あいそら
「――――両目は真っ直ぐ正面へ。的をしっかり見て」
「ご、ごめんなさっ……」
「力まないでいい。肘の固定だけ少し意識」
「はい……っ」
「気負いは要らない。緊張も要らない。紙飛行機を飛ばすのと一緒よ」
「かみひこうき……!」
「そう、なんてことはないお遊び。だからリラックスして――――はい、今」
「っ……!」
先生の指導の下、優しく丁寧な教えに則り上手く脱力させた右手をスイング。肘から先を振りながら『紙飛行機』との例えを意識しつつ〝矢〟を放れば……。
「ぁ……すごい」
まさしくのビギナーズラック。人生初の第一投は勢いこそほどほどだったものの、綺麗な放物線を描いてダーツボードの中心に突き立った。
自分のことながら、少女が驚きのまま思わず呟くと――
「上手。よくできました」
「ひぅっ……!? ぁ、あの、ですね……っ!」
極至近距離。ほぼ耳元で発された静かな声音に髪や肌を擽られ、遂に我慢の限界を迎えたソラは堪らず身を捩りつつ悲鳴を上げた。
「ち、近い、ですっ……! ほんっとうに、近いです、許してください……っ‼」
「………………ソラ、顔が真っ赤よ?」
「アイリスさんのせいですよ……!?」
地下とは思えない広々としたレクリエーションルーム内、わーわー大騒ぎをしている男性陣から離れた一画。本格的なダーツセットに興味を示したソラを見て、アイリスが「教えてあげる」と先生役を買って出てから約十分。
個人的な趣味で嗜んでいるとのことで、知識も豊富な彼女のコーチングは実に理解しやすく有難かったのだが……問題なのは、その距離感。
「一番最初が一番重要。理想的なフォームで成功体験を刻めれば、自信と一緒に基礎を固められるから――」
「聞きました、わかってます……! ありがとうございました……‼」
容赦なく両腕を身体に回されて、ほぼほぼ抱き締められているようなもの。気配が近い、声が近い、振り向けば眩暈がするような凄絶極まる美貌がゼロ距離だ。
この次元になると性別なんて些事。白の魔性に狂わされてしまう――混乱する頭が鳴らす警鐘に従うまま距離を取れば、パチパチとガーネットの瞳が瞬き……。
「……やっぱり、あなた達は似た者同士ね。二人とも反応が可愛らしい」
「そ、そっちこそやっぱりです……! からかってましたね!?」
クスリと笑みを零した白髪のお姫様に抗議をするも、悲しいかな効いている様子は皆無だ。彼女の余裕を崩す未来が、今のソラにはどう足掻いても視えない。
本当に、困る。知れば知るほど、勝てる気がしなくなっていくから。
負けるつもりも、負けを認めるつもりも毛頭ない。けれども、その意気だけではどうしたって絶対に〝勝つ〟ことは不可能。
女性としてパートナーを捕まえるためには、なにか一つでも上回る必要があるだろう――魅力で、この無敵のお姫様に。
途方もなさ過ぎて眩暈がしてくるが、泣き言を口に出来る立場ではない。
ゆえにこそ――
「……ふふ――――勝負、する? ハンデあり」
「っ! の、望むところですっ……!」
翻弄されるまま、照れている暇などありはしないのだ。
――――ニ十分後。
「うぅうぅぅ……っ!!!」
「……ソラ、お世辞じゃなくて物凄い善戦。初心者にしてはビックリするようなスコアなんだから落ち込まなくていい」
「負けは、負けです……っ‼」
「う、うん……そう、ね……?」
物の見事に惨敗した悔しさに震える敗者を、極めて珍しく心做しかおろおろしている勝者が戸惑いがちに慰めていた。
似た者同士とは言ったものの。実はパートナーの青年をも凌ぐ負けず嫌い疑惑が浮上した少女の様子に、かのアリシア・ホワイトが動揺を見せている。
そして、
『ソラちゃんソラちゃん、次あたしとやろっか? 初心者同士だけどボッッッッッコボコにされる自信あるよ。プライド捨ててハンデ貰いたいくらいですよ』
「アイリスの言う通り、私も見ていて驚かされましたよ。運動は苦手と聞いていましたが、意外な才能ということでしょうか」
睦まじい(?)美少女二人のコミュニケーションを和やかに見守っていた年上二人もフォローに入り、立ち所に『最年少を慰める会』が樹立する。
結果、対象となった少女の胸中に生まれたのは特大の羞恥。
なにを大人げなく拗ねているのかと即座に恥じ入ったソラが、スンと分かりやすく澄まし顔を取り繕い……それもまた年上の目には『可愛らしく』見えてしまう訳で、他三人が微笑ましい表情になるのを堪えたのは別の話。
さておき――
「その……楽しかったので、練習します。またいつかリベンジさせてください」
「もちろん、楽しみにしてる」
表面上だけでも取り繕えば、気持ちは後からついてくる。元々ちょっと気になることがあったので心が乱れていただけというか、無視できない焦燥感その他でメンタルが暴走してしまっただけだ。
