変装
「――――ぁ……えと、おはようございますっ」
「おや、早起きだね。おはようソラちゃん」
朝六時前。二時間も前に旅行おじさんの誘いを蹴ったユニが朝食の用意をしている厨房へと、最初に顔を出したのは最年少の黒髪少女だった。
昨日の『如何にも』といったお嬢様ルックと比べると、シンプルなブラウス&スカートの装いは少々ラフな印象――が、それでも〝品〟が隠せていない。
果たしてどこの御令嬢なのやらといったところだが……まあ、最低条件として三百万円の招待券を要求してくるアルカディアにおいて、著名人の子息その他といった人種は珍しくもなんともないと言えよう。
戯れ以上に、興味を抱くほどではない。出自よりも気になるのは、朝の挨拶を終えてもなお何か言いたげに彼女が留まっていることについてだ。
「どうかしたかな?」
六つも年下の女の子相手。童顔だのなんだのと言われがちな身の上だが、大の男として怖がらせないよう努めて優しく問いかける。
すると、やや人見知り……というより、誰にでも気を遣うあまり慣れない相手には遠慮し過ぎてしまう性質なのであろう少女は、わかりやすくアセアセと表情を移ろわせた後――
「あ、あの……――――お手伝い、させてください……!」
なにやら決死の覚悟を振り絞ったかの様子で、ペコリと頭を下げてきた。
それを見て、昨日アイリスがぶっぱした脅し文句が彼女の中では未だ生きていることを理解したユニは……小さく、溜息を一つ。
「オッケー是非お願いするよ。相棒に引き続き、キミの誤解も解いておこっか」
昨日も率先して後片付けを手伝ってくれた際、手際の良さは確認済み。
向こうの方からやって来てくれたコミュニケーションチャンスで仲を深めつつ、不本意な『怖いお兄さん』というイメージは綺麗に払拭させてもらうとしよう。
◇◆◇◆◇
「――――ということで、本日のブレックファーストはソラちゃんプレゼンツだよ。女の子の手料理だ、特に野郎共は味わって食べるように」
「「「おー」」」
六時を過ぎ朝マズメこと日の出の時間帯を外れ、魚の反応が鈍くなってからも暫し竿を振ること一時間弱。相も変わらず俺ばかりが釣果を重ねるままに納竿して宿へと戻れば、待っていたのは得も言われぬ日本の朝の香りだった。
「あの、私は後からお手伝いしただけですので……」
「なんて謙遜していらっしゃいますが、俺が先にやってたのは米研ぐくらいなので献立からなにからメインでやっていただきました」
「「「おー」」」
「お、お願いですからハードル上げないでくださいぃ……!」
野郎共こと俺たちを含め、中から外からぞろぞろ集まった面子が視線を注ぐ先。慎ましくも雰囲気のある立派な和朝食をプロデュースしたらしいソラさんは、隣の席で恥ずかしそうに縮こまっていらっしゃるが……。
悉く年上であるこの場の人間が、早起きして健気に朝食を作ってくれたという年下少女十五歳を褒め称えない訳がないんだよなぁ?
