キミ想ウ故ニ我ハ在リ、我ネガウ故ニ世界ハ続ク 其ノ壱
第一の異変は、ノートPCの画面。
暗闇の最中へ緑の結晶だけを映し出していた液晶にノイズが走り、どこか優しさを感じさせていた淡い光を引き裂くように荒れ狂う。
そして、
「んえっ!?」
「ひゃぁあっ……!?」
「おわっと!?」
第二の異変は、職人たちの掌へ。
一瞬でも先んじて異常に気付き身構えていた主席および次席を除き、それぞれに驚きの声を上げたのは藍色と緑色と恐竜が一匹。されど拒絶に見舞われたのは例外なく全員、術式を展開していた五人の手が一斉に端末から弾かれた。
そして、第三の異変。
「…………今、最後」
「あぁ……────動いた、な」
驚きがないわけではないだろう。けれども流石の貫禄と、刹那とはいえ心の準備をする猶予を無駄にせず、ただでは弾かれなかった二人が呟く。
呟き、揃って一方へ……今も俺のパートナーが百鬼夜行を抑えている方向とは、真逆の先へ赤銅色の瞳を向けながら。
「「ハル」」
傍らの俺を、困ったように呼んだ。それは、はたして、
「……アンタ、もうひと働きとか、できそうかい?」
「ダメそうなら……まあ、そうだなぁ────凄く、マズい予感がするんだが」
紛れもない、頼りの声。
然り、当然だろう。あんなもん見りゃ誰だって、心身を賭して精魂尽き果てたグロッキー野郎が相手だろうと心を鬼にして再起動要請したくもなる。
不自然なまでに、極めて、ゲーム的な光景。
エネミーの湧出演出など似たようなモノはあれど、俺が知るソレは精々が現実と見紛う視覚情報で形作られているアルカディアに馴染むような違和感の薄いモノ。
「「「「「──────────……」」」」」
けれども、俺含む場の全員が目を向ける先。現れた文字通りの『異物』は、脳がバグるほどの世界に対する不似合いを以って……いっそ不快感を覚えるほどだ。
ゴテゴテとした、真黒な、多角形の塊。
虚空から湧き出してはガタリゴトリベチャリと引っ付き合って巨大化していく、視覚で物質感を読み取れない不可思議奇妙奇怪な謎存在。
意味不明。なんのこっちゃ理解できるはずもない。
けれども、直感的に一つだけ察せられることがあるとすれば────
「…………なっちゃん先輩?」
「……なによ」
「ご一緒、願えます?」
「…………願われなくても、立たなきゃ、どうしようもないで、しょッ……!」
なにものに成るか知る由もないアレが、絶え間なく接着を繰り返し巨大化を続けるアレが……──強烈な怖気を感じる『意思』を叩き付けてくるアレが、俺たちにとってどうしようもなく致命的な〝なにか〟であるということだけだ。
◇◆◇◆◇
「────ふぇ……ぁ、えっ……?」
地響き、そして、形容し難い嫌な感覚。背後から伝わってきたソレを受けて、弾かれたように振り返った少女の目に映るのは意味不明かつ理解不能な光景。
加速度的に体積を増していく黒い塊。虫型のエネミーなどに感じるような生理的嫌悪とは異なる、しかし上手く言い表すことのできぬ不快感の塊。
そして、目が合った。
「────ひっ……!?」
ギョロリと、巨大な単眼が開く。
無数の接着を経て、遠方に在ってなお見上げるような体躯を獲得し成った姿。トカゲのようでもあり、獅子のようでもあり、大鳥のようでもあり……相応しい名を選定できない、ただひたすらに歪で奇怪で不快な容貌。
四足歩行、とも言えない。這うでもなく、単に身体から生えている足のようなものを地に投げ出しているだけにも見える。
光沢も帯びぬ黒一色だというのに、どうしようもなく生々しい。そんな存在の『頭』ではなく、胴体と思しき面のド真ん中に、身体を裂くような眼が一つ。
◆◇◆◇◆
まっすぐに、自分を見ているような気がして……いいや、違う。
私を見ていると、私は知っていたから。
◆◇◆◇◆
まっすぐに、自分を見ていたような気がした。
「ッ────ルビィ!」
未知の訪れと無知による恐怖を蹴飛ばすように、少女は杖を取り剣を振るう。
呼ぶ名は星影。纏うは鏡身。宙に揺らぐは尾が七つ。《纏身》起動、および『憑依』合一、溢れ出でる魔力を魂依の円環へ願い籠める。
恐い、怖い、わからない、けれども関係ない。
なぜなら、目を向けた後ろ。
「《剣の円環》」
遠く離れて背中合わせ。いつものように、当然のように、震えるような未知が相手でも────立ち向かおうとする相棒の姿が、目に映ったから。
「《千剣ノ双演》ッ‼︎」
怯える必要などないと、容易く心が奮い立った。
◇◆◇◆◇
「………………どっちがバケモノか、わかったもんじゃないわね」
「おっと、人のパートナーをバケモノ呼ばわりは先輩殿とて許せませんなぁ?」
「あれだけ素直で超絶可愛い子なら、別にバケモノでもなんでも大歓迎だけど」
「無罪放免」
「大概にしなさいよソラコン」
わけのわからねぇ黒塊が迫真の開眼を披露したと思ったら、背後から飛来したパートナーの援護×千本が異形の巨体を滅多斬りにし始めた。
こっちも千本、あっちも千本、相も変わらず俺の相棒は無敵である。
で、だろうとは思っていたが待てど暮らせど怪物の頭上にステータスバーがポップアップする気配はナシ。それどころか名称すら表示されない有様で、いよいよもって一体全体なにものなんだか推察材料さえありゃしない。
しかし、
「………………嫌がってる、ように見えるわね」
「見えるなぁ」
「……効いてる、と思っていい気がするわ」
「だなぁ」
悲鳴はない。大袈裟なリアクションもない。
けれども確かに、殺到するソラの魔剣────各軌道の癖からして間違いなく小狐の操作であろう、千剣の刃に怯んでいる様子が見て取れる。
それ以外、なんもわからん。わからんが……。
「んじゃ俺も気張るとしますかねぇッ……! そっち頼んますよ、お歴々‼︎」
「おうよ任せとけ!」
「あいよ頑張んな!」
これはレイド。ならば目前に現れたヤベー奴は、ぶん殴って然るべき。斬られれば痛がる程度の常識を備えているとあらば、あれこれ小難しく考える必要はないだろう────ほら、奴さんも前進を始めやがった。
進路は真っ直ぐノートPC。
少なくとも接近を許せば碌なことが起きないってのは、まあ間違いないはずだ。
「アンタ、アレに突っ込んで大丈夫なの? 二重の意味で」
「片方は知らんけど、片方は問題ない。軌道パターンなら覚えてる」
「…………あっそ。お似合い過ぎて笑えてくるわね」
敵意と脅威は容易に汲み取って余りある。ならば俺たちが挑む他ない。
ソラたちが合流してから約五分、流石に次の瞬間にでも後続が来て良い頃だ。ゆえにボロボロの我が身に望むは、あと十秒か二十秒かだけでも時間を稼ぐこと。
「そしたら……ま、できる限り援護はする」
「あぁ、頼んだ」
そして、幸か不幸か。
そのために賭し得る最後の切り札が────
「『赤円は現世に遺り』」
奇跡を越えて、この身には宿っているから。
わかんないことは、わかんないままでいいよ。
まだ、ね。