受け継ぐ一歩
常識に縛られない特異点めいた一部例外を除いて、アルカディアの対人戦における敏捷特化型の立ち回りには二種類のセオリーがある。
大別して、押すか引くか。どちらも相手の追随を許さぬ〝脚〟でもって翻弄するのは変わりないが、要するに攻め一辺倒で一息に押し切るか、速度の優位によって作り上げたリズムに敵を引き込んだ上で確実に黙々と削り切るか。
つまるところ、基本的に〝攻め〟以外の択はない。膨大数のスキルを始めとした未知が当たり前のように毎時間更新されるこの世界では、些細な事故一つで沈む打たれ弱いAGI型は殊更に『なにもさせない』が重要になる訳だ。
ゆえに――――
「ッハ! いいね、意気も根性も本物らしいッ!」
「フゥ――――ッ……‼」
例え己とは次元の違う怪物が相手であろうと、踏み込む以外の道はない。
もう何度目の滑走か、何度目の死角か、何度目の攻撃か。右手で駆る短剣が彼女の身体を打ったのは、果たしてもう何度目のことか。
フェイントに反応して背後を振り向いた【女傑】の真正面。視覚を掻い潜っても意味はないとばかりノールックで閃いた左の掌が、両腕を重ねて身体ごと叩き込んだ鋒の刺突を容易く受け止め……やはり弾けるのは金属音。
名立たるユニークや魂依器、語手武装などの規格外には及ばずとも、カナタの愛剣こと【鋼謐の連番棘】は高名な魔工師の手掛けたワンオフ品だ。
元となった素材も出来栄えも文句なしの一級品。まともな防具すら纏っていないプレイヤーの〝肌〟に、こうも易々と防がれていい品ではない――が、
「ッ……!」
「おっと、またかい」
残念ながら、外付けの守りがなくとも本人自体がまともではない。
いまだHPを欠けさせることなく悠々と戦場に立つ桜梅桃李が左手を閉じようとした瞬間、刃を引き即座に【遥遠へ至る弌矢】を起動して七メートルの超速一歩後退。彼女が零した言葉通り、もう幾度となく繰り返された不毛な形だ。
「参ったね、どうも。大した〝靴〟じゃないか」
「……恐縮です」
理不尽な〝防御〟のタネはわかっている。というより、彼女自身によって公開されているソレは余程世間に興味がない者でなければ知っていて当然の情報。
高難度ダンジョン【奥空の異相平野】の第一踏破者報酬、特殊称号『地愛者』。序列持ちの『名』と同じく常時効果が適用されるタイプのモノであり、極大のメリットとデメリットを併せ持つ極めてピーキーな称号だ。
秘める力は『地上におけるアバターの超強化』及び『空中におけるアバターの超弱体化』――――端的に言い表せば、彼女の身体は地に足を付けている限り誰よりも頑強となり、両足が地を離れてしまえば誰よりも脆弱になるというもの。
地に在る彼女は、かの【剣ノ女王】の剣撃ですら素手で受け止める傑物と化し、
空に在る彼女は、適当に放られた石ころで傷を負う無力な淑女と化す。
「………………」
「考えてるね、しっかりと」
まるで鋼を打ったような硬質な感触も『地愛者』が誇る強化効果の一つ。
任意部位を瞬間的に硬質化する自動防御『地母の鉄身』――任意かつ硬化可能範囲が掌一つ分という制限はあるが、普通を逸した戦闘センスに数多の経験を蓄積した序列称号保持者の手に在って、その力がどれほど厄介かは言うに及ばず。
突破するには彼女の……例外たる【剣ノ女王】を除けば、序列第二位【重戦車】に次ぐ対人巧者の読みを上回る奇襲を仕掛けるか、部分硬化を意に介さない範囲攻撃に呑み込むか、硬化の判断を下す暇もないような超高速で守りをすり抜けるか。
「……………………」
「ま、いいことだよ。……けど」
しかし、これまた残念ながら――――カナタの手には、どれも無い。