「ソラはやはりソラさんだったか……」
勿論、俺を筆頭に。
功績的にもシチュエーション的にも思わず出かかった『いいお嫁さんになりそう』とかいう、月並みであると同時に極大の爆弾発言は呑み込んだが――
「その歳で大したもんだなぁ……いい嫁さんになるぜこいつぁ」
俺に代わってその感想を拾ったゴッサンを皮切りに年上勢、つまりソラ以外全員からの褒め殺しが幕を開ける。
「冗談抜きで、手際からなにからお店出せるレベルだと思うよ。お手伝い役で腐らせずに任せてみて大正解だったね」
「……ユニがそこまで言うのであれば、本物ですね。私はあまり得意とは言えませんから、同性として見習った方がいいかもしれません」
「母さんが見たら、これぞ小さな大和撫子だって大喜びしそうだな……」
「…………これは、ちょっと勝てない」
『ほら見なさい。ソラちゃん強過ぎズルいズルい』
最後のニアはちょっとなにを言っているのかわからないが、九割九分九厘ポジティブな称賛の洪水を浴びたソラさんはといえば、
「うぅ…………きょ、恐縮、です……」
ゆうて満更でもない顔をしながら、恥ずかしそうに縮こまっていた。
「――――で、だ。俺ぁそろそろ聞いときたいことがあるんだが……」
見た目と雰囲気だけではなく、味に至るまで「どこの料亭かな?」と手放しで褒めざるを得ない朝食をいただく最中。ガタイに似合わずメチャクチャ丁寧かつゆっくりと箸を進めるゴッサンが声を上げた。
その視線が向けられているのは――初見の手料理ゆえ大切に味わっていたのか普段よりはスローペースで、しかし他七人をぶっちぎって既に完食しているお姫様。
はて、と話題の傍らで首を傾げる俺を他所に……。
「あー……まあ、それね。聞いていいなら、俺も昨日から聞きたかったんだけど」
「そう、ですね……アイリスのことですから、理由あってなのでしょうけれど」
同陣営の二人が分かっている風に追従し、ついでに囲炉裏も俺のように「なんの話?」みたいな疑問を浮かべず澄まし顔で味噌汁の椀を傾けている。
先程おかわりを要求していたところを見るに、俺の相棒の日本料理はブロンド侍の舌を容易く唸らせた模様――
さておき、アーシェの顔色を窺うことで何かしらの『確認』があったのだろう。俺とソラとニアの三人……否、ソラとニアさえ薄っすらと話の流れを察したような顔をしているため、単純に俺一人だけを置いてきぼりにして、
訊ねても構わないと言外の了承を貰ったゴッサンが、口を開いた。
「お前さん、なんで休暇で身内しかいないってのに変装しっぱなしなんだ?」
「…………ん」
食後のお茶で和んでいたアーシェはどう読み取ったものやら難しい反応を示すが、俺の脳内はハテナで一色だ。
変装? なにが? 総大将の口から飛び出した謎ワードに改めてその姿を眺めてみるものの、昨日に引き続き簡素なシャツ&パンツルックの彼女は長い黒髪を揺らすいつも通りの姿で――――
「………………あの、ハル。まさかとは思いますけど」
疑問塗れで首を傾げている俺に気付いたのだろう、隣の相棒から声が掛かる。
「アイリスさん――アリシア・ホワイトさんについて調べたこと、一度もなかったりしますか……?」
「え、流石にそれはあるけど……」
「現実世界のアリシアさんについて、ですよ?」
それはないです。と、首を横に振った瞬間に殺到するは呆れの視線が推定六。
いやだって、だからさぁ! 如何な有名人とはいえど『知り合い』のことをネットでサーチするとかアレコレ失礼な気もするしなんか怖いじゃん!?
「あのですね、アイリスさんは現実世界でもインタビューなどでメディアにお顔を出されていて――」
「ソラ、その先は私が自分でする」
と、相棒のネタバラシを遮ったアイリスが、言いつつ左手を持ち上げた。
その白く細い手首でささやかな輝きを放っているのは――思えば、現実世界の彼女が身に付けていないところを見たことがない銀のブレスレット。
「『なんで』と言われても、そんなに大した意味合いはないのだけれど……」
装飾も何もない、極めてシンプルな腕輪。アーシェがそれをカチリと音を鳴らして呆気なく外した瞬間、
「――――――――――――…………はぇ???」
日の出によって空が白く染まるように。或いは、魔法が解かれたように。
彼女の黒い髪が白に……仮想世界の青銀と似て、燦然とした輝きを放つ純白に色を変える。そんな魔法を見せ付けられて、唖然とする俺を――
「理由の半分は……単にタイミングを見失っていたから、かしら」
そちらも黒から色彩を変じたガーネットの瞳が、見つめていた。
どうして240話も引っ張った、言え(ちゃんと理由はあります)