ほんの少しずつ
――――ゆらりゆらり、狭間で揺れる。
地もなく、海もなく、空もなく。無間の牢獄で幾星霜。
樹は未だ種を脱せず、萌芽の気配は微かにも無し。
この身よ、まだ在るか。
この身よ、まだ在るか。
この身よ――――まだ、戦いは在るか。
世界よ、未だ罰を下す意思は在るか。
地もなく、海もなく、空もなく。無間の守腕で幾星霜。
この身よ、そして我が子らよ。
もはや魂心に我は在らず。ゆえに我は我ならず。
どうか〝私〟を、救い出して。
どうか『私』を、掬い出さないで。
◇◆◇◆◇
「――――まず初めに言っておく。『師匠』『お師匠様』『お師様』あるいはソレらに類する呼称は禁止だ、冗談じゃないぞダメ絶対。まず俺が弟子の身分だし」
「は、はいっ……」
「次に、なんとなく『先生』もNGだ。ちょっと仮想世界だとそのワードで思い浮かぶイケメンフェイスがあるから今は特に微妙なメンタルになる」
「ならなんて呼べば……ぁっ、お二人の試合、凄かったで――――」
「最後に」
内心は興奮しきりで、けれどもお行儀よく『待て』を頑張っている子犬。
改めての邂逅から十分足らずでキャラクター性を確立してのけた相手へ、知らぬ間に話が進んでおり強いられた上から目線で三本目の指を立てる。
「いろいろあって自覚してるんだけど、俺はアルカディアの戦闘云々に限って人に物を教えるのが下手です――――ってことで、考え直さない?」
「ご教示、よろしくお願いしますっ!!!」
そう元気よく真っ向から俺の言葉を突っ撥ねて、深々と下げられるのは茶髪の頭。どこぞの【重戦車】に近しいライトブラウンのふわふわ子犬ヘアーは、こうして直角に腰を折られると尻尾まで実によく見える。
どっかで見覚えのある髪型だが、精神衛生上まったくの偶然と考えておいた方がいいだろう。頼むから偶然であってくれ。
いくらファンでも、そこまで強火だと相手の仕方がわからん。
「……まあ、いや、うん。上司から直々に指令を受けた以上は努力するけども…………せめて、こう、肩の力は抜いてこうぜ? 一度は戦り合った仲――」
「はいっ! 頑張りますッ!!!」
「元気がいいッ……‼」
と、どう足掻こうが少なくとも〝弱火〟ではないらしい彼――――先日の四柱選抜戦にて一回戦を共にしたカナタは、頬を紅潮させて絶好調なご様子である。
ソラに指輪を贈った翌日。例の『竜』に謁見した大冒険からは翌々日。
朝一で上司ことゴッサンに呼び出され東の円卓へと顔を出してみれば、待っていたのは普段通りの【総大将】と緊張顔のカナタだった。
で、肝心の要件については「コイツを鍛えてやれ」と端的な一言のみ。
後はお若い者で云々よろしく颯爽と去っていったオッサンに取り残された俺には、当然ながら他の択などあるはずもなく。流されるまま、選抜戦の時から推定ファンと察していた少年とのコミュニケーションに臨んだのだが……。
「あの、だな、カナタ君」
「呼び捨てで大丈夫ですよ‼」
「カナタ。とりあえず落ち着け、クールダウンしろ。わかったから、特訓は付き合うから。そんなんじゃ保たないぞ、いろんな意味で」
キミも、俺もな。
しかしながら、たまにはそういうのも悪くない。慕ってくれる後進に寄り添い、親身になって成長を手伝うってのもゲームの醍醐味であるゆえに。
「したらば……改めて、よろしくな。ハルでいいぞカナタ、仲良くやろう」
「っ……はい! よろしくお願いします、曲芸師さんっ!」
「うん、称号呼びも禁止な」
……いや、まあ。
アルカディア歴で言えば、後進でもなんでもない先輩のはずなんだけどさ。
◇◆◇◆◇
「――――ってな訳で、唐突に人の特訓を手伝うことになった」
「ほぇ~。遂にキミもお師匠様だ」
「違います。分不相応です」
