特別期間継続中
「────む゛ヴん゛」
ログアウト。筐体からアウト。そしてベッドにダイブイン。
三日ぶりと相成った仮想世界。早速に思い返す必要もなくほぼほぼ空の上であったが、やはりもなにも事実として時間密度が違う夢の世界から舞い戻って一言。
「ぉうヴぁよぼぼんべむびばぶぶヴぁー」
なんとも危うい発言だが、一度そこへ足を踏み入れたならば中毒者ことアルカディアンへの種族チェンジが決定付けられているプレイヤーとしては今更のこと。
現実へ浮上する際に避け得ず獲得する、果てしない身体能力のギャップ感による独特の気だるさまで含めて心地良い。俺も立派な熟練者(笑)である。
二重の意味で自宅に帰ってきた感。実に落ち着く。
で、例の体力筋力が落ちない謎の加護と関係あるのか否か、ずっと寝っぱなしだというのに基本は身体がバキバキになったりしないのが夢の箱舟クオリティ。
それゆえ『二度寝』は真実、苦でもなんでもない。それまで普通に現実で起きて行動していたが如く違和感なく眠りに入れてしまうので、ここで択だ。
さて、リアルタイム現在時刻は午後十一時過ぎ。
このまま少々だらしなく、多大な満足感の中に在るまま夢の世界を梯子するか。はたまたゲーム堪能⇒即就寝という流れに感じる些細な罪悪感あるいは背徳感に反抗すべく、旅行中も当然お留守だった勉強タイムを挟むか否か……。
決まってるな。はい、さーん、にーい、いーちぃえあいッ!!!
「ほっ」
勢いよく、しかし仮想世界の俺とは天と地どころか天と奈落のモッタリ動作でベッドの誘惑からゲットアウト。もう十分に贅沢は満喫し切ったのだから、あともうちょい、これが最後と甘えたムーブは看過できない。
励め。現実と仮想を両取りする欲張りに暇な時間など在りはしない────
と、勤勉に机へ向かいノートを取り出そうとした折のこと。
「ん」
見計らったように手元で鳴り出したスマホの画面を見やって、
灯った液晶に通知として表示された、とある一言を目に写し取って。
「ッ────」
一も二もなく、駆け出した。
◇◆◇◆◇
そして、数分後のこと。
「……………………………………………………。なんらかの罪に問えるだろコレ」
『ごめんって言ってんじゃーん!!!』
先程の『HELP‼︎』とかいう実に緊急性を訴えかけてくる一言に全速力で応えた俺は、仏頂面かつ憮然とした声で不平不満を露わにしながら使われていた。
誰にって、そんなもの。膝の上でドライヤーに髪を吹かれながら『言葉』とは別に気持ちよさげな息を漏らしている、濡れ髪のニアチャンに他ならない。
勿論、誰の膝かといえば俺の膝だしドライヤーを操っているのも俺に他ならない。もう片方の手には大きなヘアブラシも装備した完全体仕様である。
「謝る気があるなら、まずその『はぁ極楽~』みたいな雰囲気を体裁だけでも引っ込めてからにしていただこうか。女子の〝助けて〟は問答無用で男をいいように操るリーサルウェポンゆえ、安易に使ってはならぬというのが世の真理────」
『手ぇ動かしてー今度はもうちょい右ぃー』
「これでよろしいですかこのやろう」
助けを求める声が一体なんだったのかといえば、なんのことはない『ドライヤーが壊れてた』とかいう力の抜ける理由が全てであった。
そりゃ長い御髪の乙女的には一大事かつ危機的状況なのだろうが、それにしても言葉を選んでほしかった。息せき切って駆け付けた俺が馬鹿みたいである。
『ごめんてば。そこまでキミがニアちゃんのこと大好きだとは読み切れず』
「お嬢様らしい縦ロールに仕立て上げてやろうか貴様」
今、誰が〝命〟を握っているのか正しく理解したほうが良いだろう。当然ながら、なにをどうすれば髪を巻けるかなど一ミリたりとも知らないが。
……とまあ、文句を言っちゃいるがニアにも情状酌量の余地はある。
例の『HELP‼︎』はメッセージではなくスタンプによるものであったし、そのスタンプもニアの親友こと三枝さんが頻繁に使うキャラのコミカルなものだった。
加えて、スマホを放り出して俺がダッシュした五秒後に『ごめんドライヤー壊れちゃって髪乾かせないんですけど助けてください』という詳しい用件が届いていたことも加味すれば……加味すれば、そうか。つまるところ、
「……………………まあ、俺にも非の一端はあるのかもしれない……???」
『一端というか、ほぼキミの早とちりが原因でしょうに』
「髪って、どうすれば巻けるんだ?」
『やめてってごめんって反省はしてますからぁ!!!』
癪だが、俺の過剰反応だったということか────もっとも、彼女の親友に諸々を任された身として、やや過保護やもしれないスタンスを崩す気はないが。
「はぁ……ま、いいや。ところでリリアさん、毛量ヤバくない? お前まさか毎日コレと風呂上りに死闘を繰り広げてんの? マジで???」
『こんなの乙女の嗜みですわよー? あと乙女に毛量ヤバいとか言うな』
「髪って毛じゃん」
『可愛くないニュアンスが含まれる単語は女の子にとってNGなんですぅー!』
「なんだコイツ」
然して、当然のこと風呂上り。随分と夜遅くに入浴してんなと思わないでもないが、ニアの風呂好きは親友からのリークで知れたことなので不思議ではない。
プラス、ふわりふわりと身体から漂わせている独特な香りも不思議ではない。別に変態的なあれそれを宣う訳ではなく、俺が持ってきたモノだから。
「お土産は如何でしたかね」
『んんんー……温泉! って感じ?』
「そりゃまあ、温泉ですので」
旅行土産に買ってきた入浴剤。お気に召したのかどうかは謎だが、反応から少なくとも楽しんではいただけたらしい。誠に結構である。
『自分から普段と違う香りするの、ちょっと変な感じ』
「普段の自分の匂いって自覚できなくない?」
『だから、今は特別に自覚できる香りってことー。あと乙女に匂いとか言うな』
「NGワードが多いなぁ……」
これもまた三日ぶり。適当極まる、だからこそ和やかを覚えざるを得ない、着地点など最初から存在しない行き先未定の会話を続けながら。
「ニアちゃん」
『なーんでーすか』
「近い。やりづらい」
『なんか慣れてる手つきの誰かさんに限って苦情は受け付けておりませーん』
いつもの如く……訂正、いつもの三割増し四割増し五割増しでグイグイ来る華奢な身体を受け止めながら、人生で二度目の超高次元任務に挑みながら。
機嫌良さげな吐息を零す異国のご令嬢様に、ついぞ『アーシェに頼めば良かったのでは?』などと惚けた馬鹿は宣わぬまま。
帰還後、最初の夜は穏やかに過ぎていった。
ハチャメチャに物覚えがいいからね。そりゃ一回でもやれば慣れるよね。
なお本当に旅行中一回だけのことだったのかは当人たちのみぞ知る。