銀幕に笑む身儘の白 其ノ参
取得から早二ヶ月半。
あまりの操作難易度に『もう雑運用でいいか』と若干の諦観を抱いていた【九重ノ影纏手】は、装備者の魔力量に応じた〝影の糸〟を生み出すワンオフ品だ。
勿論、単なる糸ではない。操者の意思なくば断てず離せず、伸縮自在で最大射程は優に五十メートル強。転身体は元より表ですら純魔基準を大きく超える俺のMP総量で運用すれば、総合的な出力は十分に単体武装として成立し得るもの。
なればこそ、唯一の問題たる要求繊細値が極まっている操作性に振り回されるのが惜しく悔しく勿体ないと思っていた――――そこへ現れたのが、最高のお手本。
他でもない〝糸〟を完璧に繰り従える、南陣営序列七位【糸巻】の姿。
片や元踏破不能ダンジョンの第一踏破者報酬たるユニーク品、片や唯一無二の魂の分け身こと魂依器。共に他者が扱うことのできない品であるため、そもそも比べることは不可能だが……まあ、流石に操作系統が全く同じってこともないだろう。
けれども、じゃじゃ馬を従える最も大事な要素は決まっている。想像力だ。
より正確に言えば、これが最高だ絶対に正しい黙って俺に従えテメェこの野郎と、己が確立する〝イメージ〟に絶対の自負と確信を持てるか否か。
そうした自信こそが、アルカディアのプレイヤーにおいては最たる力になる。
然してソレのなにが難しいと言えば、自分を納得させられるだけの根拠を何処から引っ張ってくるかという問題。当然ながら、ちゃちな暗示程度では意味がない。絶対の力に成り得る絶対の説得力が、其処にはなければならない。
そして今、俺はこの〝糸〟を繰り得る最高の姿を記憶として獲得した。
ならば惜しみないリスペクトを以って、後輩として先輩を追うのみ――――右の腕輪より溢れ出でた影を絞り、洪水を除して些細を撚る。
数は五本、欲張らない。糸巻き繋ぐは己が指、五指それぞれに接続した黒糸に伝えるは……脳裏に焼き付いた、怒りっぽいが超格好良い先輩の模倣演奏。
さてそれでは、先日の四柱から秘密特訓を重ね今日に至った芸を披露しよう。
「――――〝繊奏五行〟」
◇◆◇◆◇
「――――うーっわ……」
「コイツほんま……」
「ふふ」
「一周回ってアホの極みだな……」
「回らなくても大概アホじゃねぇか?」
誰が誰やら口々の呆れが飛び交う部屋には、スクリーンが一つと人影が十二。そして前者が映す光景には、魔弾飛び交う戦場に奔り始めた黒の糸。
それはまるで、ピアノの片手奏。影糸を宿した右手の指が精彩緻密に淀みなく動き、音なき曲を奏でるが如く。然して、その〝技〟は――――
「………………………………………………………………」
他でもなく、紛れもない、実戦運用可能な技術的ハードルを飛び越えた存在としては、仮想世界ほぼ唯一と言っていい『彼女』のモノ。
識ってはいようとも、詳細な術理までを理解している訳ではない面々の目にもそうと映るほどの模倣っぷり。なれば自然、生意気だの可愛くないだのと散々にアレへ威嚇していたオリジナルの反応に注目が向かい……。
「あれ」
「おや」
「ふむ」
「ほーん……?」
またも誰が誰やら、声がいくつか。ひっそり各々ボリュームを絞って零された呟きは――――怒るでもなく、拗ねるでもなく、
なにやら、ぽけっとした様子でスクリーンを見つめている子猫を見ての反応だ。
普通に見れば、これまでを顧みれば、意外な反応。けれども例えば、直接の後輩として彼女をよく知る同陣営の先輩であるなら察せてしまう。
「…………いや、まあ、そうだね」
然らば、これまた小声。ジッとスクリーンに映る『後輩』の〝演奏〟を見やる彼女の邪魔をしないよう、微笑まし気に呟かれた八咫の言葉は、
「後輩が真似してくれるなんて、先輩からしたら嬉しいもんか」
おそらく、きっと、的を射ていたことだろう。
◇◆◇◆◇
