら、こんばんはー。ビックリするような美人さん、初めて見る顔ね?」
「ぁ、と、ども。初め、まして……?」
今日び、その常識が崩壊して半月あまり。
〝街〟へ足を踏み入れた俺を待ち受けていたのは、かつて【試しの隔界球域】を突破した日に体験したアレが如きヒト、ヒト、ヒトの大海原。
冗談ではなくザッと見回すだけで瞳に百を超え千が映ると思しき膨大数のプレイヤーがひしめき合う様は、秒で俺を日和らせるに十二分な光景だった。
ゆえの、お茶濁し。そそくさと身を隠すように脇の細道へ身体を捻じ込み、ひたすら人の気配から遠ざかるようにルート取りを続けた果て。
バッタリ出くわしたのは、一人の女性。
年の頃は三十代半ば辺り。転身体の俺を見て『美人さん』などと言ったが、そちらこそといった具合の柔和な笑顔が素敵な美人さん。
然して特筆すべき特徴は────いくらジッと注視しようとも、その頭上にカラーカーソルが出現しないこと。つまり彼女は……。
「もしかして迷子だったり? どこへ行きたいのかしら、稀人のお嬢さん?」
「あー、いえ、その……」
プレイヤーでは、ない。
それ即ち、正真正銘のノンプレイヤーキャラクター。外から心だけで飛び込んでいる俺たちとは全くもって異なる、この世界で生まれ生きている者たち。
彼女たちは、神創庭園に湧出したわけではない。
異界を隔てた西陣営街区より、はるばる此方へ渡ってきたのだ。そして、そんな彼女らが一体なにをしているのかといえば……ただ、造っているだけ。
まるで、なにもかもを理解していたように。
初めから、そう在るべく在ったかのように。
当たり前のような顔で────萌芽するように割れ砕けた『緑繋』の背より出でた巨樹の根元に、プレイヤーたちを迎え入れるための〝街〟を、ただひたすら。
斯くして、今。
遥かな過去『樹と炎と平和の国』が栄えたとされる跡地に再誕した〝街〟は、そのもの『第二のヴェストール』と呼ばれ、忙しなく押し寄せ賑いを成す稀人を、
「お散歩中? 観光中? もしよければ、案内しましょうか?」
と、このように。
大手を振って歓迎するまま、なんの違和感もなく世界へ溶け込んでいた。
ちなみに彼女の名前はリチュカさん。ご本人は製薬職人を営んでおり、ご伴侶のイルゴさんはヴェストールの民間ギルド会館で受付員をされているらしいです。