教えは此処に
「――――――――っぷは……!」
限界速度で動いているとき、無意識に息を止めてしまうのは要改善。
自分でもあまり意識していなかった『癖』は持久力に関わってくるということで指摘されたものの、残念ながら現時点で完璧に克服したとは言い難く。
七本目の『柱』を断ち割ったところで遂に足を止めてしまい、代わりに正常な呼吸を再開させたカナタは意思に反してドサリと腰を落とした。
止まっている場合ではない――――けれども、止まらず走り続けられるなどと増長している訳でもない。恥ずかしながら、必要な休憩だ。
『カナタ、大丈夫か?』
「すみませんっ……少しだけ、」
『まだバケモン連中と一緒くたに扱ったりはしねえよ、休みはしっかり取って構わねえさ。疲れはいい、心の調子はどうだ?』
「意気込みだけなら、無限に走れそうです……!」
『ッハ、そいつぁ結構』
畏れ多くも、流石に慣れてきた【総大将】との会話運び。ほぼ付きっ切りで道行きをサポートしてくれていることにも、いちいち遠慮をするつもりはない。
そんなもの、まさしく無用。他の方々にはソレが必要ないのだという事実を正しく理解した上で、カナタは前もって言われた通りの『惜しみないフォロー』を無駄にせず期待に応えるべく、ただ愚直に走り続ければいいのだ。
『迷路解放からしばらく経つ。そろそろ〝先行組〟以外のプレイヤーも溢れてくるだろうからな、こっからは不意の戦闘にも備えとけよ』
「先行組……」
『お前さんの〝先輩〟や、その〝同類〟よ』
開戦直後。並のプレイヤーでは追い付けない速度で先行した『序列持ち』同士がエンカウントし、盛り上げ一発と派手な挨拶が発生するのが四柱の定番。
敏捷に秀でたランナー同士の戦闘となるため、基本的に目まぐるしい……つまり映える戦闘となる場合が多く、四柱戦争における第一の見所となるのだが――
「あの、先輩は……」
『あぁ、アイツならもう仲良くやってたぞ。この短時間で計四人な』
「なんですって???」
つまるところ前回の四柱からソレは自然、決まって特定人物の初エンカウントに固定化された訳で。『柱』破壊を除く光塔は確認できていないため無事は知っていたが、サラッと返ってきたおかしな言葉に思わず素っ頓狂な声が出た。
然して、頭の中へ直接響く《念話》越しに忍び笑いの気配が伝わり……。
『楽しい先輩で、鼻が高いだろ後輩?』
「…………あ、はは」
言われ、十分に息を整えたカナタは立ち上がり、
「それはもう、世界一です」
『つくづく愛される性質だわな、あの坊主は』
己の言に偽りなく、尽きぬ意気込みを体現するべく顔を上げた。
「ゴルドウさん」
『おう』
そしてそれは、大将の言葉に心を突き動かされたから、ではなく。
「……――――敵です」
見据える〝網〟の奥。迷路の奥から隠すことなく気配を滲ませ、姿を現した一人のプレイヤーに、堂々と立って相対するために他ならない。
倒れ伏した『柱』の残骸が崩れ散りゆく燐光の中、網目の途切れた空白地帯に足を踏み入れたのは長身の女性。
金の長髪に碧眼。線が細く整った顔立ちに『美』ではなく『強さ』を感じさせる快活な笑みを浮かべ、大胆なスリットが入った改造修道服とでも言うべき布軽装に怪物のような大戦鎚と異様な威容を誇る存在感の塊。
「【女傑】……桜梅桃李、さん」
『――――――……成程』
一歩また一歩と距離を詰めて、今や数メートル先。まるでカナタが逃げないことを確信しているような……――否、逃走を目論んでも無駄と断じているような、泰然として、悠々として、どこか傍若無人で静かな歩み。
大戦鎚を引き摺りながら無音で目前に立った彼女は、一つ笑みを重ね――
「さて、知らない顔だね。アンタ誰だい?」