――――先日の四柱にて、最終決戦を前に『まずもってどのような動きをするか予想が付かない【曲芸師】の相手をすることになった場合』を想定して伝えられた対曲芸師マニュアル、その最重要項目を思い出す。
付け入る隙その一。何かしらの行動前に必ず進行方向へ目を向ける必要がある。
その二。足の速さは音速越えだが、思考までもが光の速さという訳ではない。
その三。基本的に余裕な顔をしているが、実は中々の頻度でテンパっている。
その四。手札の多さが行き過ぎて近頃では扱い切れていない節があり、焦ると雑に切り札を投げ打ち勝手に追い込まれるパターンがある等々……。
言われてみれば確かにと納得できるモノから、それは果たして付け入る隙というか弱点に分類されるものなのかと首を傾げるようなモノ、果てはどうか暴いてやるなと同情してしまうような内心の実情まで。
南陣営の【剣ノ女王】及び【詩人】を主な情報提供者として共有されたソレにより、いまだ浅い縁ながらもトニックは【曲芸師】の解像度を上げていた。
ゆえに、正直なところ今では彼と相対することを大袈裟に『怖い』とは思っていなかった。無法極まる相方の頼もしさも前提としてだが、真っ向から戦り合うにしても成す術なく蹂躙されるようなことはないだろうと。
舐めていた訳ではない。単に一人の『序列持ち』として、過たぬよう冷静かつ俯瞰的に現実を見た上での想定だった――――で、
「これが、かの、頭曲芸師ッ……!!!」
「なんか失礼なアレが聞こえた気がしたなぁッ!?」
実際の現状が、コレ。
想定外の才能を盛大に顕とした大魔法士ムーブに続いて、どう見ても【糸巻】の姿を幻視せざるを得ない堂に入った様で〝糸繰り〟までをも遊び始めた。
悲鳴じみた独り言を拾って不本意そうな返しを叫びつつ、彼の頭と指は淀みなく。絶えず顕現する水槍と水輪を駆りながら、影の五糸にて指先を伸ばす。
飛来する魔法を散らし奪う……――隙がない。おそらくはステータス依存ではなく消費MPあるいは他のリソース依存、迸る影糸は見て躱せぬ機動力ではないものの、余裕を持って逃げられるほど遅くもない。
なにより、
「うわっぶなぁッ!!?」
――――なにより、あちらさんに逃がす気が欠片も見て取れない。
水の波濤を避けて後ろへ跳んだ先。魔法合戦の余波に紛れ床に敷かれていた糸板に間一髪で気付き風属性移動補助魔法《ソニック》にて身体を浮かせ回避実行。
開花する蕾の逆再生が如く勢いよく閉じた罠に戦慄しつつ、そのまま思い切り後退して開戦より動かず無法を働き続けている相方に並ぶ。
「大丈夫かよ」
さすれば、やや愛想が悪くとも人が悪い訳ではない【銀幕】より一瞥と共に言葉をいただき……その間も馬鹿馬鹿しい魔法の連射を途絶えさせぬ彼あるいは彼女へ、密やかに畏敬と呆れを抱きながら。
「ややキツい、ですかね。そちらの後輩さんは流石ですよ」
正直に戦局への所感を返しつつ曖昧な笑みを返せば、先輩序列持ちは「ふんっ」と面白くなさそうに鼻を鳴らして目を眇める。
その視線が向けられているのは……――――確かめるまでもないだろう。
無法の舞台を乗りこなしてなお、サプライズの演目を晒してなお、遊びの誘いを投げ掛けた後輩へ【銀幕】が笑むことはなく。
けれども、
「援護はしてやる。まあ気張れ」
「お願いします。んじゃ、また行ってきます……よッ!」
けれども、だけれども。
確かに、確実に――――これみよがしに見せ付けるような勢いで楽しげに遊び倒す姿へ、腹立たしそうな顔を向けている相方を見て。
少なくとも、欠片も心を動かされそうにないということは、なさそうだなと。
「先は長そうだけ――――どわぁいッ!?」
推定攻略難度は相変わらず。『頑張れ後輩君』と他所の家から適当な応援を願いつつ……再び地獄絵図に身を投じたトニックは、また絶えぬ悲鳴を上げ始めた。
能力からして確実にヤバい人なのは薄っすら仄めかしつつ、しかしイスティアンの輪に放り込まれた一般序列持ちの悲哀をお届けしていくスタイル。
一般序列持ちってなんだよ。あとなっちゃん好き。