和解
視界の端に映り込むは煌々たる赤炎、そして耳に届くは哀れな悲鳴。
信頼通り期待通り、やはり向こうはお姉様がなんとでもしてくれる様子。こちらまで届く熱波が刻一刻と舞台の温度を上げていくのを感じつつ――――
「「――――ぅおらぁああああアアッッッ!!!」」
こちらもこちらで、ボルテージの高まりは止めどなく。
元来の持ち主と簒奪者。今このとき共に黒炎を宿す者同士、触れたらアウトの制限が撤廃されたとあれば迎えるは真っ向からの殴り合いのみ。
向かい合うは、無数の〝糸〟と〝拳〟が二つ。
糸刃が空を裂き、拳撃が打ち千切り、ぶつかる黒炎が溶け合い宙に黒薔薇の如き絵を描いては弾け散る。不本意ながらあっちもこっちも少女の声音、だからこそ振り切って迫力と気勢に満ちているであろう声を高らかに放ち交わしながら。
退かず、怯まず、それぞれ心のままに技を振るう。
「ッぶね――――っ!?」
然して、一瞬の隙。四方八方よりギロチンの如く迸った処刑糸より身体を逃がした先で足元が浮く。なんだ何事と咄嗟に目を向け……目を剥いた。
床が浮いている。より正確には、
「ッハ、いらっしゃい……‼」
「おいマジかよ……!?」
舞台の床へ密に敷かれ、編まれた〝糸〟の薄板が――――いや冗談だろ先輩殿。あんだけバチバチにやり合いながら、一体全体いつの間にこんな罠を……!
「ッ《天歩――――」
「 お そ い ッ ‼」
斯くして、離脱は間に合い間に合わず。まるで蕾が開花する様を逆再生にするが如く、捻じれ収縮した罠に脚を持っていかれる事態は避けたものの……。
「ハイ、つっかまーえた……!」
先に【紅より赫き杓獄の種火】を解放した直後、事前に断ち切った糸の残骸を鷲掴みにして威嚇した時とは違う。主たる【糸巻】の指先と繋がった〝糸〟に思い切り触れられてしまった――――つまるところ、それが意味するのは。
「やっっっっっべ」
俺の右腕に在る腕輪の〝影〟と同じ、断てぬ枷を繋がれてしまったということ。床に偽装した糸を踏んでしまった右脚、その足首に巻かれた『印』が証だ。
特殊称号『糸巻』の強化効果《灼厄描舌》が権能の一つ『焔結』――――この不吉な仄暗い赤に輝く糸を結ばれた〝獲物〟は……。
「さーて……もう逃げらんないわよ、精々覚悟を決めなさい」
「……なっちゃん先輩、さっきから顔が怖いっすよ」
「死刑」
「ガチのソレじゃん……!!!」
彼女が黒炎を宿す〝得物〟と、引かれ合う。
つまりこれより先、俺のアバターは回避が望めないどころか彼女の〝糸〟に引き寄せられ真実まともな行動が叶わなくなるということ。
これこそが前回四柱より俺が彼女の〝糸〟に直接触れぬよう警戒してきた理由であり、かの【糸巻】が魔法士のみならず戦士にも広く恐れられている所以。
触れたら終わり。それは誇張でもなんでもない事実であるがゆえに。
「…………」
油断はしていなかったというか、やっぱもうほんと心底この人は俺にとって相性が悪い。ワーワー賑やかに騒ぎつつ、頭の根っこは冷静そのもの。二重三重と策を巡らせつつ表の攻め手が緩むことは一切なく、世間の評価が無限に頷けてしまう。
〝天才〟……成程これは、確かに東の無敵侍にも迫る埒外の戦闘巧者っぷり。度々『雑』だなんだと揶揄われる俺が見習うべき、まさしくの先輩――――
「…………いい加減、わかるわよ」
「へ?」
闇の焔を対策したとて、それだけで無力化が叶うのであれば『序列持ち』足りえない。事実だからどうしたとばかり今の状況を作り出し、見事に俺を追い詰めた【糸巻】が笑う。気に入らなそうに、不満気に、けれども気のせいでなければ、
「これでも、どうにでもできるんでしょ? ――――流石、姫の王子様」
そこはかとなく、楽しげに。
「ムカつかないのが、心底ムカつくわ。アンタがなんでそんなに強くなれたのか、此処まで来れたのか、嫌でも理解できちゃうから」
これまでと同じようで、違う表情。ぶっきらぼうで不器用で素直じゃない子猫のような先輩は、後輩の顔を憎たらし気に眺めながら、
