侍女
――――で、俺とヘレナさんが浜辺で偶然エンカウントしてから一時間後。
「あぁ、もう、それです。本当にそれですよ。あの人はいつもいつもわざと行き当たりばったりを演じて、頭が回るくせに能天気を気取っているんです」
「あー、まあ、ロールプレイだよなぁアレ。ボケるところと締めるところで流石にギャップがあり過ぎるというか……昼行燈、とはまた違うけど」
「仮想世界へ足を踏み入れる前から持っていた悪癖です。プライベートと仕事とで見せる顔が別人のよう。昔からアレですから……子供の頃の私は、父親が企業の長などという責任ある立場の大人であるなど夢にも思っていませんでしたよ」
「ハハハ……あれか、家族の前オンリーだと更に酷かったり?」
「更に酷いですね。なけなしの威厳も千々に吹き飛びます」
「ゴッサンよ……」
――――……と、いった具合に。
何故かというか不可思議な噛み合い方をしたというか、互いに口が止まらないこと止まらないこと。今でこそ『父親に対する娘の愚痴』という話題が盛り上がっているが、別にこれだけを延々と続けていた訳ではない。
俺のことを話して、彼女のことを話して、誰かのことを話して……いつまでも謎に会話が途切れず、終わりが見えてこない現状である。
時刻的には既にド深夜。そろそろ戻って寝た方がいいと思っちゃいるのだが、
「それにしても奇縁……というのは大袈裟でしょうか。もしかするとハルさんのお父様とは、どこかのお仕事で関わっていた可能性があるかもしれませんね」
「いやぁ……業界は同じでも規模と立場が違い過ぎるから、まあないでしょう」
今度は互いの父親の共通点に話が移り、またしても会話続行の構え。今回はヘレナさんからだったが、次の話題を振った回数で言えば俺と彼女でどっこいだ。
気が合う……とはまた違った感覚だが、なんだろうな。
なお、ヘレナさんの父上ことゴッサンと俺の父上こと【春日歩】の共通点は『建設関係の仕事に携わっている』というもの。
ただまあ俺の父上が中小規模の会社に身を置く建築士であるのに比べて、ゴッサンの方は国内で五本の指に入る企業の元長とのことだ。レベルが違い過ぎる。
一時その傍らで秘書業務に携わっていたという、ヘレナさんとも比較にならない一般企業戦士だ。同列に語られたらノミの心臓が破裂してしまうだろう。
無論、息子としてはそんな父も素直に尊敬の対象。働く背中は格好良いんだぜ。
――というあれこれまでも、妙に軽い舌が話してしまう。案の定なにやら微笑ましげな表情を向けられたが、まあ別に構うまい。
「お父様を尊敬されているということは、お仕事にも興味が?」
「いやぁ……その辺はあんまり。尊敬してるのは母上もですし」
「では、お花ですか?」
「仮に頷いたら、それこそ冗談だと思うでしょ?」
話に絡めた質問として飛んできたのは、ある意味で大学生らしい悩みに触れる類のモノ。冗談交じりだろう二の矢に惚けて返せば、クスリと笑みを一つ頂戴した。
お花というのは、華道のこと。母上こと【春日凛】の仕事である。
正直、どちらに対しても昔から『親の仕事』以上の興味を向けたことはない。というか、まずそもそもの話……。
「恥ずかしながら、真面目に将来の進路とか考えたことなかったっすね」
中学時代は精神的にテンパってて、高校時代は終始アレで、現在の大学生活はまさかのコレで――小学生の頃に書いた『将来の夢』はなんだっけか。
〝誰か〟みたいになりたい、だった気がしないでもないが、忘れたな。
「実際問題どうなんでしょ。この先いつか仮想世界から離れて普通の何者かになるって、正直もう難しい気がしてるんですけども……」
今更おかしな感傷を表に出したりはしないし、そもそもアレコレ思い返したところで安定を得たメンタルは揺るがない。
ヘレナさんが数秒の間、静かに俺を見ていたのは気のせいだろう。
「…………そうですね。既に私たちは、自他ともに認める〝何者か〟になってしまいましたから。退屈とは言いませんが、色彩に限界のある現実世界とは違い――鮮烈な彩に溢れた、仮想世界側で」
俺の場合は四谷になるが、スポンサーなり契約企業なりといった巨大な後ろ盾から齎される現実的な金銭。加えて、かの世界で活躍を重ねることで内と外から絶えず齎される、精神的な充足――二つの理由が、俺の心を徐々に変質させている。
序列持ちは際立って特別にしても、だ。【Arcadia】が創り出すもう一つの世界ことアルカディアが、人の在り方に齎した変化はあまりにも大きい。
もう戻れそうにない者は、俺を含めて数え切れないほどいるだろう。
「私も同じですよ。ここだけの話ですが……いつかこの〝夢〟が終わりを迎える時が来たらと、眠れなくなる夜がありますから」
「……なるほどね。なら察するに、今日もその夜だった訳ですか」
