湯らり湯らり
昼食を終え、人混みの薄い場所を探しながら散歩に興じつつ。終ぞ止むことのなかった視線の雨霰に堪らず一時白旗を上げたのが、宿を出て二時間ほどのこと。
やはり現実かつ外向きの顔は大層お強いらしいソラさんは平気そうだったが、これもやはり俺のほうが恥ずかしながら耐え切れなかった。
確かに『慣れ』は得つつあるが、完全耐性スキルを獲得するにはまだ早いって話。百二十分強も耐えただけ熟練度成長は順調と褒められて然るべきだろう。
そうこうして宿へ帰還したのだが、幸いにもソラさんは短いデートでそれなりに満足していただけたようで……。
「では、また後程っ」
「あいよ」
ほわほわ笑顔に溶かされそうになる頬を、年上の男として最低限の威厳を保てる程度の形へ留めつつ。ヒラヒラと手を振れば、温泉街に突発美少女旋風を巻き起こした相棒は甚くご機嫌なまま姉妹部屋へと帰っていった。
「────あらあら……」
「────可愛らしいわねぇ」
そして俺たちと同じ宿泊客なのだろう、通りがかりの上品なマダム×二名に一連の様子を目撃され生暖かい視線を頂戴する男一匹。
果たして、どういった関係性に見られたのだろうか……そんな、いろんな意味で心的平穏が遠ざかるような思考は自重しつつ────
「はは……どうも、ごきげんよう」
バイト時代に培った愛想フルスロットル。爽やかにスマートに会釈と挨拶の言葉を残して踵を返し、早々に羞恥を要因とした逃亡を図った。
◇◆◇◆◇
ソラと同じく俺も大人しく男部屋へ戻ってみれば、同室の俊樹は帰っておらず二人では持て余すことが確定している広々空間に在るのは静けさばかり。
仮想世界でのテンションから勘違いされがちだが、俺は別に終始わーわー騒いでいなければ死んでしまうメンタル感の人間ではない。むしろ事実として根は陰寄りであるため、ぼっち状況で抱く感情は寂しさよりも穏やかさが勝る。
────そのはずだったのだが、ここ最近は環境が変わり過ぎたゆえだろう。
「うーん……」
参った。旅行先で部屋に一人ぼっちというシチュエーションが、普通に寂しく感じられる。人恋しがる十八歳男児など誰得需要案件だと笑うしかない。
流石に、まさか耐えられないなんて戯けたことを言うほどではない。が、そう思うようになってしまったということが重要なのである。
良くも悪くも、とは言わない。
俺にとってこれは、間違いなく良い変化なのだろうから────なんてこっぱずかしい自己分析は早々に心の彼方へでも蹴っ飛ばしておくとして。
タタタっと文明の利器を操り遠方の友人へメッセージを送れば、陽キャオタクらしい(?)爆速レスポンスにて四人がかりの怒涛の返事が即来襲。
然らば、あと半刻ほどで戻るとの報告を頂戴し……温泉旅館にて、ちょっとした空き時間をどう活用するかなど大して迷うこともないだろう。
「────ぉああぁぁぁあぁあああぁぁぁああぁぁあぁぁあ……」
斯くして、無事に青少年からオッサンへとクラスチェンジしながら空へ放つは極楽の声。まずは小手調べと大衆浴場ではなく部屋風呂の露天をチョイスしたが、ぶっちゃけもう此処だけでいいだろという感想を引き出すのは流石の高級旅館様。
展望できるのは木、木、木。そして旅行日和を体現する晴れ渡った青空だけ。海なんかを一望できる解放感とは異なり、こちらで得られるのは一体感。
穏やかな自然の中に溶け込んでいるといった風情で、ちょっともう馬鹿馬鹿しいほどに心が落ち着いて無になりそう。なった。
取り分け風呂好きな人間という訳でもないはずだが、流石に家風呂とは格が違う。四谷宿舎のバスルームも呆れるほど広々としてはいるが、文字通り別物。
広さや環境だけではなく、温泉の性質を正しく身体が感じ取っているのか……はたまた、無敵の概念プラシーボの効果が暴れ散らかしているのか。
