心に宿った時間
斯くして、これも結局はいつも通りに。
「────と、以上のことから俺は別に長い黒髪の女性を個人的に好んでいるとかそういった事実など存在しない旨をご理解いただけたと思う所存ですが」
「はぁ……」
両撃沈、からの開き直り。これまで幾度となく繰り返してきた、謎ルーティンとも言える体力及び精神力を捧げて空気を整えるお約束。
羞恥が臨界へ届くに至っては互いに『もうどうにでもなぁれ』と諦めの境地に達することで、二人揃って一時的な無敵モードに入るという破滅の技である。
「ハル」
「はい」
「別に、その……好みくらい、誰にでもあると思います、ので。言い訳は必要ないというか…………むしろ、素直に教えてほしいと、いいますか」
「オーケー全くご理解いただけてないことは把握した」
なお反動。諸々の後悔が別れた後に襲い掛かってくることなど言うまでもないが、後のことなんざいいんだよ。俺たちは今を生きてんだ掛かってこい。
そんな些事よりも、今この場で徹底的に誤解を解くと決めた以上は退く訳にはいかない。己が沽券を守るため信念を以って抗戦あるのみだ。
「だぁから、何度も何度も何度も何度も申し上げている通りですねぇ? 恥ずかしながら俺は、見慣れない姿に、目を引っ張られちゃう習性があるんです!」
「習性」
「誰でも、最初に出会ったときの姿を〝基本〟として覚えちゃうもんだろ? それがアホみたいに強烈かつ鮮烈な体験やらなにやらで彩られてんなら余計に」
「それは、はい」
「だからもう、これに関してはアーシェに限った話じゃないんだっての。たとえばニアが相手だったとしても、勿論ソラにだって、仮想世界と違う現実世界の姿を見て似たような反応はしてるはずなんだよ。ってか、絶対してます。えぇそりゃもう絶対してましたー! 他ならぬソラさんなら気付いてるだろっ!」
「それ、も……はい」
「はい納得いただきました絶対に返さんからな。改めて、以上の事柄から俺は別に黒髪ロングが〝癖〟だのなんだのなんて事実はなく────」
「ギャップが、お好きと」
「………………」
「………………」
然して、徹底抗戦の結果。
「つまり、えと……試みは、間違いではない、と…………」
「………………………………」
無敵モードの出力に振り回された俺が常以上の爆死を遂げるのも、誠に遺憾ながら幾度となく繰り返す『いつものこと』である。
手入れを終え、普段に増してツヤサラ煌めく御髪の毛先を弄りながら、ぽつり。
「元々、憧れは、あったので」
ほんの少し、出会った頃より丈を伸ばした髪を摘まみながら、ぽそり。
「頑張って、伸ばしてみます。……から、えと」
当たり前のように、いまだ膝の上に納まりながら、ぽやりと。
「お、……────お楽しみ、に……していただければ、と」
「………………………………………………………………………………ハイ」
的確に俺の琴線を射抜き、あどけなくも強かな少女が今日も今日とて無双する。全くもって、どこぞの無敵侍もビックリな圧倒的戦闘力だ。
「その、ご興味は……あります、よね?」
「あります」
「……こういう聞き方だと、とっても素直なんですね」
断じて誰にでもじゃない────なんて、更なる自爆はいい加減に自重しつつ。
「ソラさん」
「はい」
「足、痺れてきたんすけど」
「嫌です」
「えぇ……」
そちらこそ、こういう時は我儘を隠さずメチャクチャ素直に無敵に甘えてくる相棒様である。そろそろ夕食の集合時間にもなるのだが、それまでに果たして解放してくれる気になるか否か────あぁ、はいはい御随意に。
「最長、あと五分な」
「………………」
「無言で不満を訴えない」
ぐいぐいと背を押し付けてくる少女の求めに応じて、体温感触その他諸々を意識の外へ蹴飛ばしながら手入れしたばかりの髪を梳く。
乱暴に、適当になどできるはずがなく、至極丁寧に。
だからこそ。避け得ず事細かに指先へ伝わってしまう絹糸のような柔らかさに、どうしようもなく頭の奥を痺れさせながら。
「…………今日」
それでも断るなんて気になれず、唯々諾々と従ってしまう虜一号に更なる不満を訴えるように。囁くような声音と共に、膝を軽く抓られた。
「……斎さんが、あんなこと言い出した理由、わかる気がします」
拗ねている……とは、また違う気がする色。不満はあるが、それよりもなによりも『困っている』ような。どうすればいいのか悩むような声だった。
