結んで、開いて
お師匠様が不在の間、一点だけ避け得ず困ったことがあった。
それはなにも、寂しいだのなんだのといった精神的なものではなく……いや正直に言えば多少なりそういうアレも、そこはかとなくあったりなかったり無きにしも非ずってな具合ではあったが、もっとこう即物的な意味合いで。
即ち、
「……? 随分、思っていた状態とは違いますね」
一ヶ月ぶり、道場の縁側にて。彼女の小さな膝に乗せられ刃を検められている【早緑月】のメンテナンス事情である。
勿論、ういさんが不在だからといって一切整備不能なんてことはなく。俺だって今や魔工師の端くれ……の更に端くれの木っ端程度ではあるからして、装備品の耐久値回復作業くらいは問題ない。そうでなくとも、カグラさんに頼めば一発だ。
――――が、しかし。
「ハル君?」
「いやー……あのー…………」
思っていた状態とは違う。そう呟いて不思議そうに首を傾げた師は、次いで隣に座る俺へ珍しくお叱りめいた半眼を向けてくる。
そりゃそうだろう。なんせ、出立前日に手入れをしてもらった状態からほとんど耐久が減っていない上、追加で整備をした形跡もないのだから。
いや『整備をした形跡』とか残るものなのかも知らんけどさ。けれども彼女の目にはソレが映っていたとして、今更なんの不思議も感じないって話で。
ほら、一流の職人は鉄を読むらしいし。さておき――――
「「………………」」
真意を問うているのか、なんなのか。ジッと目を見つめてくる【剣聖】様の眼光から逃れることなど許されず、如何に彼女相手と言えどこればっかりは出来れば言いたくない俺はドギマギしながら無言を貫いて……。
「………………はぁ。なんと言いますか」
「ぁっ、あ、いいです。お心に留め」
「思いの外、でもないのでしょうか――――ハル君は、甘えん坊ですね」
「ほんっっっっっっっとすんません勘弁してください……!!!」
いや、わかってたよ。
覚悟はしてたよ。
どうせ、この人には全部まるっと見通されるんだろうなと。
旅立ちに際して、これまで整備権を独占していた彼女から「仕方ないので」と【早緑月】の整備についてレクチャーは受けている。ついでに言えば、信頼のおける『専属魔工師さん』に頼んでもいいとのお言葉も貰っている。
つまり最近の俺が半意識的に【早緑月】を一層に〝たいせつなもの〟扱いして、ここぞという場面以外では使用していなかったのも。
自身の手にも他人の手にも、刀のメンテナンスを任せなかったのも……全て、なんだ、その、つまり、まあ、弟子の甘えってか我儘先行のアレで――――
「全くもう……剣士が刀を死蔵してどうするんです?」
「心の底からお恥ずかしい」
お説教めいた言葉ではあるものの、ただただ微笑ましげかつ揶揄いほんのりな視線が羞恥の針となって全身に刺さる。俺にできることは、なにもない。
言い訳なんてした日には、それこそ死。
言える訳ないだろう、翠刀だけは自身の手にすら任せたくなかったなどと。
お師匠様大好きか。齢十八にして女々しいにもほどがあるってか、下手すりゃ引かれても文句は言えないアレな思考であるとも自覚済みだ。
だからもう、残された道はただ一つ。
「――――…………っ、ふふ……!」
フードを被り、そっぽを向いて不動防御の構え。そして響くは師の零す笑み。なにしたって勝ちはないんだから極力ダメージを減らす方向で動くのみである。
なんか余計に傷を負っている気しかしないが、知らん。どうせこの場にて俺は『甘えん坊な弟子』認定から逃れられんのだ、いっそ殺せ。
「もう、本当に、この子は……」
お隣から届く満更でもなさそうなお声が、唯一の救いにして最大の凶器。言葉を紡ぎつつも手を止めず、つらつらと回復作業を続ける彼女は、
「はい、できましたよ」
コトリと、鞘に納めた刀を年甲斐もなくイジける俺の膝に置く。
置いて、音もなく。
「? ――――っ…………」
流石に礼は欠かさないぞと顔を上げ横を向いた時、既に師の姿は隣になく。追い切れなかった気配が後ろにあると気付けたのは、背中に温もりが触れてから。
フード越しにコツンと、おそらくは額が当てられる感触。首元を通って回された両腕の先で、小さな手がギュッと組み合わされる光景が目に映った。
息を止めた俺に対して、彼女の吐息はただただ穏やかに。
「――――可愛くないのか、可愛いのか、どちらかにしてください」
咎めるように、褒めるように、文句を言うように、催促をするように。常から弟子をだだ甘やかすお師匠様が、困ったように……けれども楽しげに言う。
「あまり心をつつかれると、私も我慢が疎かになってしまいますから」
「……、………………ういさん、そも我慢なんてするタイプじゃないでしょうに」
「それはそうなのですが」
「それはそうなのですか……」
狼狽えるまま絞り出した言葉も、ふふりと笑われそれっきり。
え、なに、これどうすんだよ――――と、真実そうして固まるしかない俺を他所に……数秒後、手が解けて熱が離れていった。
然してこれどうすんだよ継続中。動けねぇ、振り向けねぇ、振り向けるはずがねぇと過去最高に『微動だにせず』を体現するままでいると、
「…………そこまで照れられますと、私も少々、恥ずかしいのですが」
「その言葉まで含めてオーバーキルなんでマジ勘弁してください……」
気の置けない師と弟子とは言え、歴とした異性同士。
まさか白状するなど恐ろし過ぎて不可能だが、これはケジメ埋め合わせ案件と脳裏に浮かぶ三つの顔に贖罪を誓いつつ顔を上げる。
そうして正面に回った【剣聖】様のお顔が……言葉とは裏腹ただただ穏やかであったことに、正直なところ心の底からホッとした。
なにがどうホッとしたのかは、残念ながら上手く言語化できなかったが。
「……では、刀の整備も終えたところで――――そろそろ、行きましょうか」
「…………了解、です。御随意に」
差し出された手を自然と取ることができた己にも、また謎にホッとしつつ。手を引かれ、立ち上がり、共に見慣れた居の中を歩み進む。
振り向いたのは、二人同時。ゆっくりと周りを見回したのも、二人同時。示し合わせるでもなく、同期した動きで光景を目に焼き付けるように。
「なんか、ぶっちゃけ少々の寂しさが」
「ふふ……また、いつでも来れますよ」
もう今更と女々しい発言を重ねれば、隣の師は再び微笑を零しつつ。
「闢き給へ――――《神館の揺籠》」
その手に現れたのは、直視を躊躇うほどに眩い光を放つ〝鍵〟が一つ。
彼女はそれを、そっと己が胸元に押し込み――――
世界が消え去り、世界が闢く。
頬を撫でるのは、一瞬前と比べて僅かばかり冷たい風。遠くに在るのは、見紛うことなき【セーフエリア】外周の大森林。立っているのは、まっさらな大地。
異界は閉ざされ、舞い戻ってきた冒険の舞台にて。
「それではハル君。えすこーとは、お任せしますよ?」
「はは……大任、仰せつかりました」
二人並んで……否。畏れ多くも、お師匠様に道を示しながら。
前へ歩む脚は、俺たちの〝家〟へ向けて。
といったところで五章第一節、これにて了といたします。
良いお年を。




