こわいはかわいい
それは、捻りのない王道の和製ホラー。
奇をてらわず基本に忠実かつ丁寧な作品作りが成された何年か前のヒット作であり、初見ではあるが俺も名前くらいは知っている有名な映画だ。
ジャンプスケア……いわゆる大きな音で半強制的に驚かせて来るタイプのアレがメインではなく、じわじわと恐怖を積み上げていく情緒に重きを置いた方向性。
俺は別段ホラー作品が苦手という訳でもないため、一定の評価を受けている代物となれば普通に楽しめたことだろう。
ただし、あくまで普通に鑑賞できていたならな。
――――斯くして、上映開始から十分後。
「……、っ…………! ……!?」
「お前は本当なんに対して打ち震えてんだよ。それ間違いなく物語に関係ない散歩中のご婦人だし、柴犬かわいいだろうが」
オープニング映像から始まり、なんの異変も起きていない導入部分から画面に映るあらゆるものにビビり散らかしているニアに堪らずツッコミを入れたり、
――――三十分後。
「っ…………、……ま、窓」
「そうだな窓な、なんか見えたな。大丈夫だから落ち着いて、深呼吸しながらゆっくりと俺の左腕を解放しろ。隣人の肘関節をキメても除霊効果はない……!」
作品が馬脚を露わし始め、チラホラと入り始めた恐怖演出に無表情かつ平坦な声でリアクションを零すと共に俺を締め上げるアーシェを宥めたり、
――――四十分後。
「ソラさん、生き……起きてる? ピクリとも動いておりませんが」
「…………………………ちゃんと、見てます」
「そ、そうか」
怖がりつつもなんだかんだ好奇心が勝っているのか、集中して見ているらしいソラさんに「大人しく映画鑑賞できて偉い」と感心したり、
――――そして、一時間後。恐怖物語のクライマックス部分にて。
「あれは造り物」
「元も子もないこと言い出したなコイツ……! おま、ちょっ、この……暗示まで掛け出すなら少しは落ち着け俺の左腕になんの恨みがあるんだよ……!?」
「死んでしまった人も皆ちゃんと生きてる。あれは映像作品」
「おいこらフィルムの中だけじゃなくて隣の現実にも目を向けてくれッ……!」
あと声震えてますよお姫様。本当に意外ってかコイツこんな感じで普通に怖がったりするんだなってか左だけじゃなくて右ぃッ!!!
「――――、――っ……――――――! ――――――――!!!」
「いやわかんないわかんないそんな手を二重の意味で無限にシェイクされてもわかんないからってか力つよッ細腕のどっからそんな出力湧いてんだよ……!?」
「――――――――――――ッッッ!!!!!」
「話聞けや両サイドッ!!!!!」
現実逃避ならぬ創作逃避をし始めたアーシェ、そして文字通り声にならない悲鳴を上げて暴れ出すニア。二人の怪獣に挟まれた俺に安穏な映画鑑賞など許されるはずもなく、内容など欠片程度しか頭に入らぬまま時間は過ぎていき……――――
「………………」
いつしか完全に入り込んでいた少女だけが、真っ当に作品を楽しんでいた。
◇◆◇◆◇
「この面子では二度とホラー映画なんて見ないからな」
「『ごめんなさい』」
時間にして九十分と少し。間違いなく作品の恐怖演出とは無関係の疲労に沈んだ俺の宣言に対して、両脇から届くは謝罪の声と言葉。
いやまあ恐怖への反応なんて人それぞれだし仕方ないとも思うが、関節技をキメられたり手を握り潰されかけた立場として文句を言うくらい許されるだろう。
素直に謝られてしまったら、そりゃ秒で許すのも吝かではないんだけどさ。
とりあえず、この作品に関しては後で時間がある時にでも一人で見返すとして……感想会なんて碌に成立しそうもないので、作品とは関係ない話題を一つ。
「正直かなり意外だったんだけど……アーシェさん」
「なに」
「実は人並み外れてホラー苦手ですね?」
「…………」
ふいと顔を背けたのは、果たして恥ずかしさからか負けず嫌いからか。
「……元々、こんなに苦手だった訳じゃない。全部アルカディアのせい」
「どういうこと?」
「仮想世界、VR技術、AR技術、AI技術――――他にも、ありえないと思っていたことを幾つも覆された。オカルトにしか思えない魔法みたいな技術が存在するなら……幽霊みたいな非科学的な存在も、いないとは言い切れなくなったから」
「あぁー……」
思ったよりもロジカルな理由だった。手短に深く納得してしまう語り口も併せて、これで【剣ノ女王】様は平常運転だったらしい。
さて、お次は右隣。
「ニアちゃん?」
「…………」
「ほらキリキリ白状したまえ。君には俺の右手を万力に掛けた容疑が掛かってる」
『馬鹿力みたいに言わないでくれるかな!?』
少なくとも、女子の平均は超えてると思うよ。健康的なのは良いことだ。
『別に、海外ホラーとか怪物ホラーとかなら人並みですし』
「なるほど。和製ホラーは人並み以上に超苦手と」
『仕方ないじゃん小さい頃パパに妖怪だの幽霊だの日本のホラー文化で散々怖がらせられたのトラウマなんですぅ!!! 意地悪なとこキミと似てますねぇ!!!』
「そんなアクロバティックにキレられましても……」
あと、申し訳ないけどパパ呼び以外の情報があまり頭に入って来なかった。
こんな娘さんなら、そりゃ大層可愛がっていたことだろう。つい意地悪もしてしまったものと思しきニア父上様の気持ちは同じ男として理解できなくもない。
男なんて大概、幾つになっても童心を捨てられないもんだろうて。
――――で、最後の一人。
「ソラさん、案外平気そうだったな?」
終盤では気付けば肩の力も抜けて、怒涛の恐怖演出にも負けずジッとスクリーンを見つめていた相棒に話を振る。
あと俺の心に安寧を齎すために、そろそろ膝から下りてはいただけないでしょうかね――――と、遠慮無しに言うか言うまいか一瞬でも悩んでしまうのがソラに対する駄々甘さの顕れである。
他二人からは「存分に贔屓しなさい」と言われているものの、露骨な特別扱いは褒められたものじゃないため加減しなければ……なんて思ってはいるのだが。
呼ばれて振り向く、あどけない顔。この無垢なお顔に弱いんだ。
「人と一緒なら、意外と大丈夫でした。その……えと、賑やかなのもあって」
「あぁ、自分以上に怖がってるのがいると冷静になるやつ……」
わかるよ、超わかる。俺も今回は特別にそれだったし。
なお画面の中には一切の恐怖を感じなかったが、両隣から身の危険を感じた模様。恐怖演出以外の理由で悲鳴を上げ続けてたとか意味がわからない――――
「ただ、ですね。あの…………」
「うん。うん?」
と、特に顔色も悪くないソラさんが困ったように言葉を続ける。それに加えて、少女は膝から下りるどころか余計に背中をくっつけて来て……。
「私、元々そういうタイプなんですけど……」
「そういうタイプ?」
若干の逡巡を見せた後、ぽつりと白状した。
「――――今日、多分、夜、眠れません」
「あぁ…………そういうタイプね」
要は、見終わった後が本番という訳だ。シャワー中に背後の気配を錯覚したり、布団の中で足元に気配を錯覚したりしてしまうアレ。
成程なるほど……それはもう、こう言うしかあるまいて。かわ――――
「『かわいい』」
全員かわいいという自爆発言は、すんでのところで呑み込んだ。
呑み込んでんじゃねえよ、吐け。




