現の塔上にて
――――俺は、高いところというのが得意ではない。
仮想世界唯一の完全空中機動スキル持ちがなに言ってんだと怒涛のツッコミを受けそうだが、仮想は仮想、現実は現実。高所恐怖症とまでいかずとも、本能的に『地上が遥か下』という状況に人並み程度の恐怖は抱くのだ。
おそらく、慣れの問題。子供の頃から田舎住まいかつ飛行機に乗った経験も皆無なため、空はもちろん背の高い建物に登ったこともほぼほぼナシ。
つまり、とある高層ビルの上階へと迎え入れられた今現在、俺が自分でもわかりやすく精神の安寧を乱しているのも十中八九それが原因だろう。
なんだよ地上何十階って。なにかの間違いで窓から転落でもしたら、地面に着く前に空力加熱で燃え尽きるんじゃねえの――――と、現実逃避めいて沸いた思考を空回りさせているのも、断じて不慣れな高所ゆえの微細な恐怖心から来るものだ。
そう、断じて……。
「――――今日は白にしておこうか。あぁ、勿論ジュースだがね」
「お任せします……」
ひっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっさびさに顔を合わせた相棒の身内にして、愛娘の溺愛者にして、俺に想いを向けてくれている女の子の御父君を前に、思った以上の緊張を発症して打ち震えているのではない。
顔を合わせる機会がないなりに、和さんや斎さんを通して多少のやり取りはしていた。が、実際に対面するのはもう何ヶ月ぶりのことか。
前回の約束が彼の多忙を理由にお流れになり、それから更に二ヶ月。ようやく改めての機会と相成った訳だが、結局のところ俺は『用件』を知らされていない。
察するに『娘はやらんぞ!!!!!!!!!!!!!!』――――……みたいな話では、ないと思う。そういうことなら、俺とソラが互いの関係性を動かそうと決めて以降に、四谷邸への招待諸々に関する許諾へ徹吾氏が判を押すはずがない。
なお、どこぞのメイドが口にした「旦那様の快諾は得ていますので」という文言に一切の虚偽が存在しないことを前提とする。
なお、どこぞのメイドが口にした「むしろ是非にといった様子でしたようふふ」という文言に一切の虚偽が存在しないことを前提とする。
これらが偽りの言葉であった場合、俺は今日メイドの策略に嵌まった愚か者に相応しき最期を遂げることになるだろう……――――
「……はは、そう緊張しなくていい。君と私の仲だろう」
と、馬鹿な思考に馬鹿な思考を重ねつつ努めてポーカーフェイスで固まっている俺の前に、指をさして『高いやつ』と言いたくなるグラスが置かれた。
注がれている液体は、透明で煌びやかな緑黄。以前にいただいた赤ワイン風の葡萄ジュースに引き続き、今回は〝白〟ということだろう。
「クライアントと、コントラクターの仲……ですかね?」
語らいの共を用意した彼は、当然そのまま対面の席へ。腰を下ろした四谷徹吾氏――――世界の『四谷開発』代表殿は、相も変わらず人懐こそうな笑みを浮かべ、
「君の方には、クライアント側として〝優秀な〟という接頭を付けたいがね。益々の活躍、実に素晴らしいの一言だ。君こと【曲芸師】はこれ以上なく我々が望んだ『攻略邁進』という依頼に励んでくれている」
「きょ、恐縮です……」
などと、俺視点では過分なお言葉。
評価が過分という意味ではなく、言葉の装飾が過分という意味だ。こちらも言葉の装飾を取っ払って言わせていただけば、恥ずかしいから勘弁してほしい。
そんな俺の内心を読み取っているのか否か、徹吾氏は笑みを崩さぬまま。
「加えて言えば、愛娘の想い人。更に言えば、もう片方の『優秀極まるコントラクター』の想い人でもある。私が君と仲良くしたいと思う理由は山ほどあるさ」
「んぐっ……!?」
サラリと言い放った俺視点致命の言刃にて、手振りで勧められ飲み物を呷った俺の器官に水攻めという不意打ちを食らわせてきた。
五秒、十秒、間を置いて、咳を落ち着けて。
