初夏の初春
一日、二日。そして三日、四日、五日と、時間は飛ぶように過ぎていった。
今回の対【悉くを斃せし黒滲】を見据えた特訓において適任であるパートナー様は勿論のこと、件の新技に関連したレクチャーを賜るためにゲンコツさんやリンネの世話になったりなど……夢中になって励んでいれば、そりゃもう一瞬だ。
本日は土曜日。必死の鍛錬が実を結び、また力を貸してくれた友人知人たちのおかげもあって、問題児×二――とりわけ「マジどうすんのコイツ」と困り果てていた魔法の方も、どうにかこうにか和解まで辿り着けたと言えよう。
いや、言えないかもしれない。まだ〝介護〟がなけりゃ素運用も不可能だし、根本的な話として起動すら現実的じゃないからな……と、
「――とは言いつつ、結局は本番でなんとかしてしまうのがハル君ですが」
肌を撫でる穏やかなそよ風。耳をくすぐる静かな笹葉の音。そしていつもの縁側……には腰掛けず、共に立ち上がり刀を帯びて屋外修練場のド真ん中。
なんとなくの流れで今週六日間の顛末を語りつつ、また流れるように弱気を漏らした俺に対して。【剣聖】様はいつも通り、変わらぬ雰囲気で柔らかく微笑む。
「そーれはアレですよ。その時の弱気発言が単に保険的な戯言だったってだけです。今回のコレについては、本気でどうにもならん可能性があるのでね」
「なるほど……であれば、より一層。活躍を楽しみにさせていただきます」
「何故なのか」
「心から必死になっている時の貴方は、特別な輝きを見せてくれますから」
「…………俺の場合、輝き=花火になりそうで笑えないんですってば」
「ふふ」
「笑えないって言ってるのに……!」
代り映えのしない道場の風景、代り映えのしない輝かしい月夜、代り映えのしない師弟の会話。されども、一日一日を積み重ねる毎に、変わるモノは確かに在る。
「ハル君」
暫くして、揶揄いの微笑を収めたういさんがポツリと俺を呼んだ。
「はい」
「ひとつ、文句を言っても宜しいですか?」
珍しいような、そうでもないような、それでもやはり珍しい、戯れるような師の言葉。あらゆる意味で頷くしか選択肢のない言葉に首肯を返せば、彼女は手慰みのように大太刀を鞘から抜きつつ横を向いた。
訂正しよう――まるで拗ねてしまったかのように、そっぽを向いた。
「常々思っていましたが、ハル君は『悪いお弟子さん』どころの話ではありません。これはもう『師不孝なお弟子さん』と言っても良いのではないでしょうか」
そして、思いもよらぬ方向性の『文句』にポカンと呆ける弟子が一名。
「そんな馬鹿な。死ぬほど真剣に教えを受けているというのに」
「まさしく、真剣過ぎる。ひたむき過ぎる。とにかく、貴方は次の一歩が速過ぎるのです――――もう少し、師の下に居てくれてもいいのですよ?」
「えー……あー……やー…………」
ははーん、なるほどそういう……なるほどなぁ。
………………な、なるほどなぁ……――アカン、呑み込め俺。
カグラさんの件で数日前に怒られたばかりな上、これは明確にそういう意味でそうなのだから口にも頭にも浮かべちゃならん。
そして、こっからの言葉選びも難し過ぎる。男としてではなく、純粋に弟子として誠実に彼女の心に刺さる台詞を……ッ!
