予定は非未定
「──────────…………」
夢から覚めて、目を開けて、大きく大きく深呼吸を一つ。機械仕掛けの寝台に寝そべったまま、誰に急かされることもなく遅々と心身ともにセルフチェック。
総合的には、想定よりも幾らかマシな消耗具合といったところ。
途中途中で挟んだ休憩が上手く作用したかな、と……結局のところ今回もいつも通り、俺は誰かに支えられっぱなしであるという事実認識が深まった。
疲れたは疲れた。そりゃもう、心底からクタクタだ。けれども、
「いよ、っと」
些細な身動ぎを検知して蓋を開けた寝台から、シートのリクライニングを待たず身体を起こそうと思う程度には気力が残っている。
仮想世界のアバターだけではなく、現実の俺も鍛えられているのかね────
ま、そんなことはさておいて。
現在時刻は午後六時過ぎ。即ち決勝戦後のフィナーレを経て、諸々の知人友人たちと簡単な挨拶を交わして早々に会場を後にしたばかり。
事前の約束があるとはいえ、そんな一分と経たずにチャイムを鳴らしに来る奴があるかよと苦笑いを浮かべながら向かうは玄関。扉を開ければ……。
「────おつかれさま」
「あぁ、おつかれさま。………………あの、宿舎内にしても流石にラフ過ぎでは」
「入って、いい?」
「……貸すから、なんか羽織ってくれな」
当然のこと、純白のお姫様が一人。
ワイシャツ&短パンといった迫真の部屋着スタイルにて軽率に俺の目を焼くアーシェが、少し前までの熱を僅かに連れて立っていた。
「────で、用事は『お疲れ会』か? それともなにか他に話が?」
「会いたかったから、だけじゃダメかしら」
「甘いな。今更そのくらいじゃ動じてやんないぞ」
「ふふ……残念」
斯くして、良くも悪くも慣れてしまった普段の形。
ソファにアーシェ、少し離れて椅子に俺。彼女の手には大人のブラック、俺の手には大人も子供も大好きな甘いカフェオレが一丁。
なんやかんやと勝ち抜いて決勝まで行ってしまった俺とは違い、アーシェが剣を振るったのはオープニングとエンディングの二回だけ。
けれどもあっちはその分、司会席のゲストやら何やらに出ずっぱりだった訳で……消耗した体力を量で表し比べれば、俺も彼女も大差ないだろう。
なお、
「……だろうと思ったけど、ピンピンしてんな」
「これでも、ちゃんと疲れてる」
俺の精神への影響を鑑みて『風邪ひくぞ』と渡したパーカーを羽織り、優雅かつ満足げに珈琲を楽しんでいるアーシェの表情に疲労は見受けられない。
言葉に偽りなく疲労がない訳ではないのだろうが……根本的な体力と精神力が常人と比して桁外れな上、要領の良さも並外れているゆえのこと。
比べて落ち込む方が滑稽というものだろう────さて、
「で? 用件は」
「ん」
お勤め終わりに和の時間を嗜むにしろ、サッパリして臨むべきだ。彼女はそんな意向を容易く汲めぬ者ではなく、無意味に二度も揶揄いを重ねる趣味もない。
「『緑繋』攻略は一週間後、来週の今。予定に変更はなし」
「おうとも、心得てるぞ」
然して、実にアーシェらしい用件直行に軽く笑いながら頷きを返す。……すると、仮想世界と同じガーネットの瞳が俺をジッと見て、
「それまで、予定は?」
「んー……まあ疲弊しない程度に、これまで通り自己強化を────……んぇ?」
投げかけられた問いに答えを返す俺へ、返ってきたのは否定のジェスチャー。つまり、言葉を遮るようにアーシェは首を横へ振った。
「必要ない。今のハルに必要なのは、たっぷりの休息」
それはまるで、断じるように。提案というよりは命令……否、指令でも下すかのような語り口に俺はぼけっとハテナを返すのみ。
「いや、えっと……確かに心底疲労はしたけども、流石に一週間も」
「今日だけのことじゃない。四柱もそうだけど、ここ最近……というより、二ヶ月前からずっと頑張り過ぎてる。あなたの悪い癖」
「癖……?」
唐突になにを言われているのか呑み込めずにいるが、まさに『それこそ』といった具合にアーシェは珍しく半眼で俺を見やり溜息を一つ。
「モチベーションが高過ぎる。いつもいつも、自分が疲れていることに気付けてない。正確には、休み切らない内から駆け出すせいで見えない疲労を貯めがち」
