Re:夜下の静に並ぶ
「────んじゃ、あとで。遅刻すんじゃないわよ」
「りょうか……いや颯爽っ」
返事を返す間もなく転移の光に包まれ去っていく先輩殿。そして幾時か賑やかを得ていたホームに満ちるは、やや寂しげな静けさが一つ。
情報共有を済ませたのならば、残念ながら適当な時間を過ごす訳にはいかない。皆各々に備えるべきことやるべきことを抱えているゆえ、クラン【蒼天】はパパっと散会してそれぞれのタスクへ身を投じていった。
お師匠様は……これまで使ってこなかった装備やらスキルやらの恩恵を自らの力に重ね、至高の先へと踏み出す異次元の修行へ。
テトカナは……どうやらカナタが新武装の扱い習熟諸々に関する特訓でテトラの世話になっているらしく、少年組二人で仲良く一緒に何処かへ。
で、なっちゃん先輩に関しては、俺が少々このあと用事アリってなもんで一時間ほどフリーで待機してもらう運び。とあるメッセージを検めた結果の突発予定へ時間を割くことを快諾してもらった形ゆえ、遅刻したら俺の命はないだろう。
……で。
じゃあ俺は迅速にササッと〝用事〟へ向かわず、なぜ沈黙に巻かれたまま共有スペースのソファから動こうとしないのかと言えば……理由は極シンプル。
「こっちも速かったなぁ……」
「………………」
なっちゃん先輩が空間を去るや否や。即ち自分たち以外の気配が消えるや否やのタイミング────吸い寄せられるように引っ付いてきた、可愛い相棒のせい。
先程まで堂々そっぽを向くわ言葉なく睨むわで、どこぞの子猫先輩には遠く及ばないまでもツンツンムーブをなさっていたソラさんである。
なんだかなぁって感じだが、昨日今日の旅行後半も大体こんな感じだったので流石に慣れてしまった。今となって俺は、ただ受け容れるのみ。
人前では素っ気なく……というか若干の距離を取り、二人になると瞬時にコレ。これまでのお決まりパターンがひどく極端化した形だが、明確に異なる点が一つ。
「………………………………………………………………………………」
これである。ソラさんが全ッッッッッッッ然、喋らない。
引っ付き方についても少々様子が違い、今までのようなベタ甘モードとは一線を画すレボリューションっぷり……────なにが一線を画すって、そんなもの。俺の精神に与えてくる威力諸々に決まってんだろ舐めてんのか。
いつものように伸ばされた手は、しかしいつもとは違い俺の手を僅かに撫でる程度。加えて肩に預けられている体重に関しても随分と軽く控え目で、なんかこう様々な内心を避け得ず伺えてしまう確かに変わった変わらぬ距離。
でもって、トドメの一撃。
「ソラさん?」
「………………はい」
「…………。んー……はは、まだダメそうか」
こちらを向かない顔を覗き込み、やや強引に視線を合わせれば……決まって恥ずかしそうに、愛らしい動作で瞳を逃がしてしまう現状である。
つまるところ、
意識しすぎ。
可愛すぎ。
俺は死刑ってな現状だ。
「……、ハルのせいですっ」
「そうな、仰る通り」
ということで、変調の理由など明々白々。やはりというか件のアレが十五歳の無垢な乙女的にちょーっと刺激的すぎたらしいってな話。
これでも少しずつマシにはなってきているので、俺にできることは罪状と一緒に彼女を真摯かつ粛々と受け止めるのみ────〝男〟との適切な距離感を探り始めた少女の成長を、黙って見守るのみである。
なお今のこれとて『適切な距離感』から程遠いことは、こちらも黙すものとする。本当に本当に今更のこと、俺がソラを突き放すとか根本的に無理なのでね。
トータル、いい変化であることは確かなのだろうから。
結果として俺が自分の首を絞めた形になった疑惑については、息も出来ぬまま死ぬ気で藻掻く覚悟は決まっているため無問題であるゆえに。
「ともあれ、だ」
触れる程度の絶対拘束を奮起してスルリと逃れ、自由になった片手で相棒の頭をポフりつつ起立。切なげな吐息で不満を訴えるのは俺に効くので是非やめていただけることを切に願いつつ、仮想世界のアバターだからこそできる遠慮ナシ。
「わっ、ぅ、ちょ……!?」
重ねて、残念ながら時間もナシ。クラメン各々が頑張っている折に俺らだけ桃色空間を製造している訳にも行くまい。サラサラ御髪をガッシガシ撫でて故意に雰囲気をぶっ壊すのも、致し方なし無罪放免は確実だろう。
