銀幕の熾揮者
「――――ぅ、お……っ!」
視覚的な効果は、極々些細なもの。
けれども一瞬、確かに身体の表面を菫色のエフェクトが奔り抜けたと同時……その内側に生じた変化は、思わず声を上げて然るべき多大なものだった。
急激なステータス数値の変調には、様々な理由から他人よりも遥かに慣れているという自負がある。それはつまり裏を返せば、そんな俺でもなお驚きを隠せなかった〝振り幅〟の度合いが正しく『ぶっ飛んでいる』ことを意味していた。
「…………まあ、流石に【剣聖】の弟子か。〝行進曲〟は大して効かねえな」
「いや、あの、効いてますッ……‼」
瞬間的に膨れ上がった『ステータス』の具合は……体感、倍では済まないレベルの高みまでカッ飛んでいるだろう。俺の反応を見た【銀幕】殿が心做しかつまらなそうに可笑しなことを言っているが、正直なところ動くのが怖い。
勿論、単純にステータスが爆上がりしているだけならば、相棒の《天秤の詠歌》のみならず自分でもアレコレ上積み手段を抱えているゆえ慣れから対応は叶う。
けれども、
「確……かに、コレは、初見対処は無理ゲーだな……!」
併せて他の変調がアバターから〝力〟を奪っているとなれば、話は別だ。
【熾揮者の舌鋒】――――稀少な身体一体型の中でも唯一である超稀少カテゴリ……世間では『魔舌』と仮称されている奇怪な第四階梯魂依器。
秘める権能は、ルールの制定。
効果範囲は、術者である【銀幕】の存在を認識している全ての者。
効果対象は、敵味方を問わず無差別かつ強制的に。
――――つまり、ゆらゆら氏が身を置く戦場全体に作用する戦略級マップ兵器。
とりもなおさず、彼あるいは彼女が『四柱戦争』への不参加を貫いている……もとい、自重している理由であろう極めて奇異にして無法の力だ。
ルール付けが作用するのは、プレイヤーがシステムより授かった〝力〟こと『ステータス』『スキル』『魔法』の三種。『魔法』も大別すればスキルの一種ではあるが、なんとなく別枠というニュアンスは理解できるのでツッコミは無粋だろう。
【熾揮者の舌鋒】の権能は、これら三つの内から二つを封印して残る一つを強化するというもの。言葉にして表すだけならばシンプルだが、その変化が齎す影響は『戦場全体』という効果範囲を含めて破滅的と言って差し支えない。
例えば、今まさに有効化されている《無垢なる愚者の行進曲》――『ステータス』の数値を倍以上まで強化する代わりに、他二つの『スキル』と『魔法』を封じる無法その一ならばどうなるか。
答えは単純。
手札が軒並み死滅する魔法士は元より、ゲーム的に戦闘行為の根幹へ根付いている奇跡の力を奪われてしまえば、大多数のプレイヤーが事実上の戦闘不能になる。
更には【剣聖】を代表とする『ステータス一本でバケモノめいた戦闘挙動を実現する僅か一握りのプレイヤー』にも、超強化という形で身体の変調が襲い掛かる訳だ。咄嗟の対応がどれほど至難を極めるかは、推して知るべし。
そしてそれは、斯く言う俺とて同じこと。
じゃじゃ馬はじゃじゃ馬なりに制御の内へ組み込んでいる《煌兎ノ王》も、人外の超速挙動を御する要となっている《剛魔双纏》も、そして地味に優秀なパッシブ効果で影の柱となってくれている《極致の奇術師》も――――
それら全てを封印された上でステータス数値だけが強制的に爆上がりしたとあれば、そんなものどう足掻いてもアドリブで従えられる訳がない。
……で、
「ちょ、ちょっと待って先輩。想像以上にキツイってかヤバいってか、待っ、タイムタイム動けねえ怖い怖い怖いっ……!」
「そうか、慣れろ――――じゃ、切り替えるぞ。次はスキルだ」
「待ってくれと言ってるんだが!?」
これがあと二パターン存在するんだ。対処難度は、更にドドンである。
然して、数秒後。
全ての権能が超強化され暴走爆走大激走した《煌兎ノ王》によって、俺がアバターの制御を完全に失ったことは言うまでもない。
ステータスを封印されていたゆえ音速でカッ飛んでいく、なんてことにはならなかったが……それはそれで悲劇というかなんというか。
床の上で延々ジタバタと藻掻き苦しむ俺の姿は、文字通り『人様にはお見せ出来ない無様』であったことは間違いないだろう。
