遷る世界の表裏
────世界で唯一の仮想世界、アルカディア。
現代における『異世界』や『別世界』といえばゲームという枠組みを超えて、かの御伽話あふれる夢の世界を指すことが多くなっているとかなんとかの昨今。
けれども俺が思うに、非日常の世界というのは現実にも多く在るモノだ。
なにか特別な機会がなければ、目にすることがない場所。足を踏み入れることがない空間。生涯を通しても縁のない『異世界』など、誰しも星の数あるだろう。
たとえば……そう、いまだ逸般人感覚に馴染めぬ庶民としては────
「成程。これが、過去に一世を風靡したという異世界転生……」
「安心して。ちゃんと現実の延長よ」
画像や映像の中でしか拝見したことのない、社交界の会場とか。
落ち着いた風のシルバードレス。
装飾は少なめ煌めきも抑えめと比較的地味なアレとはいえ、正真正銘『別世界』の正装でめかし込んだ『お姫様』が俺の独り言を拾い微笑する。
お前こそ異世界風味の空気醸成における筆頭要因だと言ってやりたい。
言ってやりたいが……正直、ギリ隣に拾われる程度の馬鹿な独り言が発言限界ライン。そのもの現実感皆無なキラッキラの会場は、どこを見回しても歩いているのはバリバリキメている紳士淑女の皆々様ばかり。
場違い感が甚だし過ぎて、喋るどころか呼吸をするのも憚られる有様だ。
「何度も言ってるけど、そんなに緊張しなくていい」
「いや、でも、あの、社交界……」
「実体としては間違いないけれど、これは簡単で軽快に懇親を図るためのラフな夜会。招かれているのも友人のような人ばかりだから、緊張とは無縁の場よ」
「〝やかい〟ってなんすか……!」
「…………こういう時、あなた本当に可愛い」
薄っすら目を細め、狼狽するばかりの同伴者を楽しげに眺めるお姫様────アーシェはスイっと俺の手を取り、恐れなど知らぬとばかり壁際から連れ出した。
「どうせ皆、見覚えのない子供に話しかけたりしてこないから大丈夫。周りのことは気にせず、ただ豪華な夕食を楽しめばいい」
「……話しかけては来なくとも、メチャメチャ見られてはいるんですが」
「そうね。でも流石に、もう慣れっこでしょう?」
「見解の相違を議論させてくれ……」
既にノコノコ会場へ足を運んでしまった以上、今更グダグダ言うのも格好悪いだけなのは理解している。しかし、その上で『やはり』を言わせていただきたい。
────顔を出すの、メインイベントだけじゃダメだったんですかね、と。
◇◆◇◆◇
斯くして、一時間強。
アーシェと二人『特別な変装』を以って認知の視線を阻みつつ、しかし好奇心の目は避け得ず揃って集中砲火を浴びながらの地獄めいた夕食を終えて。
冗談のようにマジの執事服を冗談のようにガチで着こなした謎のイケメンに肩を叩かれ、案内されるまま社交会場を抜け出し辿り着いたのは静かな一室。
休憩室? 待合室? 寝具が置かれていない高級ホテルの一室みたいな空間にて、一から十まで澄まし顔の姫とソファで並び待機すること二分弱。
「…………あー……アーシェさん?」
「ん」
「今回、会うのって────」
訪れぬ気配に焦れて、特記事項のおさらいをすべく口を開いた瞬間だった。
「 タ ノ モ ──────────── ウ ッ ! ! ! ! ! ! ! 」
「ぅおぁあぃッッッ!!?!?!!?!?」
ドバーン!!!!! と、盛大果敢に部屋の扉が開け放たれたのは。
然して当然自然全力全開。謎の鳴き声に驚嘆による悲鳴を重ねた俺を他所に、豪快極まるアクションで舞台入場をかました人物を見て……。
「……久しぶり、エメ────」
「ンアーシェエェエエェエエエエエエエエエエエエェッ!!!!!!!」
放心する俺。そして、静かに立ち上がり口を開いたアーシェ。
スーツに身を包む〝彼〟がノーモーションで突撃をかましたのは、後者だった。
「……、………………」
呆然と硬直するままの俺を置いて、立ち上がった隣人の姿が消える。
いや消えたというか、攫われて縦横無尽。避ける素振りも抗う素振りも見せずガッと襲撃者の両腕に持ち上げられた『お姫様』が、長い黒髪を宙に遊ばせソファテーブルの周りを二周、三周と遊覧飛行している様は紛れもない異常光景。
そしてそのまま四周、五周と────ハイ、はいはいはいストップ。
「オ?」
「いや『オ?』じゃないんすわ」