「ハル、慣れちゃってますよね」
「慣れ?」
俺が首を傾げたのは、振り返らずとも感じ取っているのだろう。ソラは向こう側の壁へ目を向けたまま、少々の逡巡を挟み────
「私と、その……ふ、ふれあう、と、いいますか」
まあ、口にするのは勇気が必要だったとわかる言葉を零してみせた。
なんと答えればいいものやら、そもそも今このタイミングで反応を求められているものやらと一瞬フリーズした俺に、華奢な背中を殊更に押し付けて。
「わ、わかってます。わかってるんですよ? えと……、…………」
まるで────というかおそらく、そのもの。
「こうやって、ちゃんと……ドキドキ、してくれてるのは」
偽りのない俺の心拍を読み取りながら、少女は言う。
どこか複雑そうに、言う。
「でも、やっぱりそれは…………パートナーだから、が、入っていて」
「………………」
「一緒、ですよね。私もです。安心とか、信頼とか……一緒、です。わかります」
言葉にとりとめがなくとも、問題はない。そう、なにも。
「────ごめん。不安にさせてる?」
「っ…………いえ、あの……いえ」
つまるところ、ソラ自身も危惧を抱いていたから、あの胸中を察するには難易度が高過ぎるメイドもとい姉の思考を読み取れたということで。
やはり、どうしても、根底にあるものとして。
「結局のところ、俺はソラのことを相棒としてばかり見てるんじゃないかと」
「…………」
「そればかりじゃなかったとしても、アレコレ妨げになってるんじゃないかと」
まあ、そう思わせてしまうのも当然のことだったやもしれない。
やっぱり、どうしても、俺はニアやアーシェと比べソラを特別扱いしている。してしまう。自覚があるし、それは紛れもない事実だろう。
だからこそ、不安を抱かせてしまう部分があった訳だ。
即ち、それは贔屓ではなく区別なのではないかと。
自分は本当に、女の子として見てもらえているのだろうかと。
意識しているのは、伝わっているはず。間違いなく、伝わっているはずだ。
けれども……それでもなお俺たちにとって大き過ぎる『パートナー』という関係性に、覆い隠されてしまうからこその避け得ぬ思考。
「…………私、パートナー、ですし」
「うん」
「年下、です」
「だね」
「三歳差って、結構、大きくて」
「まあ、学生同士の三歳ってデカいよな」
現実世界で出会ってから……ではなく。約束を交わした、あの夜から。
「……自分でも、子供だと、思いますから」
ソラはよく、自分のことを『子供』と称すようになった。
「不安、とは、違うんですよ。嬉しいんです。それだって、私にとっては大切な〝繋がり〟で……二人で、約束も、しましたから────でも」
それは俺と一緒に、諸々の覚悟を決めたからこそ生じた心の動きなのだろう。
「安心が、もどかしい、です……」
俺たちは、互いへ向ける信頼と親愛を感情から切り離せない。
たった半年ほどのこと。けれども、出会うまでの人生と比べても決して引けは取らない巨大な密度に満ちた時間で築いてきた、奇跡のような絆を。
嘘みたいな御伽噺のように、深く深く深く繋がってしまった、心を。
離せないからこそ、いつだって近過ぎて、ふとしたことで見失ってしまう。
「傍から見ても、そうなんだろうな」
「…………はい」
だから、斎さんも無茶苦茶を言い出して焚き付けたりした訳だ。おそらくは昨日、なにかと遠慮なし躊躇いなしでソラと触れ合う俺の姿を見ていたから。
言葉通り、それは確かに『不安』ではないのだろう。
もっと厄介で、どうしようもなくて、もどかしい、無二のパートナーという絆の上に更なる関係を乗せてしまったがゆえの『安心』という〝枷〟────
「…………」
「……、ん…………」
優しく髪を梳けば、信頼しきった吐息が揺らす。
空気と、雰囲気と……なによりも、他ならぬ俺の心を揺らす。
「…………、……、……………………、………………………………」
言葉を紡ごうとして、紡ぐ意味があるのか考えて、思考に囚われて、感情に縫い留められて、口を開けては閉じてを繰り返す。
けれど、言いたいことは見えている。
言うべきことは決まっている。それに、
「…………。ソラ」
あの日から、覚悟を絶やした覚えはない。
だから悩めども迷えども────今の俺にとって沈黙は躊躇いなどでありはせず、ただ勇気を蓄えるための助走に過ぎないのだ。