こっちの自己紹介はいらないだろうでも言うように、ただ問うた。
『カナタ、わかってんな? お梅とお前さんは相性が悪いとは言わねえが……』
「はい」
【総大将】は続く言葉を声にしなかったが、気遣いがなくともカナタ自身が深く理解している――――地力が違い過ぎる、相手にもなれないと。
今回はフィールドの助けもあって【曲芸師】に一歩、二歩……いや五歩…………何十歩か及ばず程度の走りを見せられている自信はあるが、まだまだそこ止まり。
憧れの人たちに、序列持ちとそのパートナー直々に鍛えてもらったと言えど、それだけで並べる訳がない。アルカディアにおける〝特別〟は安くないのだ。
だから……そう、だからこそ。
「……――――東陣営所属、カナタと申します。お見知り置きを」
「そうかい。名前のほうも、知らないね」
かの〝特別〟を目指して走り出した自分が、征くべき道など決まっている。
『……止めはしねえが、勝てねえぞ』
「ですよね。ですけど――」
ランナーという大役は与えられたものの、どうせ自分は一般枠。もしもHPを散らされたとて、それは四柱におけるゲームオーバーを意味しない。
ゆえに、この場での最適解は『不必要に手札を見せず潔く散ること』だろう。《念話》を繋ぐ大将を含め、誰もが肯定する賢い択がソレなのは理解している。
そもそも、一般枠のプレイヤーにとって『序列持ちとの遭遇』は敗北必定の事故と同義。足掻こうが諦めようが生殺与奪権は天上人たる彼ら彼女らにあるのだから、不運を呪う以外にできることなど在りはしない。
アルカディアにおける『序列持ち』とは、敵に回ればそういうモノだ。
重ねて、だからこそ。
「俺、先輩みたいになりたいんですよ」
仰ぐと決めた憧れに、手を伸ばすのであれば。
「先輩なら、同じ立場でも絶対に退きませんよね」
憧憬に見るその背中を、追い掛けなければ嘘だ。
自分が惚れ込んだ【曲芸師】は、いつだって敵わぬ相手を超えて魅せた。
『…………どうだかな。アイツ、あれで変なところ合理的だったりするぜ』
「あはは。それもまた、魅力ということで」
『あーあー、もうなに言っても無駄だなこりゃ』
頭に響く声音が湛えるは、呆れと諦めが五分五分といったところ。けれども、妙に楽しげなその声の主は、闘争の東陣営たるイスティアの長。
『まあ序列持ちに本気で挑むってんなら、覚悟を見せた時点で十分に魅せたってなもんか……構わねえぜ、スコアはもう十二分だしな。好きにしろ』
「っ……はい!」
『声に覇気が足りねえ。今更わがまま言って申し訳ねえとか縮こまってんじゃねえぞ――――アレに憧れるってんなら、お前さんも見習って啖呵切りやがれッ!』
「ッ――――はい‼」
必然の余裕。
目前で長々と〝頭〟とのやり取りを続けるカナタを急かすでもなく、当然のこと手を出すでもなく、ただ楽しげに眺めるまま待つ〝敵〟を見やる。
見やって、宣うは一つ。
「堂々と、真正面からぶつかって――――逃げ切ってみせますッ!!!」
『おうしッ!!! よく言――――――……あんだって?』
退かず挑むが、勝ち逃げならぬ逃げ勝ちはアリ。
それもまた不可能に思える困難には違いないが、胸に刻んだ言葉がある。それ即ち『やればできることはやればできるから、やれると信じて臨みましょう』だ。
然して、知らず見事『先輩』の思考をトレースして〝覚悟〟を言葉に示してのけながら……構えたカナタに、彼女――南陣営序列十位は一層その笑みを深め、
「いいね――――気概だけでも、見知り置く価値は在りそうだ」
同じく〝敵〟と認めた少年へ、再び一歩を踏み出した。
この後輩、脳を焼かれ過ぎている。
もうダメみたいですね。




