遥か遠く、彼方の先へ
驚きはしなかったし、慌てることもなかった。
そうなった後に気付いたのは、反応出来なかったのは――そうなるだろうなと予想を置いた上で、避ける気も逃げる気もないがゆえ警戒を手放していたからだ。
「「――…………」」
上と下から、視線が交わる。先と同じく静謐な滝のように流れ落ちる金色が頬や首筋を撫でて、とてもくすぐったい。
「……、…………」
俺を押し倒した相棒の吐息。薄っすらと含まれているのは、戸惑いが少し。
おそらくは、衝動と理性が半々だったのだろう。きっと俺が抵抗もなく捕まえられるとは思っておらず、ここからどうするのかと本人も困っているようだ。
ソラらしい。思わず小さな笑みを零せば、彼女は少しだけムッとして、
「……ズルい、です」
ただ一言。けれども、降り落つ言葉はそれだけで十二分。
――内緒なんてズルい。
――不意の贈り物なんてズルい。
――――そんな余裕そうな顔、ズルい、と。
「……仮想世界のアバターでも心拍は現実通りだって、知ってた?」
読み取れるから、俺もまた誰かを除いては伝わらないだろう曖昧な言葉を返す。
返しながら、下敷きになっている俺の胸に置かれた手……僭越ながら指輪を贈らせていただいた、小さな左手をつついて示した。
――――こっちだって、心穏やかな訳じゃないんだぞ、と。
アバターの奥底。実際に在るのか無いのか、目にすることは出来なくとも確かな鼓動を刻む仮想の心臓。
誤魔化せない、そのリズムを感じ取って、
「ズルい、です……!」
結局は同じ結論に至ったらしいパートナー様に、動けず動く気もない俺は先と同じく笑みを返すしかなく。怒ったような困ったような、形容し難くも唯一正確に理解できる感情で真っ赤な顔を見上げながら、
片手に残ったもう一つのリングを、俺を見下ろす少女の眼前に掲げる。
「夢の世界の〝データ〟で悪い。けど――――だから、言葉も付けとく」
そっと壊れ物に触るように、彼女がリングを摘まみ取ったことを確認して、
左手を差し出し、精一杯の格好付けを。
「〝『月』に誓う、いつまでも共に在ることを〟」
「――――……っ」
関係は変われども、これだけは手放さないと、改めて約束した特別。
恥ずかしながら、紛れもない運命の出会いであったと確信させていただいている唯一無二――――共に世界の果てを見ようと誓った、相棒に捧ぐ。
「ほん、とに……ズルい、です……っ」
俺たちがもう一つの現実と信じる、夢の世界で掲げた『夢』を。
――――しかして、その後。
俺の左手にもソラの手によってリングが収まり、無事にお揃い装備が復活した……までは、良かったとして。
「――――……………………共有スペースで、なに堂々とイチャついてんの?」
「ッッッッッ!!!!!!!!!!」
「いや、ちょっと、盛大に格好付けた罪の清算をだな……」
夜型のクランメンバーこと先輩にして後輩がログインしてくるまで。
即ち、夕飯時もぶっちぎって数時間に亘り。
過去最高レベルの激甘えモードになった相棒に拘束され続け……俺が過去最高に理性その他をすり減らしたことは、言うまでもないだろう。
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・【蒼天を夢見る地誓星】装飾品:指輪 ※ロック済 譲渡不可
眠れる竜の息吹、大地の祝福が籠められた対の円環。
大いなる力に意思はなく、意志はなく、遺志はなく、宿せし者の心魂こそ導。
越境者よ、遥か彼方を見据える者たちよ、その手を離すことなかれ。
・STR/AGI/DEX/VIT/MID/LUC 六種のステータス補正を任意で切り替え可能。
補正値+50 対を装備する限定対象者と共闘時、補正値が倍になる。
・物理属性および地属性、更に衝撃効果に対する強力な耐性付与。
・特殊強化効果『天地繋ぐ絆心の永遠』――――対を装備する限定対象者と共闘時に任意発動可能。互いのMID及びMPが統合共有される。持続88秒。
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◇◆◇◆◇
「――――ふぅむ……全く緊張してねえな。話に聞いてた通りの〝大物〟だ」
「ええ、と……恐縮です」
