暮れる空に星三つ
────そして数分後。直属の上司もとい大将殿から勿体付けられた分まで、先輩様より諸々の情報共有をしていただいた末のこと。
「成程ねぇ……そりゃ確かに、俺らを組ませようってのも納得か」
「妥当な采配ね」
俺こと【曲芸師】と【糸巻】とで二枚。序列持ちという貴重な戦力を重ねて運用する目的及びメリットに関してはバッチリしっかり把握できた。
どちらかと言えば、戦略の要ってか核となるのは【糸巻】の方。つまるところ俺に求められているのは『最速の運び屋』としての働きってな訳だ。
即ち、来たる攻略当日までに俺たち二人がすべきことは一つ。
「ま、そういう訳だから……────そろそろ、駆け足は卒業で結構よ」
このツンツンした子猫先輩を、完璧かつ徹底的なまで俺の脚に慣らすこと。
予定されている〝同行者〟もう一人については良しとして、とにかく長距離の爆速ロケットデリバリーでも確実に耐えられるようになってもらうのが肝要だ。
これに関しては若干二名の例外こと〝剣〟の名を冠す東&南の序列一位がおかしいだけで、たとえ序列持ちだろうと基本グロッキーになるのは証明済み。一応は敏捷型ステータスのテトラ然り、序列持ちではないが曲芸師二号のカナタ然りな。
なのでまあ……。
「それはいいんだけど……一応、なんだ。少々、心の準備をですね」
時間が惜しいと迅速に話を進めようとする彼女の注文は間違っちゃいないのだが、ちょっと諸々の覚悟が足りていないように見えるのは気のせいか?
「鬱陶しいこと言ってないで、さっさと飛ばしなさい」
なんて懸念をそれとなく拭おうとするも、プライド高き子猫様はペシィと俺の腕を軽くはたいてこの通り。重ねて、至極不安である。
不安ではある、が────
「……了解」
他ならぬ先輩のオーダーだ。後輩としては唯々諾々と従うのみ……いや違うぞ。これは断じて、子猫の鼻を明かしてやろうなんて悪戯な思惑からではなく、
「────んじゃ、お覚悟」
偉大な御先達のポテンシャルを信頼するゆえの、情けも容赦も無用の一歩だ。
「ん、にゅ……っ!?」
《タラリア・レコード》の空中歩行を即時停止。然らば当然のこと宙を踏む権能を失った俺の両脚は空を遊び、数瞬の間を置いて慣性を維持した落下へ以降。
突然に姿勢が崩れ視界が安定を失い、これも当然だろう悲鳴一歩手前の鳴き声が腕の中から上がるが────残念ながら、まだなにも始まっていない。
さぁ行くぞ、なっちゃん先輩や。はい、さーん、にーい、いーちッ‼︎
「《天歩》」
「────────ッ、ッッ……!」
天を歩むとは名ばかりの、果てしなく暴力的な爆推力の轟。
《煌兎ノ王》の一部となった折に起動時のサウンドエフェクトが削除されたゆえ、謎に静音性を取得したものの出力に関しては迫真の据え置き。
敏捷ステータス参照にて算出される推力は、単純な走行と比較した場合AGI実数値の五割増し相当。そこに俺が持つ諸々の機動力強化スキルの効果が加われば、総合速力はAGI:500オーバーの瞬間最大速力を優に超えることになる。
言うまでもなく、まともなプレイヤーは一様に経験のないであろう速度域だ。
……で、
「さっすが先輩、根性あるわ」
息は漏らしたが、結果的には悲鳴ナシ。
恥も外聞もなく必死にしがみついてくることさえなく、冷静に〝糸〟を回し自分の身体を俺のアバターに括り付けてみせた冷静さは称賛に値する。
なので二度、三度と続けて空を蹴り飛ばしながら素直に誉め言葉を贈ってみれば、返ってきたのは『舐めんな』とばかりの睨み付け。
よかろう、ならば本番へGO。
「オーケー。そしたらば────ご要望通り、駆け足はここまでにしとこうか」
「ぇっ」
おや、なにを驚いた顔をしているのかね。
パッシブスキル諸々は使っているといえど、まだまだまだまだ俺は素面。こんなもの、ぶっちゃけた話『駆け足』ですらないことは……。
「さーて、なっちゃん先輩殿……」
「ぁ、え? ちょ、ちょっと待────」
「慣れるまで、お口チャックを推奨する」
よくよく、知ってるはずだろう?