「そん」
「そんなことがあるの。誰より私は知ってるもの────本当に十分な休息を取った上で、最高のパフォーマンスを発揮できた時の、あなたの強さを」
「…………」
それは、あれか。
以前の旅行帰り⇒【影滲の闘技場】攻略の流れを言っているのか。
確かにあの時は後から見返して自分でも引くほどの……それこそ、並んで剣を取ったアーシェに劣らないと胸を張れる暴れっぷりを披露できた自負があるけども。
「だから、これからは意識して定期的に休養を取るようにして。今日のハルも素敵だったけれど……私は、もっと魅力的なハルを知っているから」
「…………満足、召されなかったか」
「ほんの少し、ね」
当日積み重ねた疲労は抜きにして、という話だろう。
おそらくはフィナーレの『じゃれ合い』だけではなく、今日一日を通した俺のパフォーマンス全般に対して言っているのだと思われる。
俺としては今日のトラデュオも実力百パーセントで暴れ散らかしたと自信を持って言えるのだが……相も変わらず、とんでもねぇお姫様だ。
常に百パーセント以上をご所望ってか。
「────ごめんなさい、我儘を言って」
「現実で『縮地』使わないでくださいます? ちょ、ストッ────」
と、いつの間にやらテーブルにカップを置き去りに。背後に立っていた只者ではないホワイト家ご令嬢に文句を言いつつ、回避を試みるも時すでに遅し。
九月も後半なれど都会は夜とて暑苦しいが、高級マンションを演じる四谷宿舎はなんのその。いつ何時とて過ごしやすい空間にて人の熱に不快感は皆無。
首元に腕を回されて、生じるのは言語化の間に合わない数多の感情のみだ。
「最後。嬉しかったし、楽しかったのは本当よ」
「………………………………………………………………そりゃ、よござんした」
「体温が上がってる」
「読み取んなバカやめろ」
「私にバカなんて言う人、そうそういない」
「嬉しそうに言ってんなよ、こんにゃろう……」
パーカー着せといて良かった、親しんだ質感が正気を繋いでくれる。
なお現在進行形で息遣いを直で受け止める首元。なんの問題もなく頭がおかしくなりそうなので、ひとまず直近で体験した〝城〟に潰されるという衝撃的な体験を思い起こして恐怖と驚愕のエコーによる現実逃避を試みるとしよう。
「────っ、で……! 結局、オーダーはなんだっての……!」
「……ん」
しっかり休めと言いたいことはわかったが、つまりどうしろって話。コイツがこうして切り出した以上ノープランってのは有り得ない。
即ち、どうせまた……。
「私たちの旅行中に、言っていたでしょう。夏休み中に自分たちとも旅行へ行かないか誘われたって────現実世界側のお友達に」
ほらな、この通り。
「時間の猶予的に、二泊か三泊。それで身体と心を休める……となると、そうね」
「あの、アーシェさん」
「あまり大学生らしくはないかもしれないけれど、温泉旅行とか」
「あの」
「必要な手配は全部こっちに任せていい。どうする?」
「ど、う…………………………………………ちなみに、プランBは?」
「一週間後まで、私が直々に癒してあげ────」
「さぁーて荷物をまとめるかなぁッ!!!!!」
どうせ俺は、いつだって誰かの掌の上で踊っているのだ。
◇Talk Room◇
N:『やぁ諸君、諸々ぶっ飛ばして本題に入らせてくれ』19:02
N:『明日か明後日から旅行いこうぜって言いだしたら笑う?』19:02
S:『行く!!!』19:02
T:『行くだろ』19:03
M:『行ける。なにも問題ない』19:03
K:『てゆ』19:03
K:『ちょっと待って! 確認してきむ』19:03
K:『大丈夫! 行きたい、です!!』19:07
N:『えぇ……』19:08
N:『これが大学生のバイタリティか……』19:08
T:『俺たちは曲芸師のバイタリティにビビってんだが?』19:08
S:『ほんとそれ。どしたの突然、いろいろ大丈夫?』19:09
────────……
──────……
────……
──……
そして連なる斯斯然然。
まあ明日から旅行いこうぜなんて大学生の日常茶飯事だよね。