大丈夫
『夜帰り―』
「朝帰りみたいに言うんじゃありません」
夕飯をいただいて、ソラと遊んで……宿舎に帰り着くのは自然、基本的に夜十時過ぎになる。お呼ばれについては既にバレているというか話してあるので、同居者たちは土日の夜に俺が何処へ行っているのかを把握しているのだが――
「ったく……大人しく寝てなさいと言ってるだろうに」
『そこはほら、乙女の意地ですよ』
「死ぬほど眠そうなドヤ顔どうも」
こっちも謎の定例化というか、俺が帰って来る頃合いにエントランスでスタンバっているようになったニアちゃんの〝お迎え〟に苦笑いを一つ。
『好きでやってるだけなんだから、キミは気にしなくていいんですー』
「気にするなと言われても、待たれてると思うと謎のプレッシャーがですね……」
ソファから「よっこいしょー」と声が聞こえてきそうな緩慢な動作で立ち上がり、当然の権利の如く真横にピターっと引っ付いてくるニアを伴い廊下を進む。
別に、このあと俺の部屋へ突入してくる訳でもなければ、彼女の部屋へ引きずり込もうとしてくる訳でもない。
ニアはただ、帰ってきた俺を見て嬉しそうに笑い、揶揄い混じりに「おかえり」と言って……――部屋へ続くほんの数十秒程度の道程を、大事そうに歩いた後。
『じゃ、おやすみー』
「あぁ、はい。おやすみ」
眠たげでフニャフニャな笑顔を残して、去っていく。
先月から定例化した、おかえりなさいの儀式。
「………………はぁ」
パタリと閉められた隣部屋の扉を見送った後、俺も溜息一つを廊下に残して部屋へと引っ込む――――そして、次の瞬間。
ゴッと側頭部で玄関の壁を叩いたのは、特に理由もなく唐突に気が触れたからという訳ではない。どこぞの『乙女』とやらの健気さその他に脳をやられたという、明確な理由を以って正しく気が触れたからである。
いい加減、全部わかってしまうから堪らないんだよ。
あいつは基本的に寂しがり屋だとか、恋愛的な意味だけでなく隣人的な意味も含めて二重に俺を頼りにしてくれているだとか、だからこそ『今日は帰って来るのか』的な些細な不安を感じたりしてるんだろうとか、本人も言っていた通りそれでプレッシャーを与えないよう揶揄ったり冗談を言ってみせてるんだろうとか……それで結局、自分でも「重いよなぁ」とか考えてヘコんでるのだろうな、とか。
――――そんなの、さぁ。俺が思うことなんて、一つしかない訳で……。
「ほんと可愛いなアイツ……」
正直な話…………本当に、素直な胸の内を吐露すると、
最近は不意に、手を伸ばしそうになる。
どこまでも健気というか、器用なようで不器用な想いに応えてやりたくなって、頭を撫でてやりたくもなるし……ぶっちゃけ、抱き締めたりなんかもしたくなる。
一緒に過ごせば過ごすほど、可愛いんだよアイツ。
本当に、どうしようもないくらいさ。
順調に、落とされつつあるという自覚がある。ただし問題なのは――――
「沼だぁ…………」
素直にそういった感情を認め始めている相手が、一人ではないという点。
我ながらゾンビのような声を漏らしつつ、のそのそと歩き辿り着いたベッドに身体を投げ出す。クッション良好な寝台に沈んだ身体よりもいっそ、比較にならないほどの底なし沼へ心が沈没していくような感覚だ。
ソラをどこまでも甘やかしてしまいたくなるように、
ニアへ不意に手を伸ばしてしまいたくなるように、
アーシェに押し切られてしまいたくなるように、
一人で〝恋〟を怖がっていた拗らせ男は、揃いも揃って全力の女性陣に押されるまま加速度的に想いを募らせているという訳である。
本当に――……心の底から「こっから俺はどうしたらいいんだよ」って感じだ。
世間は『モテモテ』だの『ハーレム』だの好き勝手に盛り上がっているらしいが、こちらとしては人の気も知らないでと苦笑いを大爆発させる他ない。
俺は、ここから、選ばなければならんのだぞ、と。
それ以外にも考えなければならないこと、やらなければならないことは山程あるというのに、いつまで経っても重大タスクが減りゃしない――――……けれど。
「――――っぶね……」
自然と落ちそうになっていた意識を摘まみ上げ、ポケットから転がり落ちていたスマホの目覚ましをセットして枕元に放り投げる。
着替えは割愛、シャワーその他は明日の朝ということで……布団を被り直せば、十数秒前に顔を突き合わせた睡魔との再エンカウントは滞りなく。
――――二ヶ月前、三ヶ月前と比べれば随分と穏やかに眠れるようになった。考えるべきことはちっとも減っていないというのに、心労は確かに減っている。
それは、相棒が俺を『隣で見ている』と約束してくれたから。
アーシェが『答えを出すのは急がなくていい』と慮ってくれるから。
ニアが『むしろそんな特急で答えを出されても困るので是非ゆっくりお願いします。いや冗談ではなく』なんて冗談交じりに言ってくれているから。
……それら猶予の赦しも、理由の一端ではあるが。
なによりも、彼女らを含めた知人友人の多くが、過分なほどに俺を気遣い肯定してくれるものだから……臆病者だった俺も、少しは自信が持てたのだろう。
彼ら、彼女らが何度も何度も言ってくれたように。
「…………――――」
俺は、きっと、俺のまま在れば〝大丈夫〟だと。
おやすみ。
猶予も何も全員出会って半年足らずなんだよな……。