熱源三つ
俺の名前は春日希。ごく普通の男子大学生……とは現状とてもじゃないが宣えない、至極アホな立場へ駆け上がってしまった事実上の非一般十八歳男子。
趣味は料理に菓子作り、特技は『やると覚悟を決めたらなんであろうと死ぬ気でやり遂げる』こと。その他アレコレちょいちょい人間的にズレている部分があるのは一応しっかり自覚している────が、しかし。
それでも己が片面である〝普通〟を手放さず在るよう努力しているがゆえ。精神的な尺度や物の考え方で言えば、世間の健全な青少年と大差ない十八歳男子だ。
そう、健全な十八歳男子なのである。
ちょっとなんやかんやあり『恋愛』に対しては及び腰になってしまうものの、これまで口でも態度でも示してきた通り人並み程度の興味や好奇心はある。
なんの話かと問われたなら、そんなもの────
「「……………………………………………………………………………………」」
目を凝らせば僅かばかり見える湯気を散らす、穏やかで心地よい風。
どこからか耳に届くのは、静謐と歌う鳥の声。
そして天上、見上げれば意識を呑み込んでしまうような真っ青な空……。
当然だが男部屋のそれと同一の造り。相も変わらず熱過ぎず温過ぎずの絶妙な温度で『永遠に此処にいろよ』と訴えかけてくるような至福の具現に抱かれるまま、履き慣れない海パン一丁で沈黙に沈む俺は真実犠牲者。
そうとも、犠牲者さ。お隣で同じく口を噤み固まってしまっている同じく犠牲者……兼、いろいろな意味で犯罪的な存在感を放つ誰かさんによって。
現在進行形で感情をメチャクチャにされている、哀れで阿呆で馬鹿な男一匹だ。
「………………」
「………………」
会話とかできる訳ねぇだろ舐めてんのか。
正直なところ、ここへ至るまでの記憶がひどく曖昧で現状認識にすら難がある。しかしながら、こうなることを確定させた一幕だけは記憶していた。
────ご……………………ご興味は、ある、ので、しょうか……。
────あります。
即答だった。即答だった。
迫真の、即答だった。
誰が一番ビックリしたって、そんなもの俺が一番ビックリしたに決まっている。もうマジで、完全に意識から乖離して口が勝手に喋っていた。
そんなつい先ほどの馬鹿を振り返って、俺が俺自身に掛ける言葉はただ一つ。
仕方ねぇよ、男だもの。
いくら紳士を気取っていようが、生物としての本能や本質を裏切れるはずもない。憎からず思っているどころか『大好きである』といっそ公言できるレベルに親しく大切な女の子に「見たいですか」か問われて、首を横に振れる訳がない。
俺の名前は春日希。
その辺に関しては実際問題、極々普通の十八歳男子なのである────
「…………あ、の」
「ハイ」
鼓膜を隣からの声音が揺らした瞬間、緊張と動揺その他諸々によって百割反射の食い気味な返事が口から飛び出した。格好悪いにもほどがある。
同じく届いた身動ぎによる波に肩を撫でられ、心の中では悲鳴を上げつつ、
チラと、声から読み取った求めに応じて視線を向けた。
「………………………………………………」
「………………………………………………、……っ」
いや直視できねぇ、いい加減にしろ。
温泉とか、混浴とか、あらゆる意味で常識とミスマッチも甚だしいシチュエーションが爆裂させている高揚感とか罪悪感とか背徳感とか諸々は抜きにしても。
如何せん、眩しいが過ぎる。
メイドのチョイスが犯罪的すぎるのだ。いやもう本当、ここに至り確信したわ斎さんあの人マジで頭おかしい。頭おかしい(称賛)────
「────…………、ふ、ふふっ……」
とまあ、さもありなん。
散々に無様極まる姿を晒し続けた末、遂に年下少女に笑われてしまった。俺があまりにもあんまりな反応を見せていたからだろうが、僅かばかりとはいえ声音から緊張が抜けているのも気のせいではないと思われる。
