風二つ
アバターを駆け巡った雷光が奪い去って行ったのは、きっちり十パーセント分のHP。そして代償によって成立するのは〝武器〟が齎す僅かばかりのステータス強化と、カナタにとっても世間にとっても思い出深い〝技〟が一つ。
思い出深いとは言っても、その名が知れ渡ったのはほんの四ヶ月ばかり前のこと。しかしながら、かの【曲芸師】が台頭した前回四柱にて幾度となく叫んだスキルの名は、彼の『十八番』として鮮烈な印象を与え残している。
《瞬間転速》――――元ユニークスキルたる力の内訳は、あらゆるアクションから『加速』の過程を破却することで驚異的なゼロ百加速を実現するというもの。
その存在が知れて以降。数多の軽戦士が躍起になって取得しようと試行錯誤を続けているスキルが今、カナタのアバターを突き動かす。
踏み込みも、踏ん張りも必要ない。
なんの足掛かりもない空中にて最高速を叩き出した右脚が閃き、彼女もまた記憶に在るであろう赤雷の光に目を瞠った桜梅桃李の顎先を捉えた。
手応えアリ。掠めるように薙いだ爪先から硬化の感触は伝わらず、しかしカナタの体術は『先輩』のようにデタラメな力を籠められる訳ではないが……例えHPへのダメージは少なくとも、影響は在る。
アルカディアにおいて、遍くプレイヤーの天敵たるそれは、
「――、――――……ッ」
不意打ち&人体の急所を撃ち抜かれたことによる、致命衝撃の強制硬直。
ガクンと速度が落ちた【女傑】の拳が、奇怪な空中機動によって蹴りを放ち大きく体勢を変えたカナタの頬を掠めて空撃たれる。
然して、訪れた最初で最後になるだろう好機に、
「ッ――――‼」
憧れより身に余る一歩を受け継いだ少年は、がむしゃらに手を伸ばす。
《ブレス・モーメント》起動。本来ならば回避に用いるスキルが物理法則に蹴りを入れ、いまだ宙に遊ぶカナタの身体を最高速度で地に運ぶ。
降り立ったのは背後。そして二度目の〝トリガー〟は引かれ身体は動いている。
駆け巡る雷光。ただの一瞬たりとも、勝ち取った隙は無駄にしない。
「《足断》ッ‼」
地に伏せるほどの低空軌道、条件達成。真後ろからの判定起こし、条件達成。そして、対象が状態異常に捕らわれている――――条件達成。
閃いた【鋼謐の連番棘】が桜梅桃李の左アキレス腱を撫で払い、スキルの効力が間違いなく発揮されたことを証明するダークオレンジのエフェクトが弾け散る。
短剣適性カテゴリ上位スキル、移動阻害デバフ《マーシレス》。その効力が完璧に発揮された場合の、最大行動不能時間は、
「――――……ったく、やるじゃないか」
たったの、三秒フラット。
即ち、逃げ切るには十二分の時間。
そして、その最大の好機を。
三度のトリガー、腱を薙ぐと同時に剣を投げ捨て閃いた右手――――手を伸ばしたカナタは、硬直から脱し切る寸前で桜梅桃李の腕を掴み。
「【遥遠へ至る弌矢】ッ‼」
迷うことなく、攻めに転じた。
魂依器【遥遠へ至る弌矢】の滑走起動における絶対条件は三つ。接地、左右交互の法則に加えて、障害物に接触しない軌道を設定すること。
そうしてカナタとカナタの持ち物を最高速で運ぶ権能に、
重量制限は、存在しない。
七メートル、ギリギリの距離。決して広々とは言えない通路構造のスケールが幸いし、床を奔った〝靴〟が『壁』を踏む。
縦から横へ切り替わった視点。ほんの二メートルほどを滑昇した今――――
かの【女傑】を、宙に招待する目論見は叶った。
さぁ、もう一度。
「《クロウリィ――――」
引き金を絞る。
「――――リヴィンド》ッ‼」
放す右手、納める左手、そして新たに引き抜く左手。
黒短刀【愚者の牙剥刀】に代わって抜き放った【鋼謐の連番棘】の片割れ、その刃が向かうは宙に浮いた【女傑】の左脚。
短剣適性カテゴリ最上位攻撃技《クロウリィ・リヴィンド》。
初速、トップスピード、そして威力、全てがカテゴリ最高峰をマークする短剣使いの〝必殺の一撃〟――――それは例え、仕留めきれずとも『必殺』を実現する権能を湛えた紛うことなき致命の刃。
《足断》と同系統の状態異常付与スキルを多く持つ短剣適性において、下地となるデバフを叩き込んだ部位へ、この技を重ねた場合。
小さな短剣は、確定で部位破壊を引き起こす情け容赦なき死神の鎌と成る。
三秒もあれば、逃走は可能だっただろう。しかしながら、それは彼女が見逃す気になってくれたらの話。その程度で本当に突破が叶うのであれば、そもそもこうして真正面から斬り結ぶ意味さえありはしなかった。
【女傑】桜梅桃李は『序列持ち』――――カナタが仰ぐ天上の存在と〝格〟を同じくする彼女が、奥の手の一つや二つや三つ持っていないはずがない。
だから、そう。確実に有言実行を果たすためには、
「――――――ッぁア!!!」
「――――ッハ……‼」
脚の一つや二つ、持っていくのが最低条件だと覚悟を決めていた。
二刀ではなく一刀。ゆえに凝縮された青の閃光が鮮烈に輝き迸る。然して、練り上げた策略を辿った決死の一撃は確かに届いて――――
「――――――上出来だよカナタ、アンタは強い。心から称賛しよう」
「………………恐縮です」
出来上がったのは、地に伏す少年と見下ろす淑女。宙から地へ、上下を入れ替えて確定した結末は即ち、チャレンジャーの敗北を意味しており……。
「実質アタシの負けだね――――序列持ちでもない相手に、冠まで使わされちゃ」
しかし頭上に〝証〟を灯した桜梅桃李は苦々しく、されども実に満足げな笑みを浮かべて自らの敗北を謡った。裏表のない称賛は、嬉しくもあり、
けれど、どうしようもなく悔しくもあり、ただカナタは脱力して。
「…………………………たった一分ちょっとで、三本ですか」
「…………なんだって?」
一度、二度、そして今、三度。その目が捉えていた光景に気の抜けた笑みを零した。桜梅桃李が『なにを言ってる』とばかり疑問を零すが、知れたこと。
目の前の戦いに夢中になると周囲が見えなくなるという彼女の性質を考えれば、気付いていなかったというのも不思議ではない。
そして、つまりそれだけカナタに夢中になってくれたというのは喜ばしい。
喜ばしい、けれど、やはり悔しさと――――恥ずかしさが勝る。
風が吹く。
「――――――ようカナタ。なんか頑張ってたみたいじゃん?」
狼煙を上げながら、一歩一歩と近付いて来ていた風が、
「よくやった。あとは先輩に任せとけ」
「…………はい、学ばせてもらいます」
長い長い白を揺らして、すぐ傍で微笑んでいたから。
ナイスファイト。




