貴方に捧ぐ英雄譚、誰かへ紡ぐ英雄譚 其ノ玖
「……っ」
苦手な魔法を用いた大立ち回りを無事に終えたことで、不意に一瞬だけ緩んでしまった気を引き締め直すと共に落下姿勢制御。
叩き落とした【悉くを斃せし黒滲】に続いて危なげなく着地――すると同時、
「うお、っと……!」
すぐ傍ら、どこか慌てた様子の声音が耳をくすぐった。
なにかと目を向ければ……本当にすぐ傍、触れるような距離。中途半端に手を伸ばした体勢で身を固め、咄嗟の誤魔化し笑いを浮かべる男の子が一人。
「――、――――」
消耗を恐れず、やりたいことをやりたいようにやっているがゆえ。流石に少々疲労が無視できなくなってきている頭を迅速に回して状況を察し――
「……ん」
「いや、それは流石に無理がある」
わざと足を縺れさせ、落下する自分を受け止めようとしてくれていたのだろう彼の腕に倒れ込む。すかさず飛んできた言葉は堂々と聞こえないフリをした。
時と場合も、さて置いて然るべき。彼から手を伸ばしてくれることなど滅多にないのだから、無理矢理にでも甘えておかなければ勿体ない。
――そんな内心を、正しく読み取っているのか否か。
「な、なんにせよ、お見事。残り三本だ……!」
控え目ながらも確かにアイリスの身体を支えながら、おそらく真面目半分照れ隠し半分で〝敵〟の元へ視線を固定するハル。
白状すれば、いろいろと場に相応しくない感情が去来しているが――
「そうね――――そろそろ、かしら」
「あー………………まあ、局面的には切り時だろうな」
全部全部、後にしよう。
待ち続けていた夢のひと時。際限なく膨れ上がっていく思いの丈を曝け出す時間は、全てを終えた後にいくらでも用意されているはず。
だから今は、あともう少し。
生涯忘れることのないであろう至福の時が、もっともっと輝くように。
「――――五十秒、頼めるか」
「任せて。なにがあっても――――」
濛々と立ち込める粉塵の奥。命のストックを三つ残し、傷と怒りと殺意を積み上げた『影』の放つプレッシャーが爆発的に高まっていくのを感じながら。
「貴方には、指一本触れさせない」
喚び出した『剣』を手に、迷わず一歩を踏み出した。
背中に届いた「『お姫様』の台詞じゃないんだよなぁ」という言葉に、笑みを零したのは二人同時――――浮きたつ心が望む先へ、ただ期待と高揚のまま歩き出すことのできる幸運を心の底から噛み締めながら、
「【夢幻の女神】――――《守護の零剣》」
千変万化の衣鎧を二振り目の『剣』と成し、一切の装飾と色を失った真白のドレスの裾を揺らして【剣ノ女王】が前へ往く。
右手に世界の創った神与の剣、左手に魂を別けた半身の剣。数えるほどしか用いたことのない、刃を連ねた〝絶対防衛〟の構え。
自らではなく、誰かを守るためだけの姿。
『――――――』
ひとつ、声とも呼べない音が響く。
落下点の粉塵を切り裂いて、巨大な獣の腕が現れた。
続けて這い出してきた『影』の全身――先程までの姿との共通点は、三本を残し罅割れた九つの尾を除いて他に存在しない。とうとう人の容を完全に捨て去った文字通りの化物が、まさしく妖狐と相成り小さなヒトを睥睨する。
荒々しい息遣いが肌に届く。
禍々しい殺意が意識を撫でた。
アリシア・ホワイトは、決して怖れ知らずの『女王』などではない。
その表情が人より乏しいのも、口数が人より少ないのも、
全ては人並み外れた頭の回転が彼女に〝答え〟を齎すのが早過ぎるがゆえ、あらゆる事象において表出する前に感情の処理が『内』で済んでしまうだけのこと。
だから、そう。怖いものは怖いのだ。
遊びとはいえ、ゲームとはいえ、事実と理屈を蹴飛ばして圧倒的な現実感を叩き付けてくるアルカディアにおいて、彼女はいつだって化物相手に身を竦めている。
だから、そう。
アイリスは『女王』でもなければ、決して『勇者』などでもない。
けれど――――
「……ねえ、ハル」
囁くような独り言に、今この時ばかりは怯えなど介在せず。
「――――楽しいね」
恐れも怖れも畏れも、全てを掻き消すただ一つの感情を以って。
頭上に戴くは、硝子の冠。かつては何よりも嫌っていた、その冠の名を――
「《ひとりの勇者》」
ひとりのための勇者と、心の中で書き換えた少女は、
『――――――――ッッッ!!!』
「ッ……――――」
巨大な影の獣が顎より放った魔の巨閃を、真っ向から双剣にて迎え撃った。
◇◆◇◆◇
視界を埋め尽くす冗談のような紫黒の閃光を、またも見知らぬ姿となった【剣ノ女王】が二振りの『剣』をもって正面から斬り散らす。
戦いを始めて、もう何度目か。ただただ言葉を失うしかない比類なき勇姿を見せ付けられ続け、流石にそろそろアレやコレやと感情が臨界を超えそうだ。
しかしながら、見惚れている場合ではない。ゆえに――――
「《転身》」
もはや際限なく溢れ出す信頼のまま、俺は躊躇いなく両目を閉じた。
アバターステータス及び装備、そしてスキルセットの一斉転換。
満を持して紡ぐは、勿論――――
「――――『我、空を翔ける者なり』」
この手で切り得る、最高にして最凶の手札。
「『ひとつ降る星は遍くを結び、緑を纏い颶風と揺らぐ』」
