旅人
「んぇあ――――ッ……!?」
まるで、巨神が大地を真下から突き上げたが如し激烈な震動。
揺れる、どころの話ではない。スプリングで跳ね上げられたかのように身体が宙へ浮き、堪らず転倒しながら……流石に、驚きの声を呑み込めなかった。
転倒耐性を持つ《極致の奇術師》を易々と貫通した上で、ステータスバーに点灯するのは行動不能の一種らしき見慣れぬデバフアイコン。
恐慌――――マズい、ピクリとも身体が動かない。
何者からとも知れない、前触れなき干渉。ただ二つ察せられるのは、おそらく〝今の〟が【大財を隠せし土巨竜】によるものではないということ。
そして、
『――――――――――』
広間どころか地上をも盛大に揺るがしたと思しき〝今の〟で――――まあ、余程の鈍感土竜でもない限り、起きない訳がないよなということ。
「やっっっべ…………おい、こら……!」
未だアイコンが点滅すらしない、即ち消える気配のない強烈なデバフにアバターを絡め取られたまま。動け動け動けとひたすらに念じ続ける俺が目をやる先で、無数の金属が擦れ合うような奇怪な寝起きの一声と共に巨体が動く。
エネミーのアクティブ化を示す、HPバーの可視化。
その本数は――――太いのが二本、細いのが五本。つまりそれは、
「二十五段重ねぇッ……!?」
まさしくの、大人数で挑むべき埒外の怪物。かの【氷守の大精霊 エペル】ことハーフレイドボスとは一段も二段も〝格〟が違う、正真正銘のバケモノである証。
察しは付いちゃいたが、実際に現実を叩き付けられると中々の衝撃。同じくオーバーレイド攻略が前提の〝真なる特別〟には劣るといえど、単純な『強さ』では測れない領域に在るという意味では同類の理を逸した超越存在。
これと比べて、例えば元打倒不能こと【悉くを斃せし黒滲】の方が容易な相手と言う者はいないだろう。究極的な〝個の強さ〟を求めるアレ系と、究極的な〝群れの強さ〟を求めるコレ系とでは、そもそも難易度のジャンルが違う。
例えば、コレを討伐できるウルトラハイスペックなレイドがあったとして。そこへ俺&アーシェ仕様の『影』を放り込めば全滅する可能性は低くないだろう。
裏を返せば、例え『影』を打ち倒した俺と言えど――――
「ちょっ……と、これは、やっぱり」
単身でコレを相手にして、勝てる気は微塵もしないということだ。
しかして……とぐろを半ば解いた土巨竜が、長大な体躯を高々と掲げる。
ざわつくように蠢いた無数の触手が、獲物を探すレーダーのようにも見えた。
デバフアイコンが点滅を始める。
そして一つ、また一つと無数の眼が開かれていき、
僅かずつ身体の制御が戻り始め、
宣言通り、囮として突っ込む覚悟を改めて固める、一瞬前に。
距離的には似たようなものと言えど、覚醒を確認した時点で【隠鼠の外套】を除装し堂々と広間に姿を晒している俺ではなく。
こちらと同じく座り込んだまま身を固めている三人の方へ、異形の頭が向けられて――――見覚えのある、予備動作。
金属質の触手が、一斉に赤熱したその瞬間。
怯える藍色の瞳と、目が合ったように思えたその瞬間。
「《転身》」
裏返り、紅を纏い、動けぬ間も練り続けた『外』を開放して、駆けた。
◇◆◇◆◇
『――――――――――ッ!!!』
「わぅっ!?」
「うわっはぁ!?」
ソラとルクス、アバターはともかくメンタルは恐慌に支配されていなかった二人が上げた声音は、巨竜が散らした轟咆ではなくその原因となった一矢が理由。
文字通り、瞬きよりも早く。
稲妻の如き神速で宙を翔け【大財を隠せし土巨竜】の側頭部に着弾した小さな身体が、冗談のような轟音と共に熱線を放つ寸前だった巨大な頭を殴り飛ばす。
ほんの一瞬、呆気に取られるまま引き延ばされた時間の中。
惹き寄せられた視線が、反動で宙に浮く『相棒』の姿を追い掛けて――――
「っ……――――撤退、です! ルクスさん!」
こちらに目もくれず、親指を上向けた背中に笑みを零しながら、信頼を受け取ったソラは固まりそうだった状況を蹴飛ばして動く。
立場はともかく、彼女相手ならいつものこと。
「オッケーお任せぇ!」
「ぅぁ、ぇっ……」
指令に応えたルクスも即座に動き、どうしたことか異常に先んじて悲鳴を上げ膝を崩していたニアを軽々と抱き上げて……躊躇わず、駆け出した。
どうにも様子がおかしいが、か細い声を上げる彼女の様子を窺うのは後だ。今はまず、この場を離脱して安全を確保することが最優先。少々嫉妬をしてしまうほどに気を遣っていたパートナーの頼みを叶えようと、別にそれだけの話ではない。
自らに戦う力がないまま戦場に赴く怖さを、ソラはよく知っているから。
「先行します! 露払いは任せてくださいっ!」
「ハイハイよっろしくー!」
置き土産とばかり『天秤』を傾けつつ、同じく信頼を残して振り返らず駆ける。
今や相棒に並んで剣を持てる自分も、守る側であると自負しているから。
◇◆◇◆◇
――――流石というかなんというか、惚れ惚れするくらいの以心伝心っぷり。
思わず羨んでしまうほどの信頼で繋がれた二人は、もはやこの程度のハプニングでは互いに心配を向けたりはしないのだろう。
前を往く少女の歩みに躊躇いはなく、道を阻む土竜に振るう剣に迷いはない。