初対面ながら顔も声も、纏う雰囲気も関係の薄い知人よりは馴染み深い有名人。東陣営現序列二位【総大将】その人を前にして、些か無礼な態度だったか。
などと思ったが、こちらを興味深そうに観察する偉丈夫の顔に浮かんでいるのは幸いポジティブな感情ばかり。他と同じく、その性格も評判通りらしい。
ならば、やはり取るべき態度は『素直』一択で構わないだろう。
「緊張してますよ、流石に。顔に出していないだけです」
「それはそれで、別方向で大物だわな」
この御仁には、内心を全て曝け出すのが最も好感を抱かれるだろう――そう判断して言葉を返せば、返ってきたのはカッカと愉快そうな笑い声。
ひどく有名な、癖のある笑い方。初めて生で聞いたと、有言実行が如く顔には出さず少々の感動を呑み込みながら、
「それで、あの……」
吉報どころではない、特大の爆弾めいた通達を『四柱運営委員会』より賜った昨日の今日。畳み掛けるように突如として陣営トップから召喚要請を受けたプレイヤーことカナタは、これまた顔に出していないだけの混乱と困惑のままに問う。
「【総大将】様が直々に、どういった御用件でしょう」
「あぁ、お喋りよかそっちが先だよな、悪い悪い」
顔を合わせてから続く朗らかな様子や態度から、ネガティブな用件とは考えられない。けれども、如何にカナタが緊張感に慣れているとはいえ限度がある。
仮想世界はアルカディアの【総大将】と言えば、現実での地位も併せてそんじょそこらでは済まないレベルの真なる〝大物〟だ。
取り繕った澄まし顔が剥がれて、無様を晒さない内に、出来るだけ迅速かつ端的に呼ばれた理由を詳らかにしてほしい――と、
カナタの内心を、読み取った訳ではないだろうが。
「んじゃ、単刀直入に――――お前さんのこと軽く調べさせてもらったんだが、どうもチーム戦が得意なようには思えねえ。ビルドもそうだが、個人的な部分で複数人との『連携』が苦手……って感じなんじゃねえか?」
切り込んできた刃は、思いの外に鋭く豪速であった。
これは、いきなり予想を外したか。
一部例外を除き『連携』が要となる四柱を前にして、まさかのメンバー入りとなった自分に対してとなれば、後に続きそうな言葉は否応なく思い浮かぶ。
そしてそれは、少なくない可能性でカナタにとっては残念な……例えば、やはり不適格ということでメンバー参入を無かったことにみたいな
「だからまあ、適材適所ってことで――――お前さん、ランナーやれ」
「へっ? ……………………え、あの、はい?」
話に、なるかと思いきや。
齎された令は、少々理解が及ばぬもので。
「ランっ、え……あの、それは【曲芸師】さんの役割じゃっ」
「あぁ、だから一緒に走れ。いや一緒にってか、ランナーを二枚体制でやるってこったな。別に今までも珍しい戦法じゃねえだろう?」
ランナーとは、四柱戦争における戦局の要ことポイントゲッター。戦場となる迷宮内に乱立する他陣営の『柱』を破壊して回り、得点を突き動かす花形の役目。
けれど昨今、四柱戦争のランナーという役名はとある一個人を示す代名詞のようになっており――――その人と並んで走れなど、身に余る大役が過ぎる。
あまりに予想外な話の方向に、取り繕った澄まし顔など秒で消し飛んだ。
冗談じゃない、あの人がいれば自分など必要ない、と。
自分を落とすというより『彼』を天高く持ち上げる発言を、無自覚に反論として宣いかけたカナタは――――しかし、その直後。
「ってことで、似た者同士ハルのやつに鍛えてもらえ。話は通しといてやるからよ。見込み大いにありとはいえ、流石にそのまま本番へ放り出すには足りね――」
またも総大将の口から飛び出た、とんでも発言により真っ白になった頭で、
「――――――そんな無法が許されるんですかっ!!!!!」
冷静さなど彼方へ投げ捨て、空いた手で【総大将】に掴み掛かったカナタは、
「お、おう…………その、なんだ、頑張――」
「がんばりますッッッ!!!!!!!!!!」
「お、おう……」
自分の倍では済まない質量を誇る偉丈夫を、物理的にも精神的にも揺るがしながら――――遥かな憧憬へと、躊躇いなく一歩を踏み出した。
時を重ね、縁を重ね、主人公が名実ともに『新参者』を脱する第四章。
これにて了といたします。




