月下浪々
────で、
「いろいろ、よろしくないと思うんだけどなぁ」
「リィナちゃん、ハル君によく懐いているではありませんか。それくらいでしたら、怒られたりしないと思うのですが……」
「うーん……」
いつもの如く微妙にズレたことを仰っている我が師の膝上にあるのは、例によって整備を受けている【早緑月】が一振り。そして所を移り、俺の膝上に頭を乗っけているのは中身不在のアバター……つまり目覚めることのないリィナが一人。
もう今更に意識することなどないが、意識して意識すると現実的に一つ違い。
現在では初期のソラ以上に完全なる妹扱い的な枠に納まっているものの、これで十七歳の歴とした同年代。間違いなく濫りに接触するべきではない相手だ。
たとえそれが抜け殻であるのも加味して、触れようと膝に乗せようと一ミリたりとも心が揺れ動かない相手であるとしても。確かな配慮が必要だろう。
「結局なんで懐かれてんのかも、いまだに不明な訳ですが」
しかし、なんというか仕方ない……のだろうか。
奥の部屋に寝かせてきましょうか?────という提案を、なぜだか言い表し難い微妙な雰囲気でスルーされてしまい、この形で落ち着いてしまったのは。
「例えば、私がハル君に初めて会った時の第一印象も『優しそうな男の子』でしたから……一目見ての〝ふぃーりんぐ〟ではないですか?」
「ふぃーりんぐ」
然して、お師匠様は何事もないといった様子で。
諸々どうしたもんかなと困っている俺の内心を知ってか知らずか……いや、そこは確実に察しつつも、この状況こそヨシとしているようで。
「ずっと〝お兄さん〟と、呼んでいるでしょう」
「あぁ、それね。なんなんでしょうね、俺だけ」
「もしかしたらですが……本当は〝お兄ちゃん〟と、呼びたいのかも?」
「ハハご冗談を」
意識はなくとも、存在感は確かにある。なればこそ、目を覚まさず言葉も発さないと理解はしつつも、俺とて今を『二人きり』と認識していない。
だから、そう。
「わかりませんよ。女の子は誰しも、優しくて頼りがいのある〝兄〟に憧れるものですから。別にそれが、肉親でなくとも構わないのです」
「えぇ……?」
「ちなみにですが、囲炉裏君も最初は〝お兄さん〟でしたよ」
「えぇ???」
「一月と経たず、それぞれ〝いろりん〟と〝囲炉裏君〟に変わりましたが」
「えぇ……?????」
「わかりませんが、お眼鏡に適ったということかも……?」
「いやいや……いやいやいや。ハハハ、まさか」
もしかしたら彼女は今、そう在ってほしいのかもしれないなと。
意図は読めず、読まぬまま。ただ普段と比して三割増し、お茶目かつお喋りな師の様子に心の中で首を傾げるまま。
「お師匠様、もっかい〝いろりん〟お願いします」
「はい、終わりましたよ」
戸惑いに目を瞑っての戯れは迫真のスルー。微笑と共に差し出された【早緑月】を恭しく拝受すれば、彼女は「ふぅ」と小さな息を零してみせた。
「…………」
言うまでもなく、珍しい仕草である。
ゆえに、触れるべきか否か迷い続けて────
「…………………………驚きましたね。囲炉裏君たちのこと」
結局は口を噤もうとした俺ではなく、本当に予想外のこと。ういさん自身が己の『らしくない様子』を告白するように、静かに話題を切り出した。
「恥ずかしながら私は、なにも気付いていませんでした」
────でしょうね。なんて、失礼極まりないことは流石に胸へ留めながら。
「……それ、俺も同じですよ。ってか、例外なく全員が驚いてたでしょう」
当たりさわりのないというか、それ以外に言いようがない言葉を返せば……順に自分の膝を見て、自分を見下ろす月を見て、自分を見る俺へ瞳を向けて。
「…………〝恋〟とは、如何なるものでしょう?」
正直なところ、咄嗟に意味を掴みかねた。
それほどまでに、俺の中に在る彼女のイメージにそぐわない言葉だった。そして同時に、至極、彼女らしい無垢であどけない言葉でもあった。
そして、一拍の後。
「……その、ごめんなさい。忘れてください」
おそらくは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたことだろう。咄嗟に言葉を返せなかった俺を見て、ういさんは早々に己が言葉を引っ込めた。
相棒とのソレに比べれば、まだまだ無に等しい以心伝心。けれども彼女の弟子として、その表情と声音から多少なり胸の内を読み取るくらいはできる。
悪いことをした────と、思ったのだろう。俺が日々、現在進行形で、その〝恋愛〟に四苦八苦していることを知っているものだから。
「はは」
「っ……」
だから、流石に気を遣い過ぎだと。笑って見せれば果たして、彼女は予想通り『稀にお説教を受ける時の反応』で以って気まずげに目を伏せた。
大事に、大切にしてくれるのは誠に結構。けれども、
「別に、いつでも『お師匠様』で、いてくれなくても大丈夫ですよ。────や、あの、いい意味でね? いい意味で、限りなくポジティブな意味で」
というのも、訳のわからない話だが。
彼女にとって『師と弟子』という関係性が大きなモノであることは深く理解しているゆえ、ハッと不安気な顔を見せられたらフォロー連打も避け得ないこと。
そんな風に、結局は師の前で格好が付かない、いつもの俺であるままに。
「ほら、与えられるばっかりじゃ悔しいんで。たまには俺にも、ういさんに教えられることがあったっていいんじゃないですかね」
「……悔しい、ものですか?」
「そりゃもう。男の子なんで」
なんて、それこそ意味のわからないことを宣いつつ。
「大変、ですよ」
「はい……?」
「〝恋〟とやらです。────世界のなにより大変なモノ、ですよ」
「…………」
「俺の所感で良ければ、そんなとこです」
最早というかなんというか、今更お師匠様に対して恥を晒すなど造作もないこと。自分語りの一つ二つで、なにかしら彼女の助けになれるのであれば。
「良くも悪くも、自分を変えてくれるモノ。良くなるか悪くなるかは、自分と相手次第のモノ。あとはまあ、絶対に進み続けるモノ……でしょうか」
「進み続ける、もの……」
「えぇ。ほら、どう足掻いても後退とかないんで。時間が勝手に進むのと一緒に、関係性も勝手に進んじゃうものじゃないですか。記憶喪失にでもならない限り、知り合うことに後退なんて有り得ないでしょう? そういうことですよ」
自分で言っていて、よくわからなくなってくる。しかしながら、わからないなりに『そういうもん』と恥ずかしい確信ばかりがある。
「大変、ですよ。思いやら想いやら、そりゃもう無限に積み重なってくんだから」
「………………」
「想たくて、重たくて────まあ、挑み甲斐は底知れず、天井知らずですね」
願わくば師が……もとい、目の前に在る無垢な女性が俺の戯言を、ただその胸に秘めて恥と共に仕舞っておいてくれることを望みつつ。
「参考に、なりました?」
締め括り。ポーカーフェイスを装いつつ、なにごともないように一つ問えば。
「………………ハル君」
ういさんは、また珍しい仕草。
俺の名前を呼びつつも、そっと俺から視線を逸らして、
「きっと、それは……────素敵なモノ、なのですね」
いまだ俺には読み取れぬ表情を横顔に宿し、月を見上げて静かに呟いていた。
二人きりで『恋』のお話は、恥ずかしかったお師匠様。
つまり剣聖様は相変わらず無敵に素敵で初々しいってこと。