約束
イメージカラーはともかく、常より賑やかな表情はともかく。
顔色に限った話で言えば真に取り乱すことは少ない曲者。そんな奴が見間違いようもなく顔を真っ赤にしてそっぽを向いた様子に、少なからず愉快を覚えながら。
「……あとは、それよりもっと簡単な話だな」
ここまで曝け出しても、やはり大して羞恥は湧いてこない。好意を伝えるという行為に本来ならば避け得ず付随するであろう、不安や恐れも同じくのこと。
「絆された、情が湧いた。……言い方なんてなんでもいいが、そういうことだ」
なぜかといえば、そんなもの。
「至極わかりやすく、懐かれていたものだからな────トップアイドル様とやらに好意を向けられて、ぐらつかない男なんてそういないだろう?」
騒がしく絡んでくるのを、ただただ仕方なさげに相手していた。少なくとも他人の目がある場ではそうしたスタンスを守った囲炉裏とは異なり、ミィナの方は常より隠す気があるのか無いのかわからないような有様だったから。
勿論それは『誰にでも人懐っこく絡みにいく』という彼女のキャラクター性を考えるに、そこまで特別な振る舞いだった訳ではない。けれどもやはり、明らかに、いつからか少しずつ……向けられる視線と感情の色が、変わっていた。
そうして、自分を見てくれていた少女に、いつしか心を占められていた。
「この際だから聞かせてくれ」
「…………」
それはつまり、先に〝病〟を患ったのは────
「いつとか、何故とか」
いつまでも、捕まえた手を逃がそうとしない彼女のほうだから。
「………………」
「別に徹底して隠すつもりもなければ、周りにバレていないとも思ってなかっただろ。少なくとも、今の十席内では知ってる奴のほうが多いぞ」
どういうつもりでそんな風に振る舞っていたのか、わからない。けれどもその上で適当に推理をしてみるのであれば……おそらく、彼女の在り方に関わるもの。
世界で一番、居心地のいい場所。世界の誰より信頼できる、家族のような仲間たち。そう在ってほしいと願い関係を築いたのは、他ならぬ自分だから。
そんな己が心を伏せるなんて択は、端から在り得なかった、とか。
当の囲炉裏にさえバレバレなほど露骨に立ち回るというのは、流石にノーガードというか開き直りが過ぎるだろうと呆れるばかりだが……。
まあ、仕方ない。
そんな奴だからこそ、惚れてしまった。
「……あの、さぁ」
「なんだ」
「……すげーこと言ってるけど、自覚あんの?」
「それなりに。告白した相手に返事を求めるでもなく、お前は俺のどんなところを好きになったのかと疑いもせず問いかけてるんだからな。傑作だ」
しかし、だからこそ囲炉裏からも目を向けるキッカケとなったのだ。
「……………………はぁあぁぁあぁあ……人のこと言えないじゃん、自信家め」
「案外、俺たちも似た者同士ということかもな」
「ぜっっっっっっっったい似てない。ベクトルが違い過ぎる。勘弁して」
勘弁しろときたか……と、どう受け止めたものか苦笑いを浮かべながら。
「…………………………………………あたしさ。家族、大好きなの」
手を握ったまま、そっぽを向いたまま、そして顔を赤くしたまま。ぽつりと零れた想い人の声を聞き逃さぬよう、静かに耳を傾けた。
「あたしのお母さんとお父さん────そんでもって、もちろん理奈ちゃん。で、そのまたお母さんとお父さんね。特にアレコレ複雑な事情があった訳でもなく、奇跡みたいな偶然でくっ付いちゃった、赤の他人同士の連結家族」
「…………」
「あたしは、あたしのお父さん似。理奈ちゃんは理奈ちゃんのお母さん似。んで、この二人が目元やらなんやら『兄妹か?』って思うくらいそっくりでさぁ」
「実際のところも正真正銘、赤の他人なんだろう?」
「そうだよ。世間様に公開してる通りね」
本人の口から聞くのは初めてのこと。しかしながらアイドルとしての個性に申し分ない稀有な生い立ちは、囲炉裏に限らず世界中のファンが知っていること。
「同じ日、同じ時間、同じ病院で産まれた、別々の人間が親とは思えないほど瓜二つな女の子。入院中に母親同士が意気投合して友情結成、退院して家に帰ってみればまさかまさかのご近所さん。当事者でも『そんなことある?』って感じ」
「万に一つ、どころの話じゃないのは確かだろうな」
「ま、人間なんて何十億人もいる訳だかんね。そういうこともあるんだよ」
闇など一片もない、ただただ明るく幸せかつ、類まれな人生を辿る女の子。