円卓に続いて、朝っぱらから顔を出したのは専属細工師殿のアトリエール。
お仕事が忙しいらしく活動帯が夜間に限定されるカナタ君とは一旦別れ、対照的に引き籠りかつオールウェイズ仮想世界に生きている部屋の主と一対一。
まあそれに関しては夏季休暇中につき俺も……いや、そうでなくとも入り浸り具合で人のことは言えないか――――と、それはさておき。
「ニア」
「んー?」
「ソラ、喜んでた。手伝ってくれてありがとう」
足を運んだ目的、改めての礼を真摯に告げる。作る前、作業中、完成後、何度も口にしたことだが……何度伝えても足りるとは思えないゆえ、何度でも。
「んはーいはい、いいってことよってか何度目? 自分で指輪なんて激押しするくらいですよあたし。気にしてないって納得しなさいなキミは全く」
「確かに悪いと思ってるのはそうだけど、それ以上に感謝してるからだっつの。ありがとうなら別に何度でも言ったってよくないですかね」
「ダメでーす! 素直な感謝なんて余計にソラちゃんメッチャメチャ大事にされてる案件で羨ましくなっちゃうのでダメでーす!!!」
「バリバリ気にしてんじゃねえか」
おそらくは、全てが本心なのだろう。
気にしていないというのも、かといって羨んだり嫉妬していない訳ではないというのも……サプライズの決行前、是非もなしと背中を押してくれたのも。
人の心というのは、軽率に矛盾するものだから。
そう、例えば――――
「ニア」
「んー?」
「明日か明後日にでも、また美術館巡りでも行くか」
「んー…………――んぇっ」
メッチャメチャ大事にしたい人が一人ではない俺の心も、また然り。悪者で結構と覚悟を決めて暫く、これに関しては常識やモラルなど知ったことか。
俺は俺を赦してくれる三人に甘えて、それ以上の甘やかしを返しながら、気長に答えを探そうと常道なんて投げ捨てたのだから。
――――文句を言いたい奴あらば、半年の間に序列持ち入り&身に余る女性三人から本気の好意を叩き付けられるというファンタジー体験をした後で言ってくれ。
「デートですか」
「そう、デートのお誘いです。先々月のも、意外に楽しめたからな」
趣味とのことらしい美術館巡り。
ご家族がそっち方面ということでニア自身も博識かと思えば別にそんなことはなく。素人と同じ視点で、けれどもまるで遊園地にでも来たかの如く楽しむ彼女に引き摺り回されるのは中々に愉快な時間であった。
だからというか……まあ、諸々の結論として。
「いやほんと、逆だろと。最初の遊園地は二人して散々だったのにさ」
「それ言うの禁止ぃー。あの時はニアちゃんも一杯いっぱいだったんですー」
「今でも大概そうだろ」
「ふーんだ。お互い様でしょー」
「んで、答え聞いてないんだけど。嫌と申すなら……」
「え、なに。なんですか。言う訳ないけど、言ったらどうなるか気になる」
「アーシェ誘って遊園地にでも行ってくるかな」
「はい有罪ッッッ!!!!! 吹っ切れたにしてもアレだよ限度があるよちょっとそういう冗談よくないと思いまーすっ‼」
「別に冗談ではないというか、そっちにも埋め合わせはしないとだし……」
「わかるけども!!! 口に出すなっつってんのぉ!!!」
「お前、口にしなかったら余計に怒るじゃん」
「当たり前ですぅッ!」
「理不尽の権化……――さて、話が纏まったところで本題進めようぜ。残りも大物が三点、是非ご機嫌なアクセを頼むぞ【藍玉の妖精】殿」
「纏まってないよ散らかってるよ! あと二つ名呼び禁止ぃっ!!!」
ただ真っ直ぐ、渡される好意に恐れず触れる。こちらからも、怖れず渡す。
俺なら大丈夫と、未来で信頼を違える気など更々ないゆえに。
第五章、張り切って参りましょう。