「…………………………」
しかし言葉選びの難度が高過ぎるため、微妙な顔で押し黙るしかない。対して、これに関しては各方面に立場が弱過ぎる俺の様子を穏やかに眺めてから。
徹吾氏はくつくつと笑みを零しつつ、口を開いた。
「春日君。覚えるのが得意な君のことだ、忘れていようはずもないが――」
「いや、その、現実の記憶力は超能力までいきませんけども……」
わりと誰からも勘違いされがちなリアル性能面に注釈を入れれば、徹吾氏は『それもそうか』とも『要らぬ謙遜を』とも読み取り難い曖昧な笑み。
「ともあれ、覚えているだろう――――私が君たちを……君と娘の冒険を、出会いから長らく観測者として辿らせてもらったことを」
「………………娘さんには、許してもらえました?」
「三ヶ月前の旅行の許可、我が家に君の『部屋』を用意する許可……その二つを差し引いて、残りの負債は七割強といったところかね」
「あらぁ……」
いや、まあ、うん。
表情から察するに徹吾氏も己が罪に対する裁定に異議はないようだが、とかく『父親にプライベートを覗き見られた年頃の娘』の怒りは甚大だったようだ。
さもありなん。別に徹吾氏の意思で覗いた訳ではないらしいという事情を鑑みても同情はしないが、それなりに不憫ではある。
さておきと、彼は咳ばらいを一つ。
「要するに私にとっての君は、現実で初めて顔を合わせた時から既に『どこの馬の骨とも知れぬ男』ではないということだ。罪を以って君たちへ勝手に向けていた私の目には、君と娘が支え合って歩んだ道程が全て焼き付いている……つまり」
「……、…………つ、つまり?」
つらつらと並べ立てられる言葉のどれもこれも恐ろしいが、それらを述べる彼の表情は……少なくとも、怖ろしさを感じるべき類のモノではなかった。
「本来ならば言葉を尽くして納得させてもらうべきところを、私は一般的な〝父〟には不可能なズルを用いることで先んじて勝手に納得してしまっている」
「は、はぁ……」
「わからないかな? こう言っているんだよ――――どうか娘を頼む、とね」
「………………」
「君のなにがあの子に響いたのか、君のどこにあの子が惹かれたのか、私は世間で〝ハルソラ〟がどうのと騒いでる者たちの百倍、千倍、万倍は知っているのだよ。ならば、愛娘が信じた君を信じて託す他にあるまい」
「そ、……、………………」
「はは、時間をかけて呑み込めばいいとも。加えて言えば、泣かすなと君の現状を鑑みれば無理難題とも取れるプレッシャーを掛けるつもりもない」
「………………」
「〝恋〟だの〝愛〟だのというものは、どこまで行っても最終的には本人同士の問題と責任だ。結末がどうあれ、答えがどうあれ、なにもかもを終えて振り返った時に良い思い出として懐かしめるのであれば……無駄でも過ちでもないからな」
「…………………………後悔は、させない、つも――――いえ、させません」
絞り出した言葉は、些細な本心が一つ。
それは単なる信念一本。なんの保証もありはしない若造の言葉に、しかし徹吾氏は『それみたことか』とでも言うように満足気な顔で、
「……そうだな。そうだろう。私がよく知る男ならば、そう言ってくれる」
鷹揚に頷いて、悠々とグラスを傾けた。
――――然して、数秒後。
「さて…………そんなことはともかく、そろそろ本題に入るとしようか」
「今のも本題と言えば本題だったのではっ!?」
そこそこの精神力を対価に安堵を得て脱力に至った瞬間。
まるで『なにを今更こんなことを』とでも言いたげな御父君へ『アンタ本当にそれでいいのか』と思わず入れた俺のツッコミは、当然の如く笑って流された。
ある意味でアルカディア読者みたいなもんだからね、なにを今更。
なお、お義……お父様との対談は次話に続かない。
という訳で、あけましておめでとうございます。
今年も良き物語を紡げるよう努めて参りますので、よろしくお願いいたします。
お年玉は夜まで待って。