それもこれも昼食後の『お勉強』からこっち、相棒が〝なにか〟を誤魔化すように大変わざとらしくはしゃいでいるせいである。
つまり、全て彼が悪い。屁理屈を捏ねて、後で甘える口実にしてしまおう――
「ニアさんも興味があるのでしたら、私が教えましょうか」
『え、どうしよ。お願いしよっかな?』
「お任せください。元々、アイリスにダーツを教えたのは私ですので――いつの間にか彼女の中で〝趣味〟にまで高じていて、ほんの一年足らずの間に実力を追い抜かれた時には呆れたものですが」
『うわぁお』
ソラが胸中を整えている間に、交代とばかりニアとヘレナが新たにペアを組んでダーツに興じ始めた。すると、アイリスがまた身を寄せてきて……。
「彼女、ダーツの元プロ選手よ」
「へっ……!?」
ぽつりと呟かれた言葉に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「数年間だけ活躍した後、いろいろあって辞めたみたい。あんなことを言っているけれど、お遊びじゃなければ私なんて全然敵わない」
まさかの情報に綺麗な二度見。先程の自分たちの焼き直しの如く、ニアにピタリと張り付いてコーチングを始めた女性へ驚きのまま視線を向ける。
言われて見れば――というより、想像すれば。彼女自身が怜悧な表情でダーツを構えたのなら、確かにとんでもなく〝似合う〟のだろうと思えてしまう。
基本的に『格好良い女性』に憧れを抱きがちな少女の中で、突如としてヘレナに対する好感度が急上昇した瞬間であった。そうして途端にキラキラした目で彼女を見つめ始めたソラを、しばし微笑ましそうに眺めた後――
「ソラ。少し話がしたいのだけど、いいかしら」
「はぇっ……? は、え、あ、はいっ! なんでしょう?」
傍らのベンチを指しながら、アイリスが唐突に切り出す。
視線を引き戻されて目を向ければ、彼女は先程までの良い意味で気が抜けた雰囲気から転じて……少々、真面目な雰囲気を帯びていた。
ピリッと、警戒心。
なぜって、自分たちは事実上の恋敵。いくら仲良く遊んでいたとて、そのなんとも微妙な関係性が変わることはない。
加えて彼女に対しては、未だニアにしたような〝禊〟を行えていないままだ。本当なら昨晩の内に済ませるつもりだったのだが、予定外に抱き枕という名の罪滅ぼしを強制されてしまい予定が狂っていた。
ゆえに、真面目な顔で『話がある』と言われて震える理由がソラにはある。
ゆえに、震えようと警戒しようと断る選択肢はソラにはない。
ゆえに、少女は恋敵に連れられて大人しく椅子に座り――
「それで、えと……話、というのは」
「ん。魔剣士としての、あなたについて」
「はい――……はい?」
「簡潔に言うと、あなたが一体なにをどうやって例の常識外れな『魂依器』を操っているのか知りたい。前からずっと、詳しく聞いてみたかった」
「え、と…………はい?」
「私、実は体外制御系の思考操作が凄く苦手。できなくはないけど、とても大雑把になるの。それで……ソラは私が出会ったプレイヤーの中でも特に精密な体外制御技能を持っているから、なにか個人的なコツがあるのなら教えてほしい」
「………………」
アイリスの口から延々と紡がれるのは、どこまで行ってもゲームのこと。どんな話を振られるのか、わかっていなかったのは元からだが……。
「正直に言うと、討滅戦の映像をあなた目当てに何度も見返してる。素直に認めるのは悔しいけれど――魔剣士、物凄く格好良い」
「…………………………えぇ……?」
なぜ突如として、かの【剣ノ女王】様から教えを乞われているのか。
「本当は、私もああいうのがやりたかった」
「えぇ……あの、えぇ…………」
なぜ前触れなく、かの【Iris】に憧憬の視線を向けられているのか。
「できることなら、あなたの『剣』と私の『剣』を交換してほしいくらいで」
「それはもう本当にいろんな意味で絶対ダメだと思いますけど」
アリシア・ホワイトを象徴する、硝子のような無表情……だというのに、今。
僅かばかり輝いているように見えるガーネットの瞳の奥。彼女の方こそ〝彼〟と似た者同士と思わざるを得ない、底抜けに無邪気な表情を幻視して――
「………………ほんとズルいと思います、二人とも」
「……?」
年下に溜息をつかれた年上は、ただ子供のように首を傾げていた。
根本的に作中では並ぶ者なきファンタジーオタク。
――――おまけ『アイヘレ三年前』――――
「………………ヘレナ、近い」
「一番最初が一番重要なんです。理想的なフォームで理想的な成功体験を刻んでしまえば、自信と一緒に正しい基礎を強固に出来るので〝後〟に続きます」
「わかる、けれど」
「では、もう一度。あなたならホワイトホースを鼻歌交じりに叩き出せるようになっても不思議ではありませんし、将来が楽しみですね」
「ほわいとほーす……?」
「アイリス、両目は真っ直ぐ正面へ」
「…………ん」