我が家から我が家、そして我が家へ
「────ぁ」
「────ぉ」
半刻ばかりの付き合いを経た後、陣営拠点を後にして帰ってきたのは居慣れた我が家。眩い転移の光を過ぎれば果たして、ばったり出会った顔は一つ。
昨日に引き続き顔を合わせず仕舞いかな、とか。また今日も電話を掛けようか、二日続けては流石に女々しいかどうしようかなどと迷っていた時分。
かの【銀幕】殿との特訓に締めが付いたのか否か、先に帰っていたらしいパートナー様は……俺の顔を見た瞬間、声音を零すと共にパッと表情を綻ばせ、
なにやら、もにゅっと緩む頬の制御を試みた様子で、
次いで、それは果たして思い通りにならなかった自らの顔に対するものなのか。はたまた、そんな顔をさせた俺に向けられたものなのか。
嬉しそうなくせに、ほんのり不満気な拗ね風味。形容し難くも可愛らしい複雑な面持ちを晒すまま、たたっと駆け寄って来ると────
「おごふっ……」
会心の一撃。額を俺の鳩尾へピットイン。
勿論、避けるなんて選択肢など在りはしない。ゆえに大したことのない衝撃を甘んじて受け止めつつ、照れ隠しの苦笑いを滲ませていると……僅か数秒。
「…………こんばんは」
無事お顔を整えたのだろう。スッと身体を離しつつ、それでも至近から、無自覚か否かは議論の余地がある必殺の上目遣いで挨拶を一つ。
「はい、こんばんは。そっちはどうだった?」
そんな凶悪極まるムーヴも今に至ってはいつものこと。これくらいで一々やられていては命が幾らあっても足りないため、サラッと流すか堪えるが吉だ。
ので、努めて気安く金色の頭頂へ手を降らせながら話題を挟んでおいた。
「厳しかったですけど、優しかったです。とっても勉強になりました」
素直な少女は、全てを素直に受け入れる。照れ隠しの手も、笑みも、言葉も、どうせ全部そっくり見通した上で、委ねてくる。
困ったものだ。
「んじゃ、明日の活躍は存分に期待しとかないとな」
「っ……えへへ」
軽く頭を撫でるだけで、この始末。本当に、困ったものである。
そして、時間にすれば数分足らず。
「あら、もういいので?」
「む……甘えん坊みたいに言わないでくださいっ」
みたいというか、そのものだと思うが────とは言わず。今度こそパッと身体を離したソラの意図を汲みつつ問えば、返されたのは微かな強がりを含む笑み。
「明日、頑張りましょうね」
「あぁ。どっちがMVP取るか、競争だな」
今日この後にある予定は、ソラにも事前に知らせてある。で、そういうことなら我儘を言わずにサッパリお利口なのが俺のパートナー様だ。
「では、その……おやすみなさい、ハル」
「ん。おやすみソラ」
我慢をさせる……なんて心配は要らない。その後に埋め合わせをバッチリ要求してくるところまで含めて、互いへの信頼は十二分。
だから、あっさり挨拶を交わし、だから、あっさりと擦れ違って、
「……?」
あれ、自分の部屋でログアウトするのでは……と、俺が遅れて訝しんだ瞬間。
「────っ」
「ぅお……っと!?」
そのまま転移門仕様となっているホームの玄関扉へ触れると思わせ、不意打ち一発。背中へ思い切り抱き着いてきた軽い体重に、思わず驚きの声を上げ、
「………………やんちゃになったなぁ」
振り返れば、しかし残されていたのは青い転移の残光だけ。どこへなりと飛んだ先で、悪戯を成功させたソラさんはご満悦にしていることだろう。
なんだこれ。俺のパートナー可愛過ぎか────などと沸いたことを思いつつ、ささやかに乱れた感情を取り成しながら目的地に足を運ぶ。
自分の部屋ではなく、とあるクランメンバー様の部屋へと。
然して、滅茶苦茶な達筆かつ見事な筆記体で【Ui】と記されたネームプレートが提げられた扉を、ノックもせずに躊躇いなく開けば……。
「いやぁ…………慣れねぇ」
広がっているのは、見慣れた景色。
竹林、笹の葉、そよ風の音。純和風な面持ちに一画、少々場違い感のある洋風な小屋……つまりは俺が出てきた『出入口』が新設されたことを除いて、
そこは変わらない、師の居城。
なにがどうなっているのかといえば、なにもかもを好き放題にした結果。
【真名:外天を愛せし神館の秘鍵】────かの【剣ノ女王】をも唖然とさせた異常の語手武装が誇る固有異界を、クランホームという異界に接続した形だ。
全くもって意味がわからないが、仕方ない。魂依器なんかもそうだが、この世界に在る固有装備なんてのは大概は持ち主以外が正しく理解するなんぞ不可能。
むしろオーナーさえ全貌を把握できずにいる代物が溢れかえっている現状、理解など投げ捨ててフワッと納得だけしとくのが健全まであるゆえに……っと。
やや遠く、縁側に腰掛ける灰色の瞳と視線が合う。
合って、それと同時に、
「おぉん……???」
予想だにしていなかった光景が目に飛び込んだことで、思わず漏れ出したのは困惑の声。いや別に、それ自体が不思議な光景という訳ではないが……。
しかし、珍しい光景であるのは確かだつたから。
「こんばんはー……?」
状況に際して、近付きつつも声音は静に。さすれば────膝の上に小柄な少女を乗せている師は、ふふと微笑み「こんばんは」と返す。
「もう眠っていますから、ひそひそ話さずとも大丈夫ですよ」
「あ、そうですか」
眠っているから、声量を気にせず構わない。それはつまるところ仮想世界的な意味で、既にその身体からは意識が抜け出ていることを意味する言葉回し。
ライトベージュの長髪を散らし、目蓋を下ろして、静かに確かに胸を上下させている少女────リィナの様子は『生きて眠っている』ようにしか見えないが、アルカディアにおける安全地帯以外でのログアウトとはこういうものだ。
ういさんの異界は一応『安全地帯』判定ではあるのだが、諸々の特別仕様により此処でのログアウトは身体が残ってしまう……ので、こうなる。
「……で、どしたんです?」
「ふふ……どうしたんでしょうね」
なお、この領域内で眠っているプレイヤーに不埒な真似を働こうとすれば領域から天誅を下される。あれやこれやのセキュリティ観念はバッチリだ。
それはさておき客人のこと。〝我が家〟に接続した《神館の揺籠》はシステム上クランホームの一部となっているはずだが、先日なっちゃん先輩を招いたようにメンバーの権限を用いて部外者を招待することは可能。
だから別にリィナがここに居ること自体に不思議はないが、疑問は何故ここに居るのかということ。ういさんが連れてきたのか、またはついてきたのか……。
「「……………………」」
────ま、なんでもいいか。意識のない身体は今こそ真実お人形に違いないが、そこへ至るまでは仲睦まじく平和な絵面が在ったのだろう。
男が無粋にアレコレ触れるもんじゃない。黙して尊べ、それでいい。
スクショください。