一方その頃、旅館組
「────参りました」
敗者と立案者が罰ゲームへと旅立ち席を空けた交流の場にて。遊戯の『盤』を挟んでいた二人の内、大きなほうが感嘆と共に深々と頭を下げ投了する。
盤上に描き出されているのは、いっそ美しく完膚なきまでの完全試合。逃げ場なく丸裸にされた〝王〟が成す術なく白旗を上げたその様子が────
「ソラちゃんすごーい!」
「……中々、やる」
対局前に「ちょっとは覚えがあるぜ」と息巻いて見せた十九歳男子を、
「えへへ……」
幼気な少女が、見事ボコボコに伸したことを意味していた。
聞いてはいた。これについて事前情報は全員が聞かされていた……のだが、改めて。出掛けにもパートナー様が「ソラに囲碁将棋チェス諸々は挑むなよ」と盛大なフリを残していったのは大袈裟でもなんでもなかったらしい。
まさしく完封、パーフェクトゲーム。ぐうの音も出ないほどの敗北である。
「ヤバかったな……なにしても読まれてる感じがしたぞマジで。いやそもそも『読まれてるな』って事実認識に至る経験が人生初で震えたんだが」
「………………参考までに、何手先まで読めてたの?」
「え、と……十手、くらいでしょうか」
と、少女を褒め称える三人の内で特に慄いている様子を隠せていない美稀が、己の問いへ返された答えを受けてゆっくりと眼鏡を外して眉間を揉む。
「癖もなにも知らない初見の相手で、十手」
「は、はい……」
「凄いことはなんとなくわかるけど、どれくらい凄いの?」
更に楓の質問が差し込まれ、俊樹のように俄かとは呼べないレベルで覚えがある十八歳女子が声音に畏怖と呆れを滲ませながら解答を示す。
「トップ層とは言わないけど、普通にプロ棋士並みの実力はありそう。少なくとも、間違いなく、アマチュアレベルには留まらない」
「マジで?」
「ソラちゃんすごーい……!」
そうして周りの年上たちが囃し立てる中、しかし少女は謙遜しない。
やや恥ずかしそうにしてはいるが、ほんのりと緩む頬から素直に喜んでいる様子が見て取れる────こういうところもパートナーこと友人の言う通り、ただ大人しく淑やかなだけの令嬢ではないのだと納得させられる。
この子も確かに、仮想世界で〝上〟を翔けるだけの器があるのだと。
「希君の誇張でなければ、将棋だけじゃなく囲碁やチェス……他のゲームについても似たようなもの、なんでしょう?」
「どう、でしょうか。不得意なものは特に思い付かない、です」
「そう…………凄いなんてものじゃない。本当に十五歳?」
「ぇ、はい。その……あ、はは」
喜んでいるような、困っているような。
年上のお姉さんから目の前にいながら存在を問われるような半眼……──裏を返せば、順調に打ち解けている証でもある若干失礼な絡みを受けて。
「ぁ、希君っぽい」
適当に場を凌ぐような愛想笑いと共に、横髪をはらい耳へ掛ける。
彼が困った時よくやるように頬を掻いた訳ではない。が、思わず感想を呟いた楓の目には、一連の動作の流れが見事なまでに被って見えた。
然して、
「へ……────ぅ……」
本当に驚きという他ないまでに聡い少女は、たった一言の呟きから全てを読み取ってみせたのだろう。僅かな間を置いて頬を染め、恥ずかし気に俯いてしまった。
然らば、周囲の反応など決まり切っている。
「どうしよう美稀ちゃん大変。可愛いが止まんない」
「ボードゲームの才能より、こっちの方が驚異的かもね」
年下女子(ご令嬢)に気を遣い下世話な発言を向けることを控えている男一名のそれも含めて、微笑ましさしかない視線の一極集中。
さしもの少女も澄まし顔は取り繕えないようで……熱の浮かんだ顔を隠すように俯いたまま、手慰みめいてカタコトと盤上を片付けていく様が可愛らしい。
また一つ、納得である────希が常にあれだけ優しい顔を向けているのも、この少女相手であれば当然のことなのだろうと。
……と、それはさておき。
「ストップ。まだ片付けるのは早い」
「はい? ぁ、えと……」
先の敗者が退いた席へ納まり、眼鏡を掛け直した美稀が少女へ待ったを掛ける。
羞恥のせいで空気を読み違えたのか、はたまた希が初めて彼女に挑んだ末『もう二度とやらない』と宣った経験を無意識になぞったのか。
将棋はおしまいと疑わず盤を畳もうとしていた陽お嬢様が目をパチクリとさせながら手を止めた。さすれば、美稀はひどく珍しい不敵な笑みを浮かべ……。
「なんちゃって経験者が相手は退屈だったでしょう。次は私が相手になる」
「ねえ今、俺のことディスる必要性はあったの?」
「俊樹君とは違って、私は本当にちょっとは覚えがあるから」
「無視した上に重ねないでいただけますかね」
切なそうな顔で抗議の声を申し立てる男子は置いておき、なにやら自信あり気に名乗りを上げた美稀の様子に首を傾げる少女が一名。
そんな彼女へ言葉のタネを明かすのは、美稀の隣に控える親友にして幼馴染。
「美稀ちゃんのお爺ちゃんね、元プロの棋士様なんだよー」
「ぇ……凄いです、ね!」
「ありがとう。……ということで、簡単には負けないから」
斯くして、正真正銘〝訓〟の覚えがある十八歳女子大学生と、これが本当に十五歳なのかと面々を困惑させる女子高生の対局が始まり────
十分後。
「参りました」
「あ、ありがとう、ございました……!」
サラッと敗北を喫した美稀が、これまた珍しい悔しそうな顔を晒していた。
なにしてくるか読み難い初心者よりも対応しやすいまであるから、仕方ないね。
読みに関して俊樹君相手だと十手少々、主人公相手だと何十手先なのは仕様です。