藍は海の如く
剣聖理論による縮地術。
それは事実として不可思議な〝力〟が存在する仮想世界において、天井知らずな技術的難易度を除けば理に適った『美しい術法』と言えるだろう。
内なる力と外なる力、本来ならば交わらない二つの理。その境界を縮め取り払った先に在る結式一刀流は、かの【剣ノ女王】が『仮想世界におけるプレイヤーの技術的極致』と認めた究極の正道であり王道である。
――――対して、俺の四凮一刀流。
突き詰めて『外』に寄った術法は邪とまでは言わないまでも、正道から大きく外れた歪な技には違いない。その代償が、満足に動かない死した肉体。
意識せず『内』の出力を見失ってしまい、苦労した過去が懐かしい。
あれとはまた違うが、四凮一刀の無茶苦茶な『外』の運用負荷によって一時的に双方の出力ラインが拗れてしまっているというのが現状だ。
ゆえに、アバターが死んでいる。どちらを繋いでも反応が乏しい身体を引き摺るようにして、俺は先刻に受け取ったメッセージの送り主を訪ねて――――
「いや、呼んだのそっちだろ。なんだその顔は」
ノックの後に扉を開け、顔を合わせた途端。
お手本のようなキョトン顔で動きを止めた専属細工師殿に笑いかければ、なにをそんな動揺しているのか彼女は小さく深呼吸を一つ。
「…………や、呼んでないし『調子はどうですかー』ってお伺いしただけだし……そもそも、来れると思ってませんでしたし! え、選抜戦は?」
本来なら、選抜戦の内容は東陣営以外の者に口外禁止だ。
個々人の良識に任せた暗黙のルール程度の決まりとはいえ、だからこそ自分の良識を信じる限り守らなければならないのだが……西陣営の職人なら話は別。
四陣営の中で唯一『不戦』を誓い、中立の立場に在るヴェストール所属。その中でも親しい間柄かつ口が堅い人物であれば、口を滑らせるのは黙認されている。
ゆえに、
「負けた。だから、俺の仕事は一旦お仕舞いだ」
簡潔な答えを返せば、ニアは「えっ」と声を漏らして再び固まった。
純粋な驚き。俺の『負け』に対して真っ先にその感情を浮かべられたのが、こそばゆいやら照れ臭いやら――……っと、まだ立ちっぱなしは少々キツい。
「ソファ借りていいか? ちょっと無理してフラフラで――――っうぉおう、あの、アレだぞ、別にそこまで重症って訳じゃないからな。ありがたいけども」
しんどいアピールをした瞬間、一般人基準の敏捷ステータスが許す限りの速度でカッ飛んできたニアが身体を支えてくれた。
勢いが過ぎて支えるってか『確保ー!!!』みたいな絵面だったが……表情から存分に気持ちは伝わっているので、文句などありはしない。
ない、けども。
「だから、大丈夫だっての。そんな重症患者をベッドに寝かせるみたいな慎重ムーブは取らなくてよろし――……いや、わかった。お前これ抱き着きたいだけだろ」
「あ、バレました?」
「しおらしく心配そうな顔しよってからに。女優か貴様」
十中八九、親友こと三枝さんの入れ知恵だろう。最近のニアはアレコレ妙な知恵や技を身に付け始めており、恐々と過ごす毎日である――――
「…………【無双】君が相手、かな?」
と、ドベシャとクッションに埋もれた俺の隣。
ソファの肘掛けに腰掛けたニアが、また表情を変えて遠慮がちに呟いた。おそらく、今度こそ、それは演技ではなく……。
「推理の根拠は?」
「選抜戦に参加する東の序列持ちで、今の君と真正面から一対一で勝てそうな人ってなると……まあ、彼くらいなのかなーって」
見えないなりに、男心へ寄り添おうとする健気な乙女心。
素直に俺を慮ろうとする優しげな顔へ、俺もまた素直に笑みを返す。
「それは東陣営の先輩方を甘く見過ぎだな。直接戦闘タイプじゃないテトラはともかくとして、雛さんもゲンさんもマジつえーんだぞ」
「じゃ、勝てないの?」
「勝てるけども。それぞれ八割と四割ってとこかな、勝率」
「キミと『向かい合ってよーいドン』で二割勝てる雛ちゃんにドン引きすればいいのか、六割勝てる【双拳】さんに感心すればいいのか、わかんない」
「ちなみに、ゴッサンには特定条件下に限り十割負けるぞ」
一対一なら、五分ってところだけどな。蛇足とばかり「お師匠様には基本百割」と冗談一割本音九割を宣えば、ニアはクスリと笑みを零して……。
「あの、さ」
「うん?」
察するに、ニアも特に用事があった訳ではなく。
用事があると言って此処へ来た俺も、別段なにかをしに足を運んだ訳ではない。
もう少しで、お昼時。ログアウトして、昼食を済ませて、約束通り先輩どもと午後からの試合を観戦しに行く……それまでの暇を繋ぐ、ただそれだけの時間。
そう、思っていた。
「……あたし、キミのそういう顔に、めっちゃ弱いの。知ってた?」
困ったような、それでもただひたすらに、優しい眼差しと声音。
それと併せて渡された意味のわからない言葉に首を傾げて……傾げて、傾げながら、自分が一体どういう顔をしているのか、薄っすらと考えて。
「……、…………――――」
なにかを言おうとして、なぜだか声が出なかった、その時に。
ようやく、俺は――――全く大丈夫じゃなかったことを、認められた。
「……男の子同士のそういうの。あたしには、よくわかんないけど」
ぐいっと頭を引っ張られ、いつだかボディプレスを決められた彼女のお腹に拘束される最中も……身体の不調とは無関係に、抵抗らしい抵抗が出来ず。
「キミのことだけは、なんとなく、わかるようになってきたからさ」
優しく髪を梳く柔らかな手から、逃れようという気すら起きず。
「だから……――――そんな必死に強がってる子犬みたいな顔してないで、曝け出しちゃっていいんだぞ。お姉さんは見て見ぬフリしてあげるから、ね」
「…………………………誰が、お姉さんだ」
なけなしの負け惜しみを零しながら、力を抜いて藍に沈む。
……あぁ、そうさ、認めよう。
俺は無意識の内に、自ら求めて此処へ来たのだと。
誰より俺に「格好良いところを見せて」と言うくせに、誰より俺の格好悪いところを暴きたがる、世話焼きで甘やかしな彼女の元へ。
自ら望んで、来てしまったのだと。
「…………一応、言っとくが」
「うんうん」
「……泣いたりするアレでは、ないので」
「えー、別に泣いてくれてもいいんだけどなぁ」
「調子乗んな」
「あっはは。今のキミは凄んでも可愛いだけでーす」
「こんにゃろう……」
俺は気付かぬ内、柄にもなく。
悔しくて悔しくて、心の底から、落ち込んでしまっていたらしい。
溺れちゃえよ。