おかえり三つ
水曜日。先週土曜に開催された『トライアングル・デュオ』から数えて四日、そして『緑繋』攻略という大事を三日後に控えるという圧に挟まれた日付。
その午後。夕方手前のタイミングにて、
「────っ!」
「おぼっふ……」
三泊四日の旅行を終えて無事に四谷宿舎へ帰還した俺は、土産を詰めた鞄を手にエントランスを潜った瞬間に正面から質量爆弾の襲撃を受けていた。
華奢寄りながらプロポーション良好、キラッキラに輝くお目々は若葉のような緑色。そして主の勢いに揺られるふわっふわのキャラメルブロンドとくれば……。
────正体見たりは、リリアニア・ヴルーベリ嬢である。
で、声なき出迎えの向こう側。
『おーかーえーり!!!!!』
「……はいはい、ただいま」
そちらは大人しく立っているままの残り一名。穏やかに笑んでいるアーシェがヒラヒラと振るニアちゃんズ端末から言葉を読み取り、挨拶を返す。
「リフレッシュ、できた?」
次いで彼女も言葉を連ねて、小首を傾げながら……大方、もう既に俺の様子を見てバッチリ察しているのだろうことを問うてきた。
然らば、俺の返答は両腕を上げてのマッスルポーズ。
「いつでもなんでもいけるぞ────んじゃ、次のオーダーは?」
さすれば、アーシェは更に一つクスリと満足そうな笑みを零し、
「仮想世界に行けばわかる。……おかえりなさい、ハル」
「おう、ただいま」
俺を締め落とそうとでもしているのかホールドを解く気配のないニアちゃんに続き、嬉し気な雰囲気を隠さず出迎えの言葉をくれた。
◇◆◇◆◇
「────うーん、この絶大なプラシーボ」
旅疲れなど起こさぬように大人しく過ごした三日目と本日午前中の立ち回りが功を奏し、現実の身体と心は癒し尽くされベストコンディション。
それを踏まえればだけではないのだろうが、しかし結局はそれが最もこれの要因を締める最大理由に他ならないだろうという確信がある。
斯くして三日ぶりにログインしてみれば、いやぁアバターが軽いこと軽いこと。
現実世界の体調もそりゃ関係はしているのだろうが、なにより『現実の身体が快調である』という事実認識が強力に作用しているのは間違いない。
この世界では、想いや思い込みが力になる。ならば当然、心身ともにノッていれば軽率に最高以上のパフォーマンスが出せてしまうのがアルカディアだ。
「いよッとぁ!」
ほれ見ろ、寝起きのルーティーンの跳ね起き壁蹴り大回転も普段より多く回っておりますわ。着地まで完璧、完全無欠の絶好調。
勿論のこと、旅行中に寝かせ続けたモチベーションも煮え滾っている。覚悟しろよ仮想世界、まーた暴れ散らかしてやるかんな────と、
仮想現実逃避は、その辺にしておくとして。
「……なぁにこれ」
意識を向けるのは、視界端。
ささやかな点滅によって報せを知らせるアイコンが一つ。他ならぬ見慣れた『メッセージ着信』を告げるものだが、その隣に表示されている件数よ。
旅立つ前、目ぼしい知り合いには休養云々と簡単な連絡を入れておいたのだが……これ、全員が律儀に返事を送ってくれていたが如き数字だなと。
でもって────なんだろうな、人望アリと自惚れていいのだろうか。
受信済みメッセージの確認は後にして、ひとまず帰還した旨を再び一斉送信にて連絡すると来るわ来るわ新たな着信が次から次へ。
なにこれムズ痒い……なんて一人で奇怪な顔をしていると、今度はシステム通知に留まらず部屋の扉がノックされた。
俺のログイン&リスポーン地点はクラン【蒼天】のホーム自室に設定されている。ゆえに当然、この扉を叩けるのは同じクランの面子のみ。でもって時刻は夕方手前、つい半刻前に別れたソラさんは夜ログインする旨を聞いているので……。
五人しかいないクランメンバーの内、更に夜行性の後輩(後輩じゃない)を除外すれば消去法で訪ね人の特定は容易いことだ。
ゆえに、一応というか無意識に身なりと表情を整えて。随分とお淑やかなノックの音に応え、扉を開ければ────
「ども。ただいま帰還いたしました、お師匠様」
