お見送り
――――早朝、目を覚ます。
すると途端にコツコツコツと扉がノックされて、待ち構えてでもいなければ不可能なそれに呆れた笑みを零しつつ立ち上がった。
訪ね人として思い浮かぶのは一人だけ。扉を開ければ目に飛び込んだ金色が呆気なく正解を告げて……もう一度、呆れと共に溜息を零す。
「朝五時よソラさん。無理して見送らなくていいって言っただろ?」
「……それでも、見送りますって言いましたもん」
一発目から拗ねたような声音。けれどもノータイムで頭突きからのグリグリをやって来る辺り、お触り禁止レベルで不機嫌な訳ではなさそうだ。
まあ、アレだ。
アーシェに『俺を貸すのは全く構わない』とかなんとか言っていたソラさんだが、いざその日が近付いてくるとジェラジェラを溜めてしまったようで。
詳しく胸の内を整頓して読み取るまでは流石の俺にも出来ないし、なにがどうとか感情の経緯を細かに解読する、なんてことは彼女も許してはくれない。
だから、正しく読み取れるのはソラの心の最前列。今こうして甘えながら俺に向けている、強烈な感情のワンフレーズだけだ。
それでも、パートナーは私なんですからね――と。
わかってるよ。わかってるさ。わかってるとも。心の底から可愛らしい奴め。
「コレが上手くいったら、また特に予定なしの暇人だ。そしたら改めて二人でいろんなとこ行こう。行ってみたいとこ、無限にあるぜ俺」
ついでにもう一つ、嫉妬の先があることにも気付いている。ゆえに、
「向こうと暇が合えば、それこそアーシェも含めて三人でさ」
相手が相手なら引っ叩かれそうな発言も交えれば……胸元から俺を見上げていた琥珀色の瞳は、僅かばかり不満気に――しかし、嬉しそうに輝いて。
「……約束ですよ。私、三人でも遊んでみたいんです」
「そりゃもう。なんせアーシェもソラさんのこと大好きだからな。向こうから是非って爆速で予定組んで来るだろうよ」
今日これより俺を独り占めするアーシェに対してだけではなく、今日これよりアーシェを独り占めすることになる俺に対しても。
いつか〝地獄の穴〟へ飛び込んだ三人組。唯一無二の御伽噺を共に歩んだ者として、表し難い感情がソラからアーシェへもあるのだろう。
だから、一人だけ留守番をさせられてしまうのが気に入らない――随分と子供っぽく、独り善がりな、可愛らしく尊い焼きもちである。
さておき、もう三十秒程度で放してもらわないと待ち合わせ時刻に遅刻濃厚……そう思い俺が頭を悩ませ始めるよりも早く、ソラは「んっ」となにかを吹っ切るような声音と共に軽快なステップを踏み――
「では、いってらっしゃい、ですっ!」
見事な体捌きで背後を取ると、そのまま俺の背を強く押し出した。
振り向けば、青空のような笑顔に曇りはなくて、
「おう、ぶちかましてくるぜ!」
拳を掲げて快活に答えを返せば、ソラはほんの少し不満気に頬を膨らませた。
いやゴメンて、許せ相棒。
素直に『いってきます』と返すのが、なんだか無性に恥ずかしかったんだよ。
◇◆◇◆◇
――――早朝、目を覚ます。
すると途端にコツコツコツと扉がノックされて、待ち構えてでもいなければ不可能なそれに少々の笑みを零しつつ立ち上がった。
訪ね人として思い浮かぶのは一人だけ。扉を開ければ目に飛び込んだ黒が呆気なく正解を告げて……もう一度、微かな笑みと共に労いの言葉を用意する。
「おはようヘレナ。早くからお疲れ様」
「おはようございますアイリス。いつものことですよ」
リアルの彼女とは明確に異なる、怜悧で淡々とした言葉遣い。
例え二人きりとて仮面を外そうとしない友人に、過去何度か心配を向けたものだが……リアルとのギャップに対する驚きその他の感情も含め、本人が丸ごと楽しんでいるという事実を知ってからは気にしないようにしている。
けれども、
「今日、ですね。調子は如何ですか?」
「絶好調」
少し前の自分であれば、やらなかったであろう仕草。冗談めかして両手で力こぶのジェスチャーを披露すれば――
「それは重畳。吉報をお待ちしております」
少し前の彼女であれば、仮想世界では見せなかったであろう表情。ふっと緩んだ頬から零れ落ちた素直な笑みが、嬉しかった。
嬉しくて、なにか言葉を連ねようかと思ったけれど――今この時は、言葉にしないことでこそ気持ちが伝わるような気がして、
「ヘレナ」
「はい」
「いってきます」
極単純な、挨拶を一つ。
投げかければ、彼女は数秒だけポカンと呆けた後、
「……いってらっしゃい」
優しく微笑み、応えてくれた。
◇◆◇◆◇
「――――……待った?」
「いや、今さっき着いたばっか」
「デートの待ち合わせみたい」
「みたいってか、そのものでは?」
「……デートで、いいの?」
「最終判定はそっち次第というか、過去最高に大暴れする予定のボス戦をデート扱いしていいのやらという疑問はあるが」
「なら、デートでいい。デートが、いい」
「さいですか。んじゃ、そういうことで」
早朝、待ち合わせ場所。
それぞれ隠密用の外套を纏ってのお忍び仕様。セーフエリアの中心地である『大鐘楼』近辺で最も背の高い時計塔の天辺。
おそらく待ち合わせ場所どころか人が立てるようにも設計されていないだろう狭苦しい足場の上。当たり前のように並んで立つ影が二つ、静かな朝に相応しい穏やか極まる言葉を交わし合っていた。
「スケジュールは予定通りで大丈夫か?」
「ん。最終調整は向こうで」
「オーケー。そしたら、誰かに見つかる前にサッサと行くか」
「ん――…………ん……?」
と、また当然のように差し出された両手に対し、少女の方が首を傾げる。その反応を見て、いつもの癖を出してしまった青年が時を止め――紆余曲折あって押し問答の末、まるで『お姫様』のように少女の身体は青年の腕中に納まった。
シンプルに失敗を悔いている青年。
そして満更ではなさそうどころか大層満足気な雰囲気とは裏腹に、嬉しいや喜ばしいだけではなく嫉妬その他の感情も詰め込まれた複雑な顔をしている少女。
情報量的な意味で対照的な二人は、また二言、三言なにかを交わした後――
「よし行こう、さあ行こう――あ、おはようアーシェ」
「えぇ、行きましょう――ん、おはようハル」
青年の脚が勢いよく空を駆け上がり、瞬く間にその姿を消した。
これはデートですわ。