『決死紅』起動、バフアップ。
更に《天歩》及び《天閃》並びに『纏移』を並列点火。
外転出力『廻』臨界収斂────解放。
然して、次の瞬間。荷物を抱えた人の身が軽率に音速の壁を突破し、盛大な炸裂音と衝撃波を撒き散らしながら空に一条の閃を引く。
ならば次いで、棚引くように……。
正真正銘の悲鳴が空を彩ったのは、言うまでもないことだろう。
◇◆◇◆◇
「────別に、舐めてるつもりはなかったわ」
「うん」
「だってまあ、ほら、見てるし。映像でも自分の目でも、何度も見たし」
「はい」
「一応、長時間、空に浮いてみたり。糸で身体を吊って落っこちてみたりとか、予行演習も踏まえて、ウチなら順応できるって驕りが無かったとは言わないけど」
「成程」
「でも、そうね。結果的にダメだったんだから、認めないとね────ウチは確かにアンタを、まだどこかで舐めてた。そんでアンタは、確実に頭がおかしいわ」
成程……成程なぁ。
「そうですか……えー、なっちゃん先輩。そこで迫真かつ謎のドヤ顔を作れるとこはシンプルに尊敬するけど、声も身体もガクブルじゃ威厳に欠け」
「うっっっっっさいわね見てんじゃないわよ馬鹿ッ! バーカバーカ! この人間ロケットいい加減にしなさいよ死ぬかと思った覚えてなさいッ!!!」
「えぇ……」
とまあ、全力疾走を終えての感想は大体そんな感じ。再びゆったり空中歩行へ移行してから数分ほど、息を吹き返した子猫先輩は元気一杯な様子で誠に結構だ。
実際問題、あの速度域になると我が相棒ソラさんでも目を閉じて俺にしがみつくレベルなので総合的に大したもんだ。言った通り身体も声も震わしちゃいるが、初回を乗り越えてその程度ならば重ねて称賛に値すると言えよう。
だから、うん。そうだな。
「まあまあ、そうニャーニャー怒らないで」
「言ってないわよ‼︎」
愉快な先輩弄り……もとい、相方結成を祝した戯れについてはこの辺で。
「出て来い、サファイア」
「へ? なん────」
呼び掛けに応え、夕暮れの空に〝夜〟が舞う。
黒一色の身体に無数の星を宿した調伏獣は、ご立腹の先輩を抱えた主の身体を掬い上げると共に……実に機嫌良さげに、その大翼を羽ばたかせた。
「ふぁ、ぇ、うわ……」
勤勉な彼女のことだ、サファイアについても勿論のこと識ってはいただろう。けれども、この威容を実際に目の当たりにした者の反応はいつだって変わらない。
序列持ちとて、それは然り。
直前までの怒りなどサッパリ消し飛ばされたかの如く、自分たちを乗せる巨大な背中を見つめて声を漏らす子猫を見て、主たる俺は笑み一つ。
ずっと抱えていた身体をゆっくりと下ろし、言葉なく以心伝心で『のんびり飛んでくれ』とサファイアへ遊覧飛行のオーダーを出しながら。
「俺の脚だけじゃなくて、こっちにも慣れてもらわないとだからな。また後で最高速も体験してもらうけども……ま、ひとまず心が落ち着くまでは」
なにも別に、意地悪をして怖がらせたい訳でもないのでね。
「今一度、楽しい空をご堪能あれよ」
と、言いつつ俺自身は慣れ切っている〝竜〟の背にドカリと座り込めば。
「…………アンタやっぱ、可愛くないわ。小学生男子みたい」
「なにおう。小学生なんて可愛いもんだろ」
「いや否定しなさいよ。……ばーか」
相も変わらずの容赦ない文句を零しつつ、ドサリと……これについても容赦なく、遠慮もなく、俺の身体を都合よく背凭れとして使いながら。
「………………ま、これは悪くないわね」
早速だが多少なり震えの薄れた声は、ほんのりと楽し気であった。
なっ好き。