「ソラのことが、大切だ」
言葉にして、止めない。
「ずっと一緒にいたい」
言葉にして、留めない。
「隣にいてくれると、すげー安心するんだよ」
言葉にして、抑えない。
「それ全部、確かに相棒としての言葉かも。でもって、どうしたってそれが最前列に来るのは……もしかすると、ずっと変えられないかもしんない。ごめん」
「……、……でも、それ────」
「けど、見てるよ」
思いを識るだけではなく、想いを交わそう。その約束を違えないために。
「それこそ、どうしようもなく困るくらい、ソラのこと。ちゃんと女の子として見てるよ俺────そこの気持ちは区別して、ちゃんと三人に向き合ってるから」
嘘はなし。飾りもなし。
格好悪く、無様で、罪に塗れてはいるのは今更のこと。
それがどうした。たとえいつか世界中にロクデナシ呼ばわりをされようとも、俺は俺へ想いを告げてくれた三人に身命を賭して向き合い尽くすと誓ったのだ。
いいか、世界この野郎。
いつか答えを出すまで、そしてその〝先〟までも、精々よくよく見晒しやがれ。
「そんで、だから……────言葉にするのは、もうちょっと待って欲しいので」
ソラと、ニア、そしてアイリス。真っ直ぐに真っ直ぐに俺を『好き』だと言ってくれる彼女たち────三人に惹かれるまま歩いている、今の俺の心に、
矛盾や瑕疵など、一片たりとも在りはしないと。
だから、
「行動で示すけど、内緒な」
「ぇ……────へ、ぅっ!?」
パートナーを抱えるのではなく、お嬢様を抱き上げるでもなく……俺はただ、俺を想ってくれるがゆえに心を砕いている〝女の子〟を抱き締めた。
顔は見ぬまま、後ろから。強く強く、求めるままに。
「な、にゃっ……!? は、ハル────」
「答えも出さないままなにしてんだ貴様と罵ってくれても結構。清々しいほど今更だし、言葉で伝えきれない以上は他に手段がないので許してくれな」
「へぁっ……ちょ、耳っ……────」
「いや許してくれなくていいんだけども、せめて納得はしといてほしい。そこに関してだけは、心配いらんと疑わないでもらって問題ないからさ」
「あ、の……え、ぇ……────」
「パートナーとして、こんなことはしない。流石に」
「……、………………」
慌てふためきながらも、抵抗はない。
言葉を並べながら、華奢な身体が壊れないように気を付けながら。両腕の力を強める俺に抗おうとはせず、瞬く間にクタりと力が抜いていくソラを離さず。
「可愛いと思ってるよ。そりゃもう、犯罪的なレベル」
「っ……」
「なにかと触れ合う度に、経験絶無だった俺の心は大変だ」
「そ……、………………そ、そうなん、ですか……?」
「そうだよ。素直に信じていいよ、心拍」
離せる気さえしないのだと、本心を伝えるように。
「本当に、参ってるんだ。どうすりゃいいんすかねコレ。ぶん殴られても仕方ないことを白状させていただきますけど、答えが出せないからツラくて仕方ない」
「つ、つらい、とは」
そんなもの、決まっているではないか。
「……死ぬほど魅力的な女の子に、正式に手を出せない男のツラさです」
「────っ……」
ドクンと、背中越し。
俺の鼓動とぶつかり合って爆発してしまうのではないかと思えるほど、少女の心臓が大きく大きく跳ね上がったのを感じ取れた。
……齢十五歳の少女には言葉の刺激が強かっただろうか? ────まあいい、それもまた今更だ。加えて、せっかくの機会だから思い込みも正しておこう。
「……とまあ、以上のアレコレからそこも理解していただけたと思うけど。俺、別にソラのこと『子供扱い』したりとかほぼほぼないから」
「ぇ、そ────」
「そうなんです。誰がなんと言おうがそうなんです。確かに出会った頃は『妹分扱い』的なアレとして立ち回ってたし、今も『年下扱い』はしてるけどな? それはロールプレイとか今に至っての関係性とか諸々を加味しての振る舞いであって、そもそも俺は現実で会うまでソラのことを年上だろうなと思っていた訳でしてね?」
「…………、……」
「『子供扱い』は、少なくともおふざけ以外でしたことないんすわ。歳を聞いてからは余計に、ソラさん本当に十五歳かぁ? って疑うばっかりだわ」
それはもう偽りなく、心の底から。ゆえに、
「俺は十八歳。ソラは十五歳────後付けなんだよなぁ、それ」
「あと……え、と、どういう」