そういう感じと心得て無理矢理に冷静を手繰り寄せ、こちらもガッと遠慮無しにスーツの背中を引っ掴めば……向けられたのは、一対のガーネット。
更に、そのまま停滞おおよそ五秒。搔き集めた度胸は些細にて頼りなく、誰かさんと非常によく似た『人を超えた人の気配』に真正面から気圧されつつも……。
「………………────フフ」
言葉を並べようにも案が浮かばず、ただただ赤い瞳と視線を交わした果て。これも誰かさんと同じく、空恐ろしいまでに整った美貌から零されたのは微笑。
然して、白髪赤眼の〝彼〟は『妹』を抱き上げたまま口を開き。
『ねぇアーシェ。この顔どうなのかしら、ちょっとでも嫉妬は入ってると思う? それとも単純にヤバい奴の暴挙に待ったを掛けただけ?』
『…………どうかしら。ハルが嫉妬をするところ、見たことないかもしれない』
『なんてこと。聞きしに勝る難物っぷりね』
『そういうところも可愛い。きっと、恋に不慣れなだけだと思うから』
『あらあらまぁ……! そんなこと言ってしまう貴女の方が格別に可愛いわよ?』
と、展開されるは別世界言語……もとい、英語の嵐。
ならば俺は、普段あまり接することのない音を聞いて少し悩んだ挙句────
「えー、と…………────俺、もしあれなら席を外しましょうか?』
一応まるっと聞き取れていることを暗に示せば、若干わざとらしい風があれども〝彼〟は『あれまあ』と驚いたように口元へ片手を当てて見せ、
「こう見えて秀才なの。素敵でしょう」
米俵されたまま、世界の姫は楽しげに笑んでいた。
◇◆◇◆◇
「────つっっっっっっっっっっかれた……」
「ふふ……お疲れ様」
斯くして、更に二時間後のこと。
諸々の『挨拶』や『交流』を経て、アーシェの親族……【エメリア・ホワイト】氏との間に一応の友好を育んだことを成果として持ち帰った果て。
つまり異世界を完全離脱して、我らが家こと四谷宿舎に辿り着いた瞬間。エントランスのソファに崩れ落ちた俺の後頭部に、降ってくるのは労わりの熱。
まあ、なんだ。
言いたいこと訴えたいことは山ほどあるが、とりあえず────
「どんな『姉』だよ…………」
「言ったでしょう。ホワイトは趣味人の家系だって」
エメリア・ホワイト。海外で熱狂的かつ爆発的な人気を誇っているという、その道に関しては並ぶ者なき男装モデル。
あくまで心は女性。しかし真に人並みと常軌を逸した熱量を『趣味』に向ける彼女は、装いだけでなく己が振る舞いまでも徹底的に〝男性〟を着る。
いや、声よ。なんだあの完成された両声類は、初対面一発目はマジで『兄』と認識して欠片も疑わなかったぞと……。
「ごめんなさい、無理を言って。忙しい人だから、たまの機会を逃すと──」
「いいって。会えてよかったし、挨拶できてよかった」
で、そこは間違いないから謝らないでくれとソファに伏すまま手をヒラヒラ。そりゃ『家族に会ってほしい』なんて急な誘いには心底ビビったが、諸々の立場を考えれば俺が避けては通れない道……どころか、性急に筋を通しておくべき部分。
どうせクールタイム期間中だったんだ。暇はあるし、ちょうど良かった。
「……ありがとう。────本当なら、父と母にも会ってほしいけれど」
「っ」
「二人は、もう本当に忙しい人たちだから。娘の私でも四年近く会ってないし、ハルが顔を合わせることになるのは……ずっと先になるかも、ね」
「わざとビビらせただろ今……」
なんて、冗談キツい戯れを一つ。
共に気の抜けた笑いと吐息を交わしながら身体を起こし、立ち上がり……現実に舞い戻ってもなお異界を体現する、ドレス姿の姫と並び歩く。
「明日から、早速?」
「いや、もう、今日。おあずけされまくってモチベが大爆発を起こしそうだ」
「……ふふ、それは楽しみ。攻略の吉報を期待してる」
「面白事件を期待してるの間違いだろ、その顔」
なんの話かといえば、今日を以ってようやく俺のアバターの封印が解除されるという話。全くもって《疾風迅雷》の代償は度し難く、例によって過去最高潮をマークする世間の賑いも手伝い随分しんどい日々を過ごす羽目となった。
……ってなわけで、ね。
【緑繋のジェハテグリエ】攻略戦から、約半月。
そして────仮想世界〝大変遷〟の日から、約半月。
「っし、気合入れてくぞ……!」
いざ俺、再起動だ。
五章第五節、張り切って参りましょう。