時、遷りて
――――仮想世界アルカディア。
人類史上初にして唯一の完全なバーチャルリアリティ技術によって、現代に実現した夢と幻想と憧れの具現。世界が認めた、もう一つの世界。
軽い気持ちで切符を欲したのは三年……と、半年以上も前のこと。
社会人として働き始め、貯蓄を始められたのは二年前のこと。
本気で『早く仮想世界へ行きたい』と熱が爆発したのが、二ヶ月前のこと。
そして、遂に足を踏み入れたのが、先月のこと。
選んだ所属陣営は、もちろんイスティア。ミーハーなんて百も承知だが、とあるプレイヤーの大ファンとしては他の陣営に目移りなどするはずもなく。
揃ってアルカディア貯金を始めていた恋人と共に、闘争の東陣営として歩き出した仮想世界ライフは……――まあ、なんというか、散々な目には遭ったけれども。
NPCや先達プレイヤーの助けも借りて、どうにかこうにかチュートリアルこと【試しの隔界球域】を突破したのが四日前。何度「チュートリアル……???」と思わせられたのかもわからない〝冒険〟は、ただ最高の一言で。
更には、まさにこれからというタイミングでかち合った『祭り』の日。
滾るモチベーションにくべられる薪は尽きることなく、新参者は意気揚々と慣れたつもりになっていたイスティアの街へと繰り出して――――
「 誰 か 助 け て ぇ エ ッ ッ ッ ! ! ! ! ! 」
かの〝圧迫歓迎会〟もかくやといったプレイヤーの大津波に呑まれるまま、ただひたすらに何処かへ流されていく恐怖から迫真の命乞いを叫んでいた。
なお悲鳴なりなんなりはそこかしこから響いており、似たような境遇の哀れな者は自分一人ではない模様。あの東陣営とはいえ、基本的に先達プレイヤーたちは紳士かつ良識人だったはずなのだが……果たして、祭りが彼らを狂わせているのか。
勢い込んで蹴倒されるような濁流ではないが、むしろ整然とした激流ゆえに流れを乱して逆らうことが出来ないのが大問題だ。
これではとても、波に呑まれて秒ではぐれてしまった相方との合流など望めない――と、もうこのまま身を任せる他ないと現状の打開を諦めた時だった。
ふっと、前触れなく身体が浮き上がったのは。
否、浮き上がったのではなく――――
「――――舌噛むから、お静かに」
〝誰か〟に、引っ張り上げられたのは。
状況がわからず、意味もわからず、真っ白になった頭が辛うじて認識しているのは、腹に回された自分を抱える腕一本。そして眼下に遠ざかった人の津波。
そして、理解の追い付かぬ空中散歩は、ほんの数秒で終わりを告げる。
「――――わぁ、すっご……! いやもう、ほんっ……あのあの、あのっ! ありがとうございます! ありがとうございましたっ!」
「あーあー、落ち着いて落ち着いて。どうぞお気になさらず……」
ストンとなんの衝撃もなく着地したのは、屋根の上。呆然自失と立ち尽くした自分を置いて、既にそこにいた恋人と〝誰か〟が言葉を交わしている。
鼠色の外套を纏った、おそらくは青年――そんな〝彼〟がこちらを向いて、
「ははは……やー、災難でしたね。流石に女性が揉みくちゃにされるのは可哀想かと思って、まずそっちの彼女を助けたんですけども」
指し示すのは、興奮しきりで顔を紅潮させている相方。
「そしたらなんか相方とはぐれたってなもんで、釣り上げさせてもらいました。割かしガッといきましたけど、大丈夫です?」
目深に被ったフードの下。薄っすらと見える口元に浮かんでいるのは、ただただ人が良さそうな親切者の笑み一つ。
「あぁ…………あぇ……? は、はい。身体はなんとも…………」
「そりゃ良かった。そしたらまあ、彼女さんに比較的安全なルートは教えておいたので……――――祭りは逃げないから、ゆっくり安全にお越しください」
では失礼……と、青年はサッパリとした別れの挨拶を言い残して――――もう、すっかり耳に染み付くほど聞き倒した、その声を残して。
「…………………………ねえ、あの、さぁ……」
「うん……! うんっ……‼」
「俺ら、明日にでも死ぬかもしれんね……」
「かもね……ッ!!!!!」
鼠色の外套の裾から僅かに白蒼を覗かせた青年は、悠々と空を翔け……かと思えば、あっという間に。
遥か彼方へ、消えてしまった。
◇◆◇◆◇
「あ、来たよ有名人が」
「全く……」
「ハル君……」
「坊主……おめえなぁ」
「――――……え、なになになに俺なんか悪いことした???」
お役目を果たして帰還するなり、向けられたのは労いの言葉ではなく含みのある視線×四。面白がっているちみっこは置いとくとして、年上×三の困り顔と呆れ顔は推定やらかし案件を示唆しているので無視できない。