ソラさんを連れて来なくて、大正解であった。
◇◆◇◆◇
「――――無法が過ぎる……」
「あぁ、つまんねえ力だろ」
斯くして、三十分後。
三種の〝ルール〟を代わる代わる体験させてもらいながら、必死こいて『記憶』に励んだ末の死に体。訓練室の床へ転がりながら感想を呟けば、言葉通り死ぬほどつまらなそうに吐き捨てた【銀幕】殿は適当に嗤った。
俺に向けられたものでないことくらいは、わかりやす過ぎるほどにわかる。
けれども、ゆらゆら氏の場合それは望まぬ力に対する失望その他のアレではなく、単に興味のないことを他人事のように「つまらない」と断じるソレに見えた。
戦いに興味がないという前情報は、紛れもない事実だった模様。
闘争の東陣営なのに……とは言わない。そんなことを言い出したら同じ序列持ちのテトラだって似たようなもんだし、我が師こと【剣聖】様だって戦うこと自体には無関心――――なにより、俺のパートナーとかな。
今でこそ活き活きと戦場を駆けるソラさんだが、彼女は『戦いたい』のではなく『思い切り身体を動かすのを楽しんでいる』だけだ。
その結果として出会った頃から戦闘に意欲的なだけであるのに加え、その出会ってしまった俺に引っ張られて戦場へ戦場へと流されているだけだろう。
イスティアを選ぶことで与えられる〝闘争の加護〟……実のところ、それが内包する恩恵でメインとされているのは『戦闘系スキルの効果上方補正』ではない。
重要視されているのは、果てない成長を助ける『早熟』の方だ。
従来のゲーム、とりわけ強さを追い求める類のゲームでは、これ系のスキルはガチ勢に限って敬遠されるか不要と断じられる定めにある。
何故ならば、将来的に意味を成さない置物と化すから。
多く……というより、ほとんどのゲームにはキャラクターの成長限界というものがある。レベルやステータスなど、数値で表され神様によって「これ以上は成長できませんよ」と断言されてしまうラインがある。
つまりは、そういうこと。遠くない未来で不要になってしまうものなら……それが例えば選び直せないものなら余計に、プレイヤーは好んで手を伸ばさない。
しかし、この世界なら?
おそらく個人の成長に限界がなく、歩みを止めなければ無限に青天井を突き進める夢の世界であるならば……――その恩恵は、未来永劫〝不要〟にはならない。
俺も半年近くの間アルカディアに浸かって、遅ればせ気付けたことではあるが。
イスティアの誇る『果てない早熟』という矛盾した加護は、ある意味で四陣営の中でもぶっちぎりの壊れ性能であると言えよう。
ゆらゆら氏やテトラのように単身で延々マイペースに仮想世界を旅したいプレイヤーにとっては、人権レベルの恩恵とすら言えるかもしれない。
成長速度増加ってのは、異世界モノなんかじゃ得てしてチートスキルだからな。
「あ? なんだよ」
「いや、なーんでも」
ので、むしろ彼らはイスティアらしい。戦いに関心が薄い非戦闘狂のイスティア人も、実のところ少なくはないということだ。
「んじゃ、私はもう行くぞ。精々アレコレ対応策を考えとけ――……っても、見た感じ今すぐにでもなんとかしてきそうだったが」
「それは買い被り過ぎっすよ」
「っは、東の連中はどいつもこいつもバケモンばっかだ」
アンタがそれを言うか――――……と口にするのは、もう生意気を言いませんと三十分前に宣ったので我慢。この手のタイプに構い過ぎは嫌われる素だ。
本人も例外なくルールに呑み込まれる【熾揮者の舌鋒】の舞台で、術者とはいえあれほど完璧に立ち回れる技量は正しく〝バケモノ〟並みだったが。
「じゃあな」
「ほい。また」
次へ続く挨拶も、ヒラヒラ振った手も相変わらず迫真のスルー……――かと思えば、システムウィンドウを操作して転移を起動した際のこと。
持ち上げていた手を不自然に揺らして、不器用に応え、無言で去っていった【銀幕】殿を見送り……能力ではなく、本人に対する結論を一言。
「うーん、ツンデレ」
重ね重ね、仲良く出来たら楽しそうな御仁であった。
ヒトの演じる〝役〟を定め、舞台を支配する銀幕の指揮者。
勿論あるよ、超巨大なデメリットがね。