至極どうでもいいなと思いつつ、ゆっくりと目を閉じて……────
「────おぃーっす。生きてるかぁ?」
「────死んでる。死んでた……」
さて、どれだけの時間が経っていたのやら。目を開ければ視界に広がったのは変わらぬ青空、耳が拾い上げたのは聞き慣れた友人の快活な声。
「メチャクチャ雰囲気あるじゃねぇの。もうこれ部屋風呂だけで良くね?」
「さっき俺も思ったわそれ……」
「気ぃ抜けてんなぁ……ま、いいことか。お隣、失礼するぜ友よ」
「ご自由にー……」
二人だろうが三人だろうが、悠々と呑み込んで余りある広々ゆったりとした造り。重ねて、一般的な旅館で言う部屋風呂の規模感ではない。
独り占めするのは勿体ないというものだろう。
「────ぉああぁぁぁあぁあああぁぁぁああぁぁあぁぁあぃ……」
そして爆誕するオッサン二号。致し方なし、この極楽の試練から逃れられる人類などおおよそ存在しないだろう────
「ってか、いつから入ってんだ希。のぼせてね? 大丈夫か?」
「わりとー……」
「それどっちの意味なん。わりとのぼせてんのか、わりと大丈夫なのか」
「ぉあー……」
「ダメそうだな。面白いから、首から上だけ撮って女子連中に共有していいか?」
「いいわけねぇだろ戯けが」
「戯けって……」
半刻程度で戻ると連絡があっての今ということは、おそらく三十分程度ボケッとしていたのだろう。確かに若干のぼせかけてはいるのだろうが……。
「ゆっくり、じっくり、目を閉じてみるがいい。上がる気なくなるから」
「爺さんみてぇなこと言い出したな……どれどれ……………………………………」
「………………」
「…………………………」
「…………………………………………」
「…………………………………………………………希さんや」
「なんだい俊樹さんや」
「俺、ここで暮らせる……」
「こっち側に来たな、友よ……」
なんて、男子大学生らしい極めて適当かつノリ百割の沸いた会話をこなしつつ。
「────で、相棒とのデートはどうだったよ?」
「正気か貴様。男二人で恋バナとか地獄ぞ」
「くはっ、このやり取り前にもやったな」
予想可能回避不能な話題にレジストを試みるも、面白がっている声音から察するに残念ながら逃がしてくれる気はないらしい。
「陽ちゃん、可愛いじゃねぇの。お前があんな顔するのも頷ける」
それは一体、なんのことを言っているのやら。
「あんな顔とは。いつ、どこで、なんの話だと仰るのか」
熱で惚けかけた頭を使い、疑問をそのまま問い質せば……。
「自覚してんだかしてないんだか謎だったけど、成程。その様子じゃ『自覚が甘い』が正解ってなところなんかねぇ……」
バシャリと豪快に掬った湯で顔を叩き、髪を上げながら爽やかスポーツ青年めいた仮想世界オタクの友人は笑う。
「今日、一日、朝から────あの子が隣で笑ってる間。お前あれだ、見たこともねぇ顔してやんの。もう揶揄う気にすらなんねえって感じ」
「………………」
「揶揄う気にもなんねえから、言葉は呑み込むけどもよ。友として一つだけ」
「おいやめろ。呑み込むなら残さず綺麗に全部呑み込」
「〝幸せ〟そうでなによりだ。大事にしろよ色男」
「………………………………………………はぁ」
お節介で気のいい友に倣い、顔を隠しがてら湯を掬い熱を浴びる。
文字通り裸の付き合い真っ最中。正気を問えば、そりゃもう互いに正気ではないのだろう。ゆえに、なんだかもう羞恥を覚えるのさえ馬鹿馬鹿しくなって、
「────言われなくとも、世界で一番大事にしてるっつの」
そう、熱に沸いたことを宣えば。
腹立たしいほど達者な友人の口笛が、木々の間を擦り抜けていった。
問題なのは、世界で一番が矛盾なく複数あるところ。
人の心って面白大変だね。