「悪いこと、というか……」
と、言い辛そうにしているのは序列七位。
「そういうところは、いつまで経っても治る気がしないな」
と、苦言を投げ付けてくるのは序列三位。そして――――
「なんもかんもねえっての。細かなトラブルをフォローさせる目的で出動させたってのに……逆に騒ぎを起こしてんじゃねえよ曲芸師」
溜息を一つ。どっかりと円卓の椅子に腰を下ろしたまま、天井を仰ぐ序列二位。
ふむ…………ふむ……――――正座かな、これ。正座だな。
「……よ、よろしければ、詳しい罪状を教えていただけますと…………」
神妙に床へ座し、言うが早いか目前に飛んでくるのは一枚のシステムウィンドウ。囲炉裏が投げたソレにさらっと目を通せば――そこには、本日各所での【曲芸師】目撃情報と〝助けられた者〟の声で大盛り上がりの掲示板の様子が。
「…………………………そんな馬鹿な……何故バレた?」
「ねぇ、お兄さんって実は根本的にアホだよね」
「実はもなにも、初めから基本アホだっただろう」
「ハル君……」
「それにしたって、最近のんびりし過ぎで気ぃ抜けてんじゃねえのかぁ?」
散々な言われようだが、待ってほしい。
「いやあの、隠密……! ハイドクローク着てたし、空飛んでるところは基本的に見られないように気を付け――」
「お兄さん看破系のスキル持ってないからわかんないだろうけど、そんなに万能じゃないからね隠密外套。認識阻害で目が向きにくいってだけで、見える人にはバッチリ見えてんだってば。テト君とかモモちゃんのは別次元のアレなんだよ?」
「なん……だと…………いや、待て、待ってくれ。だけど俺、これ着て街を出歩いてる時に声掛けられたことも騒ぎになったこともな――」
「紳士淑女のアルカディアン諸氏が、隠密外套を着て『お忍びです』って明言してるプレイヤーをワーワー騒ぎ立てる訳ないでしょうが」
「民度良好ッ……!!!!!」
そんなアホを晒していたというのであれば、もっと早く教えてほしかった――などと責任転嫁して更なる醜態を晒す訳にも行かず、暢気に隠形を遂行できていると思い込んでいた自分を呪う。
いや、そりゃまあ……いくら顔を隠してたって、空飛んだら一発だよなぁ……。
「まあ……そういうところも可愛げではあるのだけれど」
「多少は抜けてる方が、世にゃ好かれるわな」
フォローなのか何なのか、ゴッサンと雛世さんの言葉が刺さること刺さること。
「もういい、アホは放って……おく訳にもいかないから、そのまま聞いてろ」
「はい……」
情け容赦なき囲炉裏の言葉にも、ミィナの事実列挙によって打ちのめされた俺には軽口を返す資格さえありゃしない。
「〝参加者〟のエントリーは締め切ったが、予想通り前回から爆発的に人数が増えている。今回は過去最高の長丁場になるぞ」
「ま、わかってたよねー」
「誰かさんたちが、際限なく盛り上げてくれちゃったからね」
「…………」
また視線が集まったところで、俺が返せるのは沈黙のみだ。
既存プレイヤーがモチベーションを上げているというだけではなく、三年が経って落ち着きを見せていた新規参入の波が再過熱しただのなんだのと……その辺についての弄りは、ここ二ヶ月で飽きるほど繰り返しているがゆえに。
「なんにせよ、祭りが盛り上がんのは悪いことじゃねえ。面倒も増えるが、気合入れてくぞお前ら――――ハル。お前さんも、いつまでもヘコんでんじゃねえぞ」
「まだ暫く出番は来ないが、予選が片付き始めれば一気に役目が舞い込んで来る。切り替えて、備えておけよ」
「そこはまあ……お任せあれ」
ここ最近の俺が身に付けた切り替えの早さは、もはや公言できる長所だ。
「――――っし。先輩、最終調整付き合ってくれ」
「あぁ、いいだろう後輩」
「夢中になり過ぎてバテんなよー」
背中に掛かるちみっこの冷やかしに手を振りつつ、囲炉裏を伴って訓練室への転移を起動。初っ端やらかしでケチは付いたが、こっから取り戻せばいいだろう。
――――二つ目の未踏破ダンジョン攻略を果たし、新参者こと【曲芸師】が真に世界から認められる事となった、あの日から二ヶ月。
本日は第十一回目の『四柱戦争』選抜戦だ。
是非とも張り切って、序列称号保持者としての責務を果たそうじゃないか。
「なんか、前回から四ヶ月も経ったのかーってなるなぁ……」
「……俺からすれば、たったの四ヶ月前だよ」
新参者にして挑戦者として臨んだ、懐かしき日を思い返しながら。
四章第三節にして『アルカディア』の前半戦ラスト。
張り切って、参りましょう。