「考えてばかりじゃ、つまらないだろう?」
「っく……!」
大槌が地に触れる。さすれば揺れが巻き起こり、目前の【女傑】が姿を消す。
『地愛者』の強化効果の一つ、名は『大震行』。その能力は、振動に乗じて地上を滑走することで瞬時の移動を可能にするというもの。
他でもない、カナタの『魂依器』と近しい能力。その最高速度は震度に応じて上下し、彼女の【地揺り根花蔓】が巻き起こす局所的な大地震の上であれば――
AGI:500の速度域に、勝るとも劣らない超速となる。
迫り来るは無手、振り上げられるは拳。
かの大槌は見た目のスケールに反して攻撃力は持ち合わせない半物質。ゆえに彼女の攻撃手段は、数多の〝渾名〟が相応しいステゴロ一本。
しかし侮ることなかれ。『地愛者』の効果によって〝硬さ〟と〝速度〟を得る彼女のステータスは、ただ一つ肉弾戦に足りない数値に一極化されており――
「そら、奇縁を楽しもうッ!!!」
「――――――」
STR:700超の馬鹿力によって放たれる剛拳は物を打てば容易く砕き、神に用意された〝不壊〟を打てば想像を絶する破壊の衝撃波を撒き散らす。
【遥遠へ至る弌矢】再起動、後退――――大地震だろうがなんだろうが無視して実直にルートを辿る魂依器の力により退避は叶うが、大気を揺るがす程度では済まない衝撃は避け得ずアバター突き抜け揺るがす。
床を打ったのは、紛うことなき接敵してから最大級の攻撃。
チクチクとヒットアンドアウェイを繰り返すカナタに痺れを切らしたのか、あるいは『さっさと〝先〟を見せろ』という豪快な催促であるのか。
単純に筋力ステータス一本で成立した『拳』ではないだろう、序列持ちが抱えるに相応しい常識外れのスキル諸々が積み上げられた本気の一撃――――
であると、そう信じたい。
なぜならば、そうであったなら……今このとき、真実どうしようもなく体勢を崩してよろけたカナタの目前へ、更に一歩踏み込んで拳を振り翳した彼女が、
目論見通り、前のめりで――――誘いに踏み入ったということだから。
情報は、度重なる不毛なヒットアンドアウェイで十二分に与えた。つまり、カナタの【遥遠へ至る弌矢】が攻撃転用を苦手としているのはバレているだろう。
魂依器が可能とする〝滑走〟には『障害物に触れる軌道は敷けない』という制限の他に、安全機能でもあり弱点でもある『終点で慣性を無視した百ゼロの制動が掛かる』という仕様が存在する。
ゆえに、滑走の勢いのまま攻撃に繋ぐというアクションは不可能。
【遥遠へ至る弌矢】を基点とした攻め手には必ず入りと抜きの双方で一拍の間が発生し、慣性ブーストによる攻撃威力向上も望めない。
言わずもがな、序列持ちなどという枠外の相手に対して『一拍の間』など致命的。攻撃の行く先を読まれるなど当然であり、悉くを防がれたのも想定通りだ。
ついでに、左右交互の法則も地に足が付いていなければ魂依器を起動できないというのもバレているだろう――――バレていてくれなくては、困る。
何度も何度も性懲りもなく、通用しないと知った上で執拗にアタックを仕掛けていたのは、全てそのため。理解していてもらわなくては、今この瞬間。
衝撃によって浮いた状態からの一手が、通せない。
僅かでも確かに床から突き放された両脚、刃を振るえども通用しない右手、そして啖呵を切ってからここまで、無手をアピールし続けた左手は、
腰の後ろで、ようやく得物の〝柄〟を握り込む。
連ねて【鋼謐の連番棘】を納める鞘の影。お守りのようにひっそりと佩かれていた、もう一振りの鞘に封じられる黒塗りの刃から――――
「――――――《瞬間転速》ッ!!!」
赤雷の如き煌光が、迸った。
それは天上に牙を剥くための刃。