「元からそっくりな赤ちゃんだったのに、生まれた時から二家族で仲良く姉妹みたいに育てられたら、ねぇ……そりゃ姉妹みたいになっちゃうよね」
「……それにしたって、冗談みたいな似方だけどな」
「ほんとそれ。マジウケるーって今でもお母さんと笑うもん」
「それはどっちの?」
「もち、どっちも」
優しい声音。そして囲炉裏からは見えないが、きっと優しい表情で。囲炉裏も識る生い立ちを語る少女は、前置きは終えたとばかり。
「本当はいなかったはずの姉妹だけじゃなくて、お母さんとお父さんも二倍だもんね。トータル注がれた愛情は、常人の倍どころじゃ済まないですよ」
「結構なことじゃないか」
「でしょ────だからあたしは、欲張りになったの」
朱色の瞳が、ようやく囲炉裏を見る。
頬に赤みは残したまま。歳を考えれば呆れてしまうような、小柄な体躯と比すれば似合わないと言わざるを得ない、大人びた目を見せる。
「友達とか、仲間とか、さ。ちょっとやそっとのソレじゃ満足できないんだよね」
悪びれもせず、自嘲でもない、それは堂々とした単なる自分語り。
「大、大、大、大、大仲良しくらいじゃないと、ダメなの。イヤなの。物足りないの。飢えてる訳じゃないけども、愛と情の基準が狂っちゃった超可愛い悲しきモンスター……────それが、超可愛い未奈ちゃんなのさっ」
「……どうして二度も言った」
「一回じゃ足りないくらい可愛いからですぅ―」
少女が小さな身体に呆れるほどの自信を備えたのは、四人もいる両親から惜しみない愛情を注がれて育ったから。……そして根は真面目で人を想う性格から察するに、そんな愛に応えるべく一生懸命に自身を磨いてきたから。
あぁ、知っているさ。知っているとも。
「それがお前の〝理想〟で……だから、だろ?」
「そうだよ。迷惑な話でしょ?」
「……そうだな。ひどく自分勝手で、迷惑極まりない────今の東陣営十席に在る空気を好ましく思っている、俺を含めた全員が感謝するべき我儘娘だ」
理想郷を名乗るのであれば、現実に劣らぬ居場所が在って然るべき。無いのであれば創ってしまおう、たったそれだけの簡単な動機。
齢十七……仮想世界を訪れた時など、僅か十四歳。既に特殊な立場で社会に出ていたといえど、そんな身で我儘を遂げた彼女は間違いなく立派な異常存在。
人が大好きで、人に大好きになってもらいたい。大変に難儀な、ちびっ子だ。
「だから、あたしにとって序列持ちの輪は特別なの。馬鹿みたいな我儘に応えてくれる超お人好し揃いで、同時に退屈する要素が欠片もない曲者揃いな皆がメーッチャ大好きなの────だから、新顔の修行馬鹿も全力で構いに行ったのさ」
「…………そうか」
「大好きになる前提で、挑み掛かったの。大好きになってもらう前提で、突撃したの。深く、深ーく、理解して仲良くなるために、本気も本気の全身全霊」
「流石は元気担当だな」
「そしたらその馬鹿。気付けば見てるこっちが恥ずかしくなっちゃうくらい、ピュアッピュアでアッツアツで激重な恋を患っているではありませんか」
「………………」
「深く、深ーく覗き込んで、そんなもの見せられたら堪ったもんじゃないですよ」
左手に伝わる、熱が深い。
「ビックリしちゃった、訳ですよ。呆気に取られちゃった訳ですよ。感心して、ドキドキして……────羨ましくなっちゃった、訳ですよ」
深く深く、出会ってから今までに積み上げた感情を、
「この人やっばい、今時ここまで一途に一人を想える男の人っているんだって。叶わないって自分で勝手に諦めたくせに、それでも好きな人のためなら我武者羅に努力できちゃう人がいるんだって。…………そんな人に、さ」
いじらしく、大事そうに語りながら、
「そんな人に、もし〝大好き〟になってもらえたら」
表層は見せていても、心の奥にある熱の温度までは見透かせなかっただろうと。
「あたしは多分、大好きなんかじゃ止まらないんだろうなって、さ」
湯気が出るほど、殊更に真っ赤な顔で────仕返しのように笑み告げる。
「……はい。〝いつ〟と〝何故〟でした」
「……そう、だったか」
「ん、そうだったんです。ういちゃんに恋をした誰かさんに、現役女子高生トップアイドルの超可愛いミィナちゃんは、初恋を奪われてしまったのでしたとさ」
「…………」
「困ったもんだよね。いろりんが恋してなかったら、あたしも恋してなかったし」