情けないが正直助かる。この状況で二人とも固まったままでは真に地獄だった。
「あの、ごめんなさい。おかしなことを、言うようですけど……」
「……な、なんでございましょう」
なお、天国に在って地獄が継続することには変わりない。
「ちょっと、安心、しちゃいました。……ハルも、ちゃんと男の子なんですね」
「…………………………」
さて、バイト戦士時代に受けた教えにこんなものがある。『いざって時、女の子は信じられないくらい大胆になり度胸を見せる生き物である』と。
果たして、アイスクリーム屋の店長である美代子さん(33)バツイチが語っていたことは真実だったのだ。深く感服せざるを得ないだろう────
「っ、?……ちょ」
アホな現実逃避をしている間に、湯が揺れる。波が立つ。
接近の気配を感じ取り顔を背けつつ緊急退避を試みるが、時すでに遅し。熱い湯の中ゆえ体温は感じ取れない、しかし確かに柔らかな感触が俺の手を捕まえた。
捕まえられて、しまった。
「待っ、ほんとソラさん今ダメだから、ちょい一旦タイム────」
「意識し過ぎ、ですよ。……嬉しいですけど、困っちゃいます」
「俺も困る。今マジで本当に困ってる頼む離れ────」
「混浴って意識すると恥ずかしくなっちゃうので、温水プールとでも考えればいいんじゃないでしょうか。それなら、やましい感じもしませんし」
「裏を返せば現状『やましい感じ』があるってことに────」
「……それは、そうですよ。当たり前じゃないですか」
そうして、湯の熱よりも更に熱い、火傷しそうな温度が左手を灼く。
「流石に、こんなの、誰にも……言えません、もん…………」
「…………………………………………」
多分きっとおそらく、今この瞬間に俺は死んだ。
齢十五歳の少女とは信じられない、そうとしか言い表せないような色気を滲ませる声音。空気で、息遣いで、致死の情念を叩き付けてくるような声音。
「………………ハル」
「は、はい……」
「……感想」
「………………」
「このまま、ずっと待ってたら……聞かせて、くれますか?」
「…………………………………………」
もう勘弁してほしかった。
一体あと何度の死を重ねればいいのだろうかと思いつつ、しかし俺には無理無茶無謀を押し通しても貫き通したい信念がある。
抱いてしまっている、抱えてしまっている。
────この子の我儘には、是が非でも応えてゆくのだと。
ゆえに、改めて目を横へ。さすれば共に湯へ身体を浸しているものの、濁り湯でもなければ夜間でもないため諸々しっかりと目に映ってしまう。
少女が身に纏っているのは……白地に水色のアクセントが入った、シンプルなビキニタイプの水着。下衣はスカート型で淑やかさを演出しているが、ハッキリ申し上げさせていただければ『だからなんだよ』ってな具合。
それは常々わかっていたこと。メイドプロデュースの賜物か生来の素質か不明だが、ソラさんは歳の割にしっかりと女性らしさを宿していらっしゃるのだ。
だからもう、単純に。端的に────刺激が、強い。
……あとね、それを踏まえて、トドメの一発。
「……………………………………ソラさん」
「はい」
振り返って見た、そこは年齢相応にあどけない顔がね。
「……顔、見たことないくらい真っ赤っかですけども」
「────し、っ……! 仕方、ない、じゃない、ですかっ……!!!」
言葉や振る舞いとは裏腹に、やはりしっかりバッチリ特大の羞恥を継続していたらしい恥じらいの顔が、もう本当に言葉にできないほど……。
「…………め…………、……メチャクチャ、かわいい、です」
「……っ、………………!!!!!」
言語化できないほど魅力的でどうしようもなかったので、致し方なし。
語彙力の死んだ幼稚な誉め言葉で、赦していただけることを望むばかりだった。
よし、健全だったな。