表の〝水〟に代わりアクティベートされた〝星〟の唄。動くことも逸ることも許されない特異属性の詠唱に要する時間は、短縮不可の五十秒フラット。
「『廻り遊ばす刹那の調、歩み逸りて閃と成せ』」
まず間違いなく、なにを相手にしようとも一対一での行使は不可能。誰かに護ってもらわなければ起動すら叶わない、圧倒的な融通の利かなさ。
「『羽織りて白、迸りて青、赤乱の雲成を見初めるは雷霆』」
正直なところ、ソロだろうがパーティだろうが真っ先に自身が突っ込むスタイルの俺に合った魔法とは言い難い。ステータスが二枚ある身の上でなければ、扱いがこなれてきた《水魔法適性》の代わりにセットするかどうかも怪しかっただろう。
「『邂逅の時は来たれり、神域へ踏み入る罪咎を以って月天に告げる』」
けれども、ただ全力を賭して楽しむという一点を追求するのなら。
「――――『我、空を奪う者なり』」
ただただ馬鹿なこの魔法を、使わないという選択肢は有り得ない。
「『この身は終にして創の嚆矢』」
耳に届く〝音〟が激しさを増す。
「『帷を祓え』」
近く聞こえる息遣いが、明らかに余裕をなくしていく。
「『天蓋を越えよ』」
なにかが砕ける音が響いて、
「『未だ視ぬ宿命は遥か未来、ゆえにこそ』――……!」
それでも俺は、最後の最後まで目蓋を持ち上げることなく――
「――――『千早振る天嵐は、彼方を希む魂心に在り』ッ‼」
世界最強の戦友を信じて、長い長い〝唄〟を詠み切った。
そして、
『――、――――――』
『――――よう化け狐、おいたはそこまでだ』
迸った〝風〟と〝雷〟の轟響。人型を逸した獣の吐息と、ヒトを逸した人の声。
蒼白に輝き揺らめく〝髪雷〟が軌跡を描いた、一瞬にも満たない正しく雷速の歩。雑に振り上げた左手が過程であり、高く吹き飛ばされた『影』の巨体が結果だ。
星属性魔法《疾風迅雷》――――世界に記す権能は、身体の魔法化。
即ち、これより先この身は『MID:1000オーバーの過々剰魔力で編まれた攻撃魔法』そのものであり、一挙手一投足が大魔法の一撃と成り得る致死の体現。
更には『全ての身体挙動速度を倍加』する《蒼雷の加護》及び『あらゆるバッドステータスを無効化』する《翠風の加護》二種のぶっ壊れ強化効果に加えて、魔法体らしく物理ダメージ無効という特大が過ぎるオマケ付き。
効果時間は三十秒ジャスト。しかし《蒼雷の加護》によって超過剰を飛び越え、正真正銘操作不能となる敏捷値を素面で乗りこなすなど真実不可能であるゆえに……。
《鏡天眼通》起動、双開眼&最大加速倍率十倍。
辛うじてまともに動けるのは思考加速スキルがMPを食い潰すまでの僅かな間のみ。装備補正込みMID:1450の転身体がガス欠するまで七秒弱――
全くもって、有り余るほどに長いヒーロータイムだ。
更に、もう一つ。
『〝喚起〟』
嵐と化したアバターの胸元、揺れるペンダントを掴み取り〝記憶〟を喚ぶ。
零式魔力喚起具現化武装【αtiomart -Sakura=Memento-】起動――右手に現出するは、花弁が如く魔煌を散らす聖桜の剣。
さあ、往こうか。
もはや《空翔》を含め、他のスキルなど必要ない。俺はただ一歩、また一歩と慎重に脚を前へと運び――――魔法の起動から、ここまでで一秒。
先の雷霆により既に沈黙していた魔法陣。その全てを桜剣に斬り喰わせ完全に消滅させた後、ピタリと動きを止めていたアーシェの隣に立つ。
もう根本的に時間の流れが違う。さしもの彼女も反応が追い付いておらず……いや、それでも驚きに見開かれた目が俺を捉えているのは流石の一言だが――
『……グッジョブ、アーシェ』
左手の剣は半ばから砕け、どういった形態なのか不明な魂依器はボロボロ。身体中から未だダメージエフェクトを散らし、HPを赤に染めた疑いようもない瀕死状態。
けれども、宣言通り。指一本どころか魔砲の残滓すら後ろへ通さず、更にはしっかりと生き残って見せた彼女に心の中で惜しみない称賛を贈る。
どうせ今は口で伝えたところで聞き取れないだろう。労い代わりに肩を叩こうにも、この形態で触れる=大魔法直撃なので残念ながらお預けだ。
だからせめて――――
『ありがとう、休んでてくれ』
見開かれたガーネットの瞳に、渾身の笑みを刻み付けて、
『ほんの五秒だけ、な』
再び地を蹴った次の瞬間、そのもの雷と化した身体が獲物に落ちる。
極限の集中により爆速で回る頭に加速スキルの乗算。平時と比べ十倍どころでは済まないだろう思考速度をもってしても、制御限界からギリギリはみ出す暴れ馬。
楽も余裕もありゃしない。
しかしながら、至高と名高い【剣聖】のお墨付きを以って大言を吐こう。この常軌を逸す〝魔法〟を成立させた【曲芸師】は、僅か七秒の間に限り――――
『――ゲームセットだ、覚悟しやがれ』
誰にも追い付くことなどできやしない、仮想世界最速無敵のバケモノであると。
ひとりのための勇者より、貴方に捧ぐ英雄譚。
※一応補足しておきますが、お察しの通り二人とも楽しむこと最優先で好き勝手やっているのでちょいちょい安牌を蹴り飛ばしながら非合理的な択を取ってます。
勿論、勝つことは前提で。
攻略不能ダンジョンに踏破前提の魅せプ重点で挑んでんじゃないよ。