「さて、それはどうでしょう」
とぼけながらも、きっと隠す気がなかったのだろう。どこか寂しそうな表情で、切なげに眉を下げた【侍女】殿は――本当に、かの『女王様』らしくなくて。
なぜだか迷うことなく。俺は少し前から抱いていた違和感に触れるため、失礼とも無礼とも思わぬまま口を開いていた。
「…………南の参謀にして『お姫様』の右腕こと『女王様』って――もしかして、ヘレナさんの自称だったりします?」
「…………」
「もちろん、周囲から認知されて他称にすり替わる前段階での話……名乗った訳じゃなくて、呼称を意図的に流布した感じだと思いますけど」
静謐を湛える黒い瞳が俺を見つめる。互いに瞬きもしないまま、穏やかな波の音をBGMに数秒のお見合い――後に、溜息。そして、微笑。
「普通の男の子みたいな顔をして、怖い人です」
「怖くないですよ、無害な年下男子ですよ」
また冗談を交わしてから、ヘレナさんはストンとその場に腰を下ろしてしまった。服に砂が付きますよ……なんて言うのは野暮だろう。
「なぜ……と、聞くまでもないことでしょうか」
まあいいやと続いて座り込んだ俺を待って、問いが一つ。怖いなどと言われてすぐドヤ顔で推理を語るのも憚られたが……。
躊躇するなら、タイミングはもっと前だっただろう。
「それはまあ……現実のヘレナさんも物静かではありますけど、雰囲気柔らかい上にユーモアも備えた優しいお姉さんですし。仮想世界の淡々としてる【侍女】様とは諸々違い過ぎるから、十中八九ロールプレイなんだろうなってのが一つ」
もう一つの方は、もっとわかりやすい。
「そんでもって、アーシェのことメチャクチャ大好きじゃないですか――南陣営の慰安会とか銘打って、孤独なお姫様の友達作りを画策するくらいには」
「…………」
旅行の出発前、アーシェは『元はヘレナが企画した』と言っていた。で、その時まだ彼女の素を知らない俺は、違和感を抱いた訳だ。
あの怜悧で理知に溢れ合理主義の体現みたいな顔をしていた【侍女】ヘレナが、自ら進んで『リアルでのオフ会』なんてパリピ極まる計画を打ち上げたのかと。
俺のイメージ的には、アーシェが無茶を言ってヘレナさんが苦心する図の方がしっくり来る。或いは、ゴッサンが手を回してのことだったりとかな。
けれども実際に現実で顔を合わせ、素の彼女と言葉を交わして確信……とは違うが、可能性は半々なのではなかろうかと思った。
「つまり、好きで女王様プレ……ごほん、女王様的なロールプレイをしているのか、誰かのために女王役を掻っ攫って行ったのか、的な二択で」
単に可能性の話。優しく理知的で気が回り――聞くにアリシア・ホワイトに深く惚れ込んでいる彼女であれば、そんな裏話もあるのかなと戯れ程度の推察。
ゆえに、初めに口を開いた時点では「かもしれない」止まりだったのだが……。
「………………表情については、アイリスは今でも芸術的なまでの無表情ですが」
「いきなりすげぇ失礼なこと言い出したな」
「三年前……当時の彼女は、今ほど落ち着きも余裕もありませんでした。神秘的な無口が〝無愛想〟に、薄氷のような美貌が〝威圧〟に取られかねない程度には、世間もまだアイリスのことを知らなかった」
「…………」
流石にツッコミは続けられず、黙って耳を傾ける。
「彼女は当時から【剣ノ女王】として相応しく在りましたが、視線を向ける人間側の準備が整っていなかった――だから、代わりが必要でした。肩書きも含めて、厳しく怜悧なイメージを彼女に代わり身に纏う者が」
俺の推理を肯定するまま、彼女は気にした風もなく朗々と語る。
今は気にしていないのか、今も気にしていないのか、新参者であり知り合ったばかりの俺にはわからない――けれど、
当然のような顔をして〝主〟のために感謝を告げた、あの【重戦車】然り。
「父親譲りということでしょうか。幸い、私にも演技の才能はあったようで――思いの他、もう一人の自分を楽しませてもらっていますよ」
「……なんかもう、その関係性を丸ごと尊敬しますわ」
南陣営の〝忠臣〟各位は、疑いようもなく筋金入りということらしい。
現代の騎士かよと呆けている俺に、怜悧な南の女王様ことヘレナさんは優しく柔らかな表情に自然な微笑みを浮かべてみせた。
「ハルさん」
「……なんでしょう」
雰囲気的に、なぜだか続く言葉がわかってしまい腰が引けているのが声に出た。情けないこと極まりないが、こんなんもう仕方あるまい――
「私たちの姫を、今後ともよろしくおねがいします」
「…………し、身命を賭して善処する次第で……」
引き継ぎを望む言葉に籠められた期待と責任が重過ぎて、身も心も粉微塵になりそうなのを堪えるのがやっとなのだから。
流石に〝騎士〟は、俺こと【曲芸師】には似合うまいて。
描くべきイベントは大体描いた。