ボスの活性化に伴う変化だろうか、行きにも増してエンカウント率が上がった巨体を怒涛の勢いで打ち払いながら突き進んでいく。
……いやはや、本当に。どうしてこれが序列外なのか。
初対面の日から感じ取っていた少女の異質さは、仲を深め理解を進める毎に着々と増していくばかり。興味が尽きず、好奇心も際限なく。
なにかある……とは察せられるのに、その〝なにか〟がサッパリ視えない。
実に異質で、歪で、不可思議で、奇怪で――――ルクス好みの、未知の塊だ。
「――――っ……あの、ごめ……ルーちゃん、多分あたしが、なんか」
と、腕の中。なにごとか身を震わせながらも大人しく運ばれていた友人が、意気を取り戻したのか途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
まあ、イレギュラーが起こる直前のアレを思い返せば『なにかがあった』のは察せられるし、自然その口から出てくる文言も予知できるというものだが……。
「はいはいニャーちゃん気にしなーい! 未知の冒険に予想外と事故は付き物、つまり真理はただ一つ『こういうのは誰も悪くない』ってねー!」
両手が空いていれば頭をワシャワシャしていたところだが、今は大事なお姫様の抱っこに忙しいので残念ながらお預けだ。
ノリと勢いと元気に任せたノープロブレムを捲し立てられ、未だ引き摺っているのだろう混乱と併せて目を白黒させるニアに笑みを一つ。
「ま、心配いらんさニャーちゃん」
そして、駆ける【旅人】の頭上に輝くは、王冠が一つ。
数限りなく手にしてきた〝宝物〟と比べれば輝きに乏しく……言ってしまえば少々みすぼらしい、くすんだ色合いの冠。
けれども、
仮想世界における初めての冒険で、初めて手にした指輪を模したそれは、
「無事お家に帰るまでが、ボクの認める冒険だからね」
彼女の瞳に黄金を宿し、進むべき道を示す導となる。
特殊称号『旅人』の強化効果《宝物へと至る者》――――抱く権能は、ルクスが宝と認識する物およびモノに必ず至るルートの可視化。
それは例えば、
「あはっ! オッケーオッケー流石だねハー君!」
皆で仲良く生還する、トゥルーエンドの冒険譚なんてものも含まれる。
「ソラちゃん! ちょっと御相談!」
「へっ……!? あ、えと、ちょ――――っと、お待ち、をっ‼」
次から次へ土竜を蹴散らしていく背中へ声を投げかければ、無数の砂剣を侍らす少女は戸惑いつつも焦る様子はなく。
刃で編んだ巨大車輪という恐ろしい暴威により、行く先より迫った三体の【財殻の大土竜】を轢き潰して――――
「っ、どうぞ!」
何事もなかったかのように聞く耳を傾けた少女に、頼もしさと呆れが半々の苦笑いを噛み殺しつつ……行きとは比べ物にならない速攻強行で駆けて駆けて数分余り、早くも姿を現した洞穴入口の亀裂から飛び出すと同時。
「よっし脱出! んじゃボク、ハー君の助っ人に行ってきます!」
「相談とは!?」
勢い余って決定事項のように告げてしまえば、帰ってくるのは当然のリアクション。いかんいかんと心の内で反省しつつも、のんびり説明している暇はない。
刻一刻と、ただ一つ視界に映る〝道〟が細くなり始めている――ので、ルクスは曖昧に笑いながら指先で頭上の冠をコツンと弾いた。
二度に亘り冒険を共にした少女は、その権能を知っている。
で、あるならば。ルクスがソレを根拠として何事かを断言するのであれば、
「――――行ってください! ハルのことはお任せします!」
「あっはは! ほんとソラちゃん大好き!」
あどけない少女らしからぬ、迅速かつ思い切りのよい判断。疑いもなく即座に頷いてみせた相方に友人をパスしながら、ルクスが懐から取り出すのは一冊の手帳。
第五階梯【宝栞の旅手帖】。秘めた能力は、記された他者の魂依器の複製。
「『旅の記憶、魂依の縁、遷し映して世界に写す』――【臆病者の導人形】」
鍵言の承認。光り輝いた手帳が粒子となって解け、再構成された姿は手のひらサイズの継ぎ接ぎ人形。姿と性質を丸ごと変えた『魂依器』は主の意に従い、その手からピョンと跳ねると少女の肩に着地した。
「へっ? あの、これ、なんっ」
「その子が敵のいない道を案内してくれるから、それで安全に外まで行けるはずだよ! んじゃそういうことで行ってきまーす!」
「え、ちょ……ルクスさん!?」
ほぼ独断で動くにしても、リーダー様の意向はパーティメンバーとして守らなければなるまい――――しかして、ニアの安全はこれにて万全。
『帰り道』に限って絶対に安全な道を示してくれる魂依器の案内に加えて、無敵無法のボディーガードがいるのだから万に一つの不足もないだろう。
といったところで、向かうべきはこっち。
「どこに行くんです!? ハルを助けに行くって――――」
「だいじょーっぶ!!!」
今しがた出てきた亀裂には戻らず、全くの別方向へ駆け出した背中へ向けられるのはこれまた当然の戸惑いの声。
けれども、これで問題ない。
頭上の王冠を掴み取り、手の中で指輪へと縮まったリングを右手の人差し指へ嵌めながら……ルクスは迷うことなく、輝く黄金の道を辿り始めた。
可視化できる道は存在する未来に限り、その身で成し得ない道は目に映らない。




