そして離れて絵が二つ
「それではでは……っと────」
踏み切りは無音。
耳が拾うは裾がはためく衣音と、裂かれた空気の悲鳴が少し。視覚的な馬鹿馬鹿しさに比して物静かに、瞬く間に夜空の彼方へ消えていった姿を見送って。
「…………」
「…………」
残されたのは自分の他に、気心知れぬ少女が一人だけ。
よくまあ男か女かも知らせていない身に『見ていて胸やけがするほど大切にしている』と聞くパートナーを預け、振り返りもせず去れたものだなと。
「……行くか」
「ぁ、はいっ!」
感心半分────いや、訂正。
感心一割、呆れ九割を判定付けながら、止まっていた足を動かした。
「その、どこへ……」
終始無言同士を避け得ぬ可能性も予想していたが、人見知りの気を振り撒きつつも気弱という訳ではないらしい。思いの外しっかりと言葉を紡ぎながら、ゆらゆらが歩き出した隣……半歩下がった位置につく少女へ目を向ける。
視線が噛み合っても、琥珀色は逃げたりしなかった。
「オッサンから最低限お前のことは聞かされてる。とりあえず特訓だのどうだの、なにやるにしても街中じゃ身動き取れねぇだろ」
成程、幼気な少女と侮って過剰に気を遣う必要はないらしい。素直に好ましい事実確認を終えて、気を抜くと共に適当な言葉を並べて返す。
答えは視線を切って前を向く寸前、見えた首肯で十二分だ。
そしたら後は、この時間────『送ろうか?』という【曲芸師】の申し出を、わざわざ蹴飛ばして確保した移動時間にやることは一つだけ。
「────私は、辛い物が好きだ」
「へっ……?」
面倒でも、必要と思うからやる。そんな戯れが、一つだけだ。
「舌が痛くて仕方ないくらいが丁度いい。強い訳じゃない、むしろ弱い方。でも好きだから頻繁に食べて、たまに体調を崩したりする」
「ぁ、え? えと、その……?」
「お前は?」
「はいっ?」
「好きなもん、なんかあるだろ」
「………………………………い、苺。が、好きです」
「そのまま。ジャム。アイス、ショートケーキとか」
「……ショートケーキ」
「苺をケチるのは論外、間に二段以上クリームが挟まっているやつがいい」
「…………」
なにをやってんだと、思われるだろう。自分でも、どんだけ不器用なんだと現在進行形で自嘲している────けれども、この場はこれでいい。
ゆらゆらは『人付き合い』を好いていないが、別にできない訳ではない。
最近どこかの馬鹿の可笑しな本質を盛大に見誤った件はあるが、人を見る目がない訳でもない。なればこそ、やろうと思えばできてしまう。
「────…………、ふふっ……」
少女一人の緊張を散らし、笑声を引き出すことくらいは。
「スポンジを薄く綺麗に切るの、難しくて大変なんですよ?」
「作る側の視点だな。やるのか」
「たまに」
「そりゃ凄い。淑女らしい高尚な趣味だ」
そして、また暫く会話が途切れるままに二人並んで歩を進め────
「私は、黒が好きだ」
「私は……白、でしょうか」
「なんだ。金色じゃないんだな」
「ゆらさんこそ。銀色じゃないんですね」
ぶっきらぼうで素直じゃない彼あるいは彼女と、少女の交流は続いていく。
◇◆◇◆◇
斯くして【銀幕】ゆらゆら氏────改め、ゆらにソラを預けた数分後。
「ねぇ。ウチ、言ったわよね。アクセル踏む時は予告しろって。一言、断りを、入れなさいって、言ったわよね? んん???」
「いえ、はい。だからその、いくぞって……」
「いいことを教えてあげる。アンタのアレは、予告じゃなくて『宣言』なの。ウチはね、心の準備をするために言っといたのよ。『予告』しなさいよって」
「…………」
「どこの世界に、予告と同時に起爆スイッチ押す馬鹿がいるのかしら?」
とまあ、そのように。
俺は合流からの特訓再開早々、なっちゃん先輩から説教を受けていた。
「えーと、あのですね……」
「ん???」
「なんでもないですごめんなさいもうしません」
一応は俺にも言い訳もとい言い分があるのだが、先輩という絶対的立場から下される圧と眼力に刹那で白旗屹立が避けられない。
なんだよ……いやだって、二度目の駆け足体験中に調子良く『もう慣れたわ、余裕ね』とか宣うもんだからさ。おっマジかじゃあイケるなと思うじゃん?