「………………」
「だからどう足掻いても〝先〟にはなれなかったし、誰かさんは見てるこっちが惚れちゃうくらい馬鹿一途な訳で、あたしのこと見てくれるとは思えなかったし」
「……………………」
「『なーにこの芸術的なまでの叶わぬ恋』って逆に笑えてきちゃうくらいでさぁ」
そっと差し出した右手を、少女は避けも払いもしない。
そうして頬を撫でた掌を────仮想の雫が、秘めやかに濡らした。
「……っ、マジ、わかんなかった。いろりんヤバ、モデルじゃなくて俳優じゃんね。わっかんないよ、気付かないよ、やば……めっっっちゃ腹立つっ……」
「…………隠してはいたが、完全に隠し通せているとまで思ってはいなかったな」
「最初のほう、よか、反応、いろいろ柔らかくはなってたけどさぁっ……! 根本的な態度とか対応は、ぜんっっっぜん変わんないままだったじゃん……!」
「お前が気に召す振る舞いを心掛けていたら、ああなったんだよ」
「そうですねぇッ……! 楽しかったし、嬉しかったよ、大正解! だからってかちょっともう無理だな隠せねぇわってなるくらい沼っちゃった訳ですがぁッ!」
「…………………………どうしろと言うんだ、勘弁してくれ……」
もう感情が止まらず、ぼろぼろと泣き始めた女の子が一人。そして、そんなものを相手にした試しなどない経験値ゼロの男が一人。
ならば状況を丸める術など、無様でもなんでも言葉を重ねる他になく。
「………………交際、する訳にはいかないだろ。トップアイドル殿」
「……、っ…………」
頷いて、
「前から言っていた、引退の準備は順調か?」
「……っ」
頷いて、
「その後も、いきなりというのは宜しくないな。手放すことになろうと、自分が築いた立場に真摯であろうとするなら、ファンが心の準備をする時間を取るべきだ」
頷いて、
「そもそもの話、年齢差が……な。俺は成人済みで、そっちは十七歳の高校生。いろいろと……まあ、不要な声を聞くことになる可能性は無視できない」
少しの後、渋々と頷いて、
「だから、うん…………三年、待てるか?」
首肯は途絶えて、左手を捕まえる指先に力が籠もる。
「……、…………最初から、そういう話だったんでしょ」
「お手本みたいな不満顔、だな」
そして表情だけではなく、手の甲を抓られる痺れも頂戴して、
「────二年」
「…………」
「あたし、再来月、誕生日。だから二年……と、二ヶ月で、一応は二十歳です」
「……三月の高校卒業と同時に引退予定だったよな、アイドル」
子供のように、頷いて、
「それでも長い、よ。我慢できるか、わかんない……」
そんな顔を見せられて、こっちの台詞だとも言い返せず。
「……………………わかった。なら、二年と二ヶ月、お互いに待とう」
「……っ、仮想世界の、時間加速技術が、今ばっかりは恨めしいッ……!!!」
なんて、一ミリも冗談の介在しないのだろう恨み言に思わず気が抜けた笑みを零しながら────ずっとずっと、放されずにいた手をスルリと逃がし、
「大丈夫だよ、心配するな」
追い縋ろうとした手を宥めるように、愛らしい頬に両手を添える。
屈み、跪いて、目線を合わせて、互いの瞳に互いを映す。
「残念ながら俺は、生涯を一人へ捧げられるほど一途ではなかったけれど」
「…………」
「誰かさんの言う『馬鹿一途』に当てはまる程度には、想いが重い自覚がある」
「……なに、それ」
「二年だろうが、三年だろうが、十年だろうが……待てば叶う恋を『時間』程度で見失ったりするような、薄情な男じゃないってことだ」
「…………ん、ふっ……なんだ、それ」
然して、くしゃくしゃの顔にようやく笑みを灯し、
「大人しく待っていろ。きっと、あっという間だ」
「大人しくとか、あたしのキャラを知った上で言ってるのかね」
「訂正する。程ほどに賑やかに、待っていろ」
「………………………………仕方ない、なぁ。ほんと、に……仕方、ないなぁ」
恋が叶う未来を約束された少女は、最後に一つ雫を零して、
「ねぇ」
「なんだ」
「もっかい、言って」
「…………はぁ」
「聞きたいのは溜息じゃなーい……!」
小さな両手を伸ばす。
憎たらしいほど整った想い人の顔、その頬を摘まみながら、
「好きだ────二年と二ヶ月後、俺の恋人になってほしい」
我儘を以て今、三度目。
「あたしも、好き────……待って、ます」
確かに受け取った想いに代えて。
迷わず心を、その手へ預けた。