ってことで、
「行こうぜ。なっちゃん先輩は勿論、あっちも待たせると怖そうだ」
「は、はい……っ」
で、勢いよく相棒を引っ張り上げたら颯爽と向かうは家の外。
すかさず健気に俺を追い掛けて、当たり前のように再び手を捕まえた犯罪かわいい誰かさんに関しては……まあ、ロスタイムってことで目を瞑るとしよう。
◇◆◇◆◇
斯くして、数分後。『無制限距離転移門』による超長距離転移を経て訪れたのは、【セーフエリア】に次ぐプレイヤー第二拠点こと【フロンティア】の街。
ズルズルと伸びていた一般開放の日付は『緑繋』攻略戦後と正式に決まり、ここを文字通り数え切れないヒトが満たすまで秒読みとなった今。
いっそ先行入りしている僅かな者たちの姿しかないのが不自然に思えてしまうまで完成した街の、その端っこ。いつだかも訪れた静かな場所にて……。
「────待った?」
「……、…………。待ってねぇよ」
いつだかと似たようなやり取りを交わせば、夜の闇に静謐を以って輝く『銀色』が俺を見た。見て、一度、二度と穏やかな瞬きを経て数秒。
暗闇に映える麗人の視線は俺から外れ、彼あるいは彼女は空を仰いだ。
「休暇とやらは満喫できたか、クソ生意気な後輩」
「そりゃもう、おかげさまで絶好調よ。クソ面倒臭い先輩殿」
「………………」
「そりゃもう、おかげさまで絶好調よ。ちょっと面倒臭い先輩殿」
「言い直すくらいなら一発目も留めとけよ。バーカ」
ごめんて。ちょっと口が滑ったんよ────なんて、柔い戯れこそ呑み込みつつ。例の一件を踏まえて次は殊勝に接さねばと思っていた俺に『要らぬ遠慮』を捨てさせるほど……どこまでも穏やかで、機嫌が良さそうな【銀幕】を見つつ。
後輩として、人として。先日の無礼を詫びるか否かを俺もまた数秒、迷った末。
「大口叩いて、悪かった。です」
俺は結局、素直に謝罪を口にした。
そして、そんな俺へ目も向けず、声だけを聴いて。
「っは」
静寂に木霊するのは軽薄ながら、どこか柔らかな笑声が一つ。
「違ぇだろ」
「あぁ。勿論、違う」
正しく受け取っていただけたようで、なによりである────今の言葉は決して、俺の〝自分勝手〟で彼あるいは彼女の〝自分勝手〟に挑み掛かり、生意気にも真正面から蹴飛ばしたことを詫びるモノではないことを。
「〝死ぬほど楽しい〟とは、残念ながら言わせられなかったもんで」
それは始まりも始まり、開戦の折に宣った大言。紆余曲折の激戦を経て、結局は達せられなかったと俺自身が認めている宣言の不履行。
俺が唯一あの戦いから抱え持ってきた、ちょっとした後悔に他ならない。
「…………」
空から降りた『銀色』が再び俺を見る。髪に隠れて一つしか見えないそれが、ひどく馬鹿馬鹿しいものを眺めるように俺を見て、
「────お前、歳いくつだ?」
「……十八。あと半年くらいで十九」
予想だにしていなかった意図不明な問いを寄越した【銀幕】殿へ、俺はさして驚くことも悩むこともなく偽らざる答えを投げ返していた。
言わずもがな、完全なるマナー違反。ある意味でアナログ(デジタル)オンラインゲームとは比較にならぬほど徹底的に己がリアル情報を守る必要がある仮想世界にて、プレイヤーに現実世界のプロフィールを問うなど非常識も甚だしい。
けれども、俺がサラリと赦してしまったように。
「そうか。……私は、来年頭で二十四だ」
あちらさんも、俺に対して少なからずを赦している気配を感じていたから。
「そしたら、こっちこそ。ガキ相手に大人げない説教なんかして悪かったな」
「ガキ言うな。いや自覚はあるけど、他人が言ったらシンプル悪口っすよそれ」
「なんだ、自覚あんのかよ。思ったよりも賢いじゃねぇの」
だから、思いがけず。
まだまだ互いを理解できたなどとは口が裂けても言えない。どんな心の動きを経て、今その表情を浮かべたのかなど知る由もないけれど。
だからこそ、思いがけず。
「────ハル」
初めて見たような気がする、いっそ下手くそ過ぎて切なくなるような笑みが。
「お前との喧嘩、死ぬほどじゃなくとも少しは楽しめたぜ」
「……そりゃ、よござんした」
なんとなく直視できなくて、今度は俺が空を見上げる番だった。
春ゆらり。