「さっきも言ったじゃん? 最初の姿ってか印象を〝基本〟として見ちゃうって」
それを言うなら、それこそソラは俺にとって、
「『子供扱い』とか、するほうが難しい相手なんだよ」
どうにもこうにも、出会ったばかりの頃。無邪気ながら淑やかで丁寧で落ち着いた振る舞いに『大人らしさ』や『女性らしさ』を感じた印象が色褪せない。
そりゃ流れやノリで年齢相応の振る舞いを子供らしいと思う場面はあるが、それとこれとは話が別だ。断じて、俺はソラを真に『子供扱い』したことなどない。
だから、とどのつまり、言いたいことは一つだけ。
「結論。しっかり油断せず、気を付けといたほうがいいぞ」
「…………な、なにを、でしょう」
聞かずとも、いつものように察しているのだろう。
緩まぬ腕に抱かれるまま、緊張その他あれやこれや……ともすれば、初めて意識するのかもしれない領域の感情に僅かながら声が震えていた。
俺はひとまず、それが恐怖からくるものではないことに安堵の息を零しつつ。
「俺は間違いなく〝男〟で、ソラさんは俺にとって間違いなく〝女の子〟なので」
慣れないながらも、これは今度のために必要な儀式と信じて────
「そっちこそ……────男としての俺も、正しく見とけよってこと」
「────ひ、ぅっ……!?」
灰色の高校三年間、社会で培った演技力をここぞとばかりに最大披露。
「信頼するばっかりじゃなく、ちゃんと警戒もするように。…………してくれないと、こっちも困るんだよ。ソラに限った話じゃないけどさ。わかる?」
わざと耳元へ、囁くように。下手に怖がらせないよう限度のラインを見極めつつ、可愛くて魅力的で仕方のない少女を年上として諭すように。
────その実、これが迫真の〝命乞い〟である事実に胸中で自嘲しながら。
「ソラ」
「は、っひゃ、はい……!!!」
「お返事」
「──────っ、はい……!!!!!」
あまり聞かせたことがないであろう声音を届ければ……ちょっと気の毒なほどに調子を乱してしまったソラの様子に申し訳なさを感じつつ。
「────よし、重畳。ソラは納得、俺は理性が守られる。いいこと尽くめの意識共有が成ったところで、そろそろお夕飯の時間だぞっと」
カラッといつもの調子に戻し、今度は意図して与えた多大なる緊張と動揺をほぐすべく抱擁を解いてペフペフペフと少女の頭頂を軽く叩きあやす。
勿論のこと、振り返る素振りなど見せたら即座に頭をロックする構えだ。
当たり前だろ己のキャラに真っ向から反する斯様なキャラを真顔かつ冷静に演じられる訳がない今この瞬間に顔を見られたら無様が大爆発で俺は死ぬ────
「────あ、あの、はい…………あの、ご飯、はい、あの……えと」
と、こちらも乱れに乱れている心を必死に宥めつつ声ばかりは平静を装う俺を他所に……それはまるで、仮想世界のオーバー表現が如く。
浴衣から覗く首筋までも真っ赤に染めた少女が、声も身体も震わせながら蚊の鳴くような途切れ途切れの儚い言葉をぽつりぽつりと並べ────
「ご、ごめ、なさ…………立て、動け、なっ……」
「………………」
「こ、あの……………………腰が、抜けちゃった、みたいで……」
「……………………………………………………えぇー……」
「えぇーって……! えぇーって! ハルの、せいじゃ、ないですかっ……‼︎」
「ソラさん、そういうとこだよ。ほんと気を付けてね頼むから」
「なんですかそれっ! 知りません、なんですか、もうっ……!」
「軽率に俺の理性を煽んないでくれる? 十八歳男子舐めんな? いい加減にしろよコラお嬢様方はどいつもこいつも本当にっ……っっはぁあァアッ!!!!!」
「なに、なんっ────わぁうっ!? は、ハル、ちょ、なにっ……!!?」
「知らん、行くぞ、俺は腹ペコだ。恥ずかしかったら寝たフリでもしてなさい」
「へぁえぇえぇぇえっ……!? ま、待って……! 待って待ってぇっ!」
まあ、なんだ。
俺たちらしく、結局は勢い任せのグダグダには相成ったが────
「待ちませーん!!!!!」
「ちょ、やっ……────もぉおぉぉおおぉおっ!!!!!」
この実に可愛らしい怒り声を聞く限り、慣れない形で格好付けた甲斐はあったのかなと。それについては、ようやく安心してもよさそうなので。
重ねて、せっかくの機会。せっかくの旅行だ。
残る二日もこの調子で、今まで通り……俺たちは、隣にいればいいだろう。
言うことはなにもない。沈め。