決して要らぬ悪戯心が芽生えた訳じゃないぞ決して。
「……ったく。ソラの苦労が偲ばれるわね」
「ちょっとやめて。知り合った途端に弱みとして的確に弄るのやめて」
「今後アンタが馬鹿なことする度、あの子に報告するから」
「それは本当にやめていただけるか……!!!」
なお反撃の威力。容赦のない子猫様だこって。
「ほんと、ソラも姫もコレのどこがいいんだか……ま、いいわ」
と、全くもって「まあ(どうでも)いいわ」で済ませてほしくない一連の流れをポイ捨てし、慈悲無き先輩殿がスンと怒りと弄りを引っ込める。
よく怒る御仁だが、よくよく切り替えが早い御仁でもあった。
────んで、とりあえずの『全力ダッシュ一本』を終えて現在はサファイアの背中。なっちゃん先輩の休憩中にて、俺を背凭れにしていたアバターが再起する。
「じゃ、交代ね。不本意だけど、クールダウンだけで時間を使うのは勿体無いし」
そのまま彼女は立ち上がり……安定飛行中とはいえ、空の上かつ竜の上。
羽ばたかずに飛ぶことのできる我が竜の背は、基本的に揺れと無縁ではある。が、避け得ぬ風など諸々の影響は如何なプレイヤーとて無視できない。
それを〝糸〟を用いて手綱を編み、お利口に受け入れているサファイアの協力もあって器用かつ見事に御す【糸巻】殿は、黄色の瞳を俺に向ける。
「見てあげるわ。感謝なさい」
「俺も一応、教えることがある側……」
「感謝なさい?」
「至上の喜びでございます。なっちゃん先輩殿」
もういい加減に勝てぬと諦め無駄な抵抗を投げ出せば、高空の風鳴りにローブを揺らす白猫様は「わかればいいのよ」と鼻を鳴らして────
「ちょっと待って???」
前を向いていた俺のアバターが転身体につき低体重であるのをいいことに、有無を言わせず〝糸〟をけしかけ抵抗する間もなく早業反転。
そして一切の躊躇なく、俺が無防備に投げ出した両脚の間に納まる子猫。
なにやってんの???
「おいコラなにや──……っ、馬鹿ちょアンタこれこそ暴挙報告案件だろッ!」
「あー、うっっっっっさい! 耳元でギャーギャー騒ぐな!」
そして重ねられる無茶苦茶。唐突にヤベェ状況を作り出しておいて『騒ぐな』とは何事か────と、更に言葉を重ねつつ迅速に接触を断とうと動く寸前。
おふざけや冗談の色など毛ほどもない瞳に射貫かれ、俺は口を噤んだ。
「アンタが姫とソラとプラスもう一人、三人相手に馬鹿みたく誠実を気取って命ガリガリ削ってんのは知ってんのよ。南陣営の十席は漏れなくね」
「はぁ? なにしてくれてんのアーシェ……!」
情報源の精査など不要。羞恥ってか周知の原因は一つしかない間違いない。
「今更、他の女を意識したりしないでしょうよアンタ。んで、それを知ってるウチだってアンタのこと意識したりしないわよ。こ れ っ ぽ っ ち も ね 」
「そりゃ安心だけどエグい強調……」
「んだから、余計なこと考えなくて結構。さっさとアンタの〝糸〟を出しなさい」
「いや、あの……それでも密着する必要は────」
「あるから、こうしてんのよ。知ってるでしょ」
「………………」
あぁ、残念ながら、知っている。
だからこそ、彼女が言葉通り雰囲気通り真面目に真剣に正直に俺の『講師』を引き受けてくれようとしている事実が理解できてしまった。
……参ったな。この誠意を突っ撥ねるのは、酷く無粋に思えてしまう。
「はぁ…………糸を、出せばいいので?」
「えぇ。〝ヴァイス・シュヴァルツ〟だっけ? 生意気な五本でいいわ」
「はいはい……────んじゃ、よろしく頼みますよ。なっちゃん先生」
「先生って言うな」
なればこそ、グダグダ言わず迅速に応えて状況を脱するが吉。
【九重ノ影纏手】起動。糸を撚り、好き勝手させれば暴れ狂ってしまう出力を御した果て────伸ばした右腕の先。五指に紡いだ〝影糸〟を伸ばす。
然して、空を翔ける竜の上。夜に紛れる黒滲の線が棚引いて……。
「よろしい。それじゃ、レッスンを始めるわよ」
「やっぱ先生じゃん……」
「喧しい」
誰かさんと同じ予告ならぬ宣言の後、輝く雪糸が星空に舞い踊った。
なお二人とも、心拍数は迫真の平常値である。