「はい。おかえりなさい、ハル君」
立っていたのは、ちまっこい御姿ながら在り様は誰より大きな女性が一人。灰色の髪をサラリと揺らし、ういさんは穏やかな微笑で俺を出迎えてくれた。
いやどちらかといえば出迎えたのは俺の方だが、仮想世界へ帰ってきたという意味合いで……とまあ、それはともかくとして。
「…………」
「…………」
「……………………」
「……………………」
圧。無言の圧が────あぁ、ハイハイわかりましたよ本当にもう……。
「ふふ」
「ふふ、じゃないんですよ。ほんと少しずつでいいんで弟子離れをですね……」
目での求めに応じて膝を折れば、小さな手が機嫌良さげに俺の額を撫でる。
然して、心身ともにくすぐったくて仕方ないそれに耐えている弟子の心は迫真のスルー。なんですかねこれも【剣聖】式の精神修行かなにかですかそうですか。
いやこれについては受け止めてしまう俺も俺……さておき。
「えーと……すいません、俺ちょっと方々へ出向く必要がありそうでして。お土産話なんかをアレコレしたいのは山々なんですけれども」
今この瞬間もポコンポコンとメッセージが増えていっているが、そちらを確認するまでもなく向かうべき場所が複数ある。検めれば行き先は更に増えるだろう。
ので、推定スケジュールは割かしギッチギチ。
三日ぶりの師と交流を深めたいのは山々なのだが……といった風に御伺いを立てれば、ういさんは弟子可愛がりに満足したのか否か素直に手を引っこめた。
「承知しました。お気になさらず、いってらっしゃい」
「はい。ではでは……」
相も変わらず、染み渡るような和やかで穏やかで綺麗な微笑み。
かの【剣聖】様の『おかえり』とか『いってらっしゃい』とか、男女問わず世のファンが血涙を流して欲すアレなんだろうなと適当なことを思いつつ。
「…………、……」
もう流石に、一度一度の別れを惜しむような間柄でもない。〝家族〟の意を持つクランの仲間にさえなってしまったことも含め、随分と諸々の距離が縮まった。
だから、踵を返してから数歩。なんともなしに足が止まったのは……おそらくきっと、いや断じて、寂しさとかそんな戯けたアレが理由ではなく。
「……? どうかしましたか?」
振り向いて、俺を見送る彼女の顔を眺める。
「…………いえ、どう……というか」
なんとなく。
そこはかとなく。
本当に些細な、違和感とも呼べないほど小さなモノ。
「……ういさん、なにかありました?」
彼女の纏う空気が、声音の色が、瞳の輝きが。
ほんの少し、ほんの少しだけ、俺が旅立つ前の時から変じている気がしたから。いつものように弟子として、ただただ素直に問うてみた。
すると師は、こてりと首を傾げてみせる。
「なにか、とは……?」
「…………」
成程。……成程? その反応が示すところは、つまり。
「あー、いえ、なんでもないです。────んじゃ、行ってきます!」
「ふふ……はい。いってらっしゃい」
俺の気のせいだった、ということで良いのだろう。
◇◆◇◆◇
「────…………」
いつもいつでも、少年のような笑顔を絶やさない青年が駆けていく。
他でもない弟子の背中を見送って、クランの〝家〟から彼の気配が去っていくまで、ただただ静かに見守って……溜息を、一つ。
そして、左手を持ち上げる。
結んで、開いて。結んで、開いて────自らが望むままに弟子を可愛がっていた掌を、ジッと見て。彼女はそっと、それを自分の額へ当ててみる。
〝熱〟は………………全然、わからない。
わからない。けれども今、彼女が胸に抱く言葉は一つだけ。
「……全く、もう」
誰も見ていないからこそ、誰にも見せたことのない表情で。
困ったような、不満そうな、どこか腹を立てているかのような不平顔で。小さな【剣聖】は静寂の中に在って一人、天井を仰ぎながら。
「弟子も、生徒も……困った男の子ばかり、です」
誰も聞いていないからこそ、誰にも聞かせたことのない声音で。
零された文句は、静謐の中に溶けていった。
初々しい。