time for two
夢を抜け出し、現実へと還る。
約半年の間に幾度となく繰り返してきたプロセスは流石に慣れ切ったもので、もう今更「仮想と現実の身体性能ギャップがー」と不調を患ったりはしない。
ゆえに、
「――――ぉおぅっふ……」
機械仕掛けの箱舟から降りて一発。ベッドへと倒れ伏し死に体のような声を上げた要因は、単に純粋な精神的疲労によるものだ。
午後十二時半過ぎ。正午から予定されていた各陣営毎三十分の持ち時間をトップバッターとして走り切り、東の身内共々に一時解放されての休憩時間。メインプログラム再開となる十四時までの間、暫しの自由を与えられた身。
済ませておくべきことは、まあ昼食くらいのもの。ブロンド侍に引っ張られて俺も麺……残念ながら蕎麦はないので、ラーメンかうどんか素麺の三択。
「う゛む゛ん゛っ゛……」
謎の生物の断末魔が如き鳴き声を寝室に響かせつつ、重力など目ではない引力を発生させているベッドから身体を引き剥がし床へ降りる。
なんにせよここは危険だ。流石に今のメンタルで気を抜いて寝落ちなんてあり得ないとは思うが、万一の地獄を考えると離れておいたほうがいいだろう。
と、部屋を出つつ。
『――――いやぁ、どうしようかぁ。えらいおもろいイスティア漫才に対抗するには、俺ら数も役者も負けててどうしようもないと思うんやけども』
『心で負けてちゃダメですよジンさん張り切っていきましょうっ! ほらマルもトラさんもなに落ち着いてんのテンション上げてほらほらぁっ!!!』
『うるっさ……』
『わかったわかった近いねんお前』
ちょちょっと調べれば即ヒットした〝娯楽〟を再生すれば、生放送の賑やかしがワイワイガヤガヤとスマホから流れ始める。
現在の出番は北陣営。面子的に予想通りというか、やはり騒がしかった体術教官殿の声音に思わず笑みを零しながら……つい先ほどまでは自分がコレをやってたんだよなと、刹那で胃を痛くしながら。
なにはともあれ栄養補給と、端末をポケットに放り込む――――その瞬間。
『Northalia Radio』の音声を遮って着信音が響くと共に、ささやかなバイブレーションが手に伝わった……と思いきや、ほんの二秒で切れてしまう。
なんぞと画面を確認してみれば、
「おお……?」
表示された名前は、少々予想外のもので。
十秒、二十秒と待っても再度スマホが鳴る気配はないが、相手が相手だけに恐ろしいので確認の連絡を疎かにする選択肢は存在しない。
ので、失礼ながら恐る恐る折り返しを繋いでみれば――――
『――――はい、もしもし』
「あ、どうも。なにかご用事です?」
『ゃ、ちょっ――――もぉおっ……!!!』
コール二つで応答したのは、落ち着いた声音の大人の女性。そして一言ずつの言葉の裏、なにやら騒いでいる可愛らしい少女の声が一つ。
本当に何事だよと首を傾げるも、前者――――俺に連絡を寄越した夏目斎は、付近で暴れているらしき主を容易く御し切っているのだろう様子にて。
『お勤めで疲れているところ申し訳ありません。貴重な休憩をお邪魔してしまい心苦しくはあるのですが、少々お時間をいただけますか?』
「はい……? や、全然大丈夫ですよ。やること昼食済ますくらいですし」
そうして、のほほんと綴られた言葉。
結局なんの用事なのやら察せないまでも、なんの用事だろうと彼女の様子からして断るほどの内容ではないだろうなと、その程度は察して軽々に了を返す。
『ありがとうございます。それでは――――』
さすれば、斎さんは満足げに礼を返すと共に、
『どうぞ二人で、ごゆっくり』
『ぇっ、あっ、待っ……、…………………………………………』
気のせいでなければ、端末の向こうから気配が一つ消え失せた。ついでに、なんとなく『相手』が変わったであろうことも察しながら。
沈黙を聞くこと十秒後。
『――――…………ぁ、あの、ハル……?』
「はい、ハルです」
スピーカーから耳朶を打った相棒の声音に、もう避け得ず自然と緩んでしまう頬を自覚しながら声を返した。……我ながらアレだなと思うが、仕方ナシ。
かの天使に骨を抜かれている者など、別に俺だけではないのであるからして。
「どしたのソラ。また斎さんのイタズラか?」
『あ、はは……その、そんなようなもので…………ぁ、あの、ごめんなさいっ、忙しいですよね。二時からまた会場でしょうし、時間が』
「気にしないでいいよ。どうせ昼飯サッと済ましたら後は暇だったから」
どこぞのメイドと言葉の内容は似たようなものだが、声音に含まれた優しさ思いやりその他に総合的な雰囲気の柔らかさ諸々が全くの別物。
ガッとアクションを掛けて何食わぬ顔でスッと去って行ったのだろう暴虐の斎さんと比して、ゼロ百で提供された和み成分に秒で頬が溶けていく――――
なお、あのメイドの場合その辺まで計算してやりたい放題やってる可能性が極めて高いので基本故意犯と断定して差し支えない。おそろしいメイドだ。
と、そんなことはさておき。
「で、どうしたの?」
『ど、う…………うぅ……えと』
端末の向こう側。斎さんのイタズラはいつものこととして、彼女が迷わずソレに踏み切った〝理由〟を問えば……予想通り、少女は歯切れ悪く口籠り。
なればこそ、俺もまたイタズラ心を抑え切れず、
「お、なんだクイズか? そうとあらば当ててみせるのも吝かでは……」
『な、ちがっ……なんでもないっ! なんでもないですから、やめてくださ――』
「ソラさんのことだから、どうせ寂しくなっちゃったんだろう? んん? パートナーが訳わかんねぇ大舞台でワーワーやらかしてるもんだから、なんかアレだなー遠いなーとかアレコレ思っちゃって焦れ焦れしてるのを斎さんに見抜かれ」
『やめてくださいって言ったのに……!!!』
赦されているという自負を持って、僭越ながら心を暴く。
「一回はインターセプトが通ったけど、俺からの二度目はダメだったか。いやむしろ、よくあのメイド相手に一度は通したな。頑張った偉いぞソラさん」
『あ、遊んでますか……? 遊んでますね……!? もういいですハルなんて知りませんどうぞゆっくり休んで午後からも頑張ってくださいね……!!!』
と、そんな風に。
ぷんすか怒りながらも気遣いの心を忘れない、真実天使なパートナー様が最早いっそ意味不明な愛らしさを叩き付けてくるものだから。
「ソラさん」
『なんですかっ。もう切りますからね――――』
「むしろ、そっちこそ時間ある?」
『へ?』
「十分くらいしたらログインしてホームのソファにいるから」
『はい??? え、な、にゃっ――――』
「よければ暇潰しに付き合ってくれるとありがたい。んじゃね」
メイドに倣う訳でもないが、俺も俺として天使のために暴虐を尽くすまま一方的に通話を切る。いやまあ、これに関してはソラのためというよりも、
「さて……カップラーメンだな、これは」
こちらこそ『遠いな』と感じてしまった、己がために他ならないのだが。
バレンタインは二日後なんですけれども。