「――――楽しい?」
「え……? ――――そりゃまあ、最高に」
なんの疑問も迷いもなく問いに答えた俺を、ふんっと鼻で笑い飛ばして。
「格好良いとこ見せようなんて思ったのが、最初っから間違いだったわね」
やはり雰囲気までは変わらず、まるで精一杯に強がる子猫のように、
「――――いくわよ後輩。先輩が遊んであげる」
強気に微笑み、糸を繰る。
……正直なところ、なにを言っているのかはよくわからん。けれども今この瞬間、必要なのは言葉の意味を探ることではなく意気を酌むことだけだろう。
――――試合終了まで、残り一分。終幕へ踏み出すには良い頃合いゆえに。
糸が舞い、黒炎が躍る。撚り紡がれた白と黒の輝きが、巨大な〝なにか〟を描き出していく。複雑な形ではない、単純に質量と破壊力を追及された真円のソレは、
「《織星》」
暗闇を以って燃え盛る、子猫が仰ぐ小さな満月。結ばれた焔によって引力までも再現された星からは、今更どう足掻こうが逃げること叶わないだろう。
ならばこちらは、彼女の言葉に則って、
「……なんだよ。やっぱ仲良くなれそうじゃん、俺たち」
最高に楽しげな遊びの誘いに、喜び勇んで相乗りするだけ。
魔を喰らう黒炎を宿した左手に、喚び顕すは翠の刀。【紅より赫き杓獄の種火】の効力によって俺のアバター及び力の発動媒体である【白桜華織】は耐性を獲得しているものの、それ以外……つまり、他の武装類は魔力受容の対象範囲外だ。
即ち、この状態で手にすれば当然のこと装備は燃え尽きてゆく。形態移行してから素手一本で【糸巻】に抗してきたのも、しれっと腰から兎短刀を鞘ごとインベントリへ避難済みなのも、そういう都合あってのこと。
案の定、手にした瞬間【早緑月】に黒炎が喰らいつく――――けれども問題はナシ。刀が燃え尽きる前に〝技〟を放てばいいだけのことだ。
お師匠様こと【剣聖】が鍛えた至高の一刀。絶対に折れず毀れず、ただ弟子の傍に在り続けることのみを望まれ生まれた、この翠刀が、
「〝試製一刀〟――――」
俺の期待に応えなかったことなど、ただの一度も在りはしない。
鞘を持ちて居合の構え。
一つ、二つ、そして三つ。身体、鞘、刃に籠めた力を連ね紡ぎて刀と成す。いまだ甚だ不完全……否、唯一完成の保証が存在しない一刀を、
今、降り落つ〝星〟へ解き放つ。
「――――《爐》」
◇◆◇◆◇
視界が飛んで、音が失せた。そう錯覚するほどに圧倒的な――――似て非なるものなれど、南陣営の序列持ちとして親しみのある〝閃〟が迸って〝星〟が消える。
刀を放ったところなど見えず、刃の軌跡など追えるはずがなく、ただ刹那の間に再び鞘へと翠が納められた……僅かに目した姿さえ、ほんの一瞬で消え去って。
呆けたナツメの視界に在るのは、今や目前で笑む後輩の顔。そして甚だ呆気なく、ストンと軽々しい音と共に胸へ埋まった紅の刃が一つ。
引力に逆らわず乗りこなすことで真っ向から抗し、必殺を必殺にて打ち破った勢いのまま此処まで歩みを届けた後輩の顔は――――それはもう、完膚なきまで、腹立たしいほどの純粋無垢な笑みに染まっていて、
「……、……………………はぁ」
舞台の遠くで冗談のように盛大な赤炎の大塔が屹立すると同時、響き渡った試合終了を告げる鐘の音に……いい加減、やつあたりの文句など湧くはずもなく。
「……ほんと無茶苦茶ね、ウチの後輩は。いい加減にしてほしいわ」
「いやぁ、俺の先輩も割かし無茶苦茶だと思うけどね?」
我ながら気の抜けた笑みと声音に対して返された、生意気ながら人懐っこい笑顔は……寛大ぶった先達として百歩、千歩、億歩ほど譲歩して眺めて見れば、
「いつか絶対に先輩としての威厳を見せつけてやるから、覚悟しときなさいよ」
「えぇ、こわ……」
ただただ『楽しい』を欲して突き進む、馬鹿馬鹿しいほどに無垢で無邪気な『可愛い後輩』として可愛がるのも……存外、悪くはないのかもしれないと。
冠を収め〝糸〟を切らした子猫は、ようやく気が抜けたように微笑んだ。
若い。