「………………………………し、師匠ってのは、前にも言いましたが」
「……はい?」
「弟子にとって、アレですよ。もう〝親〟みたいなもんだと思うので」
「……はい」
「だから、そう。仮に巣立ったとしても、時々ふらっと帰って来るもんですよ。自分も会いたいし、親も安心させたいしで……動物ならともかく、人の親子ってそういうもんでしょう?――――あとなにより、まだ巣立てませんからね」
半人前もいいとこですよと笑えば、
「…………あの、予想外が過ぎたんで、一旦〝待った〟掛けていいです?」
予想通りの柔らかな笑みが返ってくることはなく、ふと差し向けられた指先に頬を摘ままれて俺の身体は迫真のフリーズ。
喋る邪魔にもならない程度、けれど確かに細い指先がちまりと頬を摘まんでいるのは現実のことだ。音もなく瞬時に四歩程度の距離が踏み潰されていた件については、お師匠様のやることなので深く考えても無駄である。
「……『守破離』」
「はい?」
「『守破離』という言葉を、ご存じでしょうか? 芸道における修行の段階を、三つに分けて示す言葉です」
「知……らない、ですね」
『しゅはり』と聞いても、正しい漢字さえ浮かばない。おそらく、一般人が頻繁に聞くような言葉ではないと思われるが……。
「それぞれ『守』とは師の教えを守り身に付けること。『破』とは自ら考え工夫すること。『離』とは己だけの世界を確立させることを言います」
「ほほう……」
話の流れはアレだが、お師匠様から賜る貴重な講義だ。頬を摘ままれたまま真面目な顔で頷くと、指先に籠められる力が強まった。
我ながら、惚けた顔をしていたと思う。そんな俺を見て、ういさんは「はぁ……」と非常にらしくない溜息を一つ零してから、
「『破』までなら許しました。ですが――『守』も『破』も飛び越えて、いきなり『離』を達するお馬鹿さんとなれば話は別です」
「お馬鹿さん……」
これが初となるのではと思しき、シンプルストレートな呆れ文句。オマケにこれまた初となる正真正銘のジト目まで頂戴しては、俺の方もいよいよスマートな弟子を気取ってはいられない。
緊急避難の意味でも視線を一時退避……させるのは、頬に添えられた彼女の指が許してくれなかった。いやソフトタッチのはずなのにビクともしねぇ。
「確かに貴方には、元より明確な『世界』がありました。技術と努力どちらの才も兼ね備え、一足飛びに先へと進む力強さがありました」
「お、お褒めに預かり光え――」
「褒めていますが、褒めていません。私個人としては、褒めたくありません」
「えぇ……」
たまにある暴走、とはまた違う。
「お祖父ちゃんの言っていた、言葉の意味がわかりました」
今の彼女は、多分おそらくきっと、極々単純に……。
「『手の掛かる生徒は可愛い生徒』――なるほど、確かにハル君は手が掛からなさ過ぎて……そういった意味では、ちっとも可愛くありませんね」
表情通り、拗ねているのだと思われる。
ハイ無理、限界。
俺のお師匠様かわいすぎなッッッッッ!!!!!!!!!!!!!
「ういさん」
「なんでしょうか」
「俺もう一生お師匠様についてくんで、どうぞ宜しくお願いします」
「…………ご機嫌取りをしようとしていますね。意地悪なお弟子さんです」
「可愛くなかろうが意地悪だろうが弟子には変わりないでしょうに。んでもってその肩書だけは、もう頼まれても返しませんからそのおつもりで」
「もう…………感情を出してしまったのは私の非ですが、あまり揶揄うと怒りますからね――〝名付け〟も当然お預けですよ」
「いやあのクライマックスで技名が無いのはアレなんで、そこは是非……」
「調子のいいお弟子さんです」
「そうですよ。ういさんの弟子ですから」
修練場のド真ん中――――まるで巨人が大地に向かって剣を振り抜いたかの如く深く長く幅広い、ただ一振りの剣閃が成した跡。
その傍で師と戯れる弟子の手には、師から賜った翠刀が一振り。
そして弟子の隣。師の手に在るのは、半ばから折れた大太刀が一振り。
積み上げたものが、また一つ。その分だけ厚みを増した事実を喜び笑う【曲芸師】に対し、生き急いでいるかのような在り方に心配を向ける【剣聖】が一人。
それはまさしく、いつものように。
月が見守る師弟の交流は、茶番めいたじゃれあいまでを含めて――
「健闘を祈っています」
「えぇ、勝ってきますよ」
決戦前夜の一幕として、ほどほどに相